第121話 君に絶望を与える者の名だ!
壁にへばりつく的が異形の姿に変わっていき、ディンは手を止める。
細い六本脚に黒い上翅は装甲のように硬くて分厚く見えた。ディンの中でぱっと浮かんだのは角のないカブトムシ。
「完全に昆虫になったなぁ」
そうつぶやき、はじめてディンは動きを止める。
見た目は昆虫になり、色も白から黒に変わった。過去の魔術師団との戦いの記録にもなかった形態だ。
未知の形態であり、奥の手だと警戒して慎重になる。
ディンはあらかじめ対策を取れるものには絶対的な強さを誇る。ゆえにここまでは優位に戦いを進めることができた。
獄魔印によりレンデュラはしばらくの間壁に貼り付けの状態となり、おまけに上から流れ落ちる水を浴びた状態だ。
現在レンデュラは土魔術を扱えるが、全身水浸しだと水に弱い土を扱いづらくなることは過去の戦いで明らかになっている。
そう、今の追い込んだ状況は思い描いた理想の形だ。
(大丈夫。このまま押し切って倒せる)
一方で問題はいくつかあった。大量の魔銃を使用して、使える魔銃がかなり減ったこと。そして、レンデュラの最後の心臓は身体中動かすことができるのでどこにあるのかわからないこと。
さらに分解魔術と特級詠唱魔術を何度も使った影響か、ディンの魔力が明らかに目減りしていること。
「この姿は魔術師団の情報にもないだろう」
黒い物体から鳴き声のような声が響く。
「見た者は全員殺してきたからだ」
ディンは無反応を装うが、内心動揺する。
魔術には初見殺しや一撃必殺が多数あり、一手で戦況がひっくり返るのは珍しいことではない。
が、ここで引く気はなかった。
「弱気は……噛み殺せ」
語りかけるように自分に言い聞かせる。
鳴き声のような魔術語の連なりと同時にレンデュラの全身から大量の腕が生えてくる。
円の形となり、一つ一つの指がありえない角度で折れていき描かれるのは異形の魔術印。
唱えられる魔術語が止まった時、黒い魔力の爆発が起きる。
「凶龍黒土」
地面から伸び上がる土が龍の形となり、ディンへ襲い掛かる。
それはあらゆる魔術師たちを一撃で死に追いやった絶対的破壊力を持つ。
ディンは両足をきっちり踏み込み、左手で右手首を掴み構える。
土でできた黒龍がディンの右手に触れた瞬間、最も得意とする分解魔術を展開。
――因果解
触れるすべての魔術を粒子として無力化する。
黒龍は、ディンの手に触れて白く発光し、手に触れた部分からどんどん塵となって消えていく。
その現象にレンデュラは驚きの声をあげる。
「ありえん! まさかこれほどとは……」
ディンはそれに反応しない。
別のことに気を取られていた。
分解魔術は特質魔術だ。使い手が少ない以上、自分の手で発展していかなければならない。
何度も何度も触れた魔術を無力化することで得た感触。ディンは試さずにいられなかった。
戸惑う相手に淡々と歩いて近づいていく。平然と距離を詰めるディンにレンデュラは唖然としているのか何もしようとしない。
水たまりの手前に立ち、壁に張りつけになったレンデュラをじっと見る。
「ゼゼが貴様に目をかけている理由がわかった」
ふとディンはレンデュラの六本脚が壁に埋まっていることに気づく。
地中をつたい地面から突き出してきた脚が細い針のように伸び上がるのを間一髪でかわす。
高く跳躍して宙に浮いた隙をレンデュラは見逃さない。レンデュラの前胸が蛇のように伸び上がってくる。
先端が顔の形となり、レンデュラは叫ぶ。
「軽く撫でれば人間は死ぬ! 終わりだ!」
全身に魔力をみなぎらせ、頭突きの体勢で伸び上がってくる。魔力で硬質化させたそれは鉄球に近い。死の射程圏。が、ディンは慌てない。
突っ込んでくるレンデュラの頭を両手で受け止め、再び魔術を唱える。
――因果解
魔術の元は魔力。魔術を粒子のように分解できるなら、まとう魔力すら同じように無力化できるはず。
賭けではなく、積み上げた試行錯誤の上にある確信だ。
触れた先から装甲のように覆われた魔力の密がぱらぱらと零れ落ちる。
魔力をはがされたレンデュラは唖然としているが、ディンは冷静に着地し、無防備なレンデュラに魔弾を放つ。
魔力のガードがないため柔い土壁をえぐるようにレンデュラの顔がつぶれる。
「ぐううぅぅ」
レンデュラの全身を覆う魔力が綺麗になくなる。
「こんなこと――」
レンデュラは言葉を止める。
距離を置いた位置にいるディンが構えているものは今までのものより一回り大きく禍々しい魔銃。魔道救弾。
「吹き飛べ。糞魔人」
高速で放たれた黒い球体の魔弾。レンデュラに触れた瞬間、衝撃音と共に爆ぜた。
灰色の煙と共に何かが焦げる匂いが鼻孔をつく。煙が離散されていくと壁にはりつき、焼けただれたレンデュラが姿を現した。
ぴくりとも動かないが、ディンはわずかながら魔力反応を察知する。
「ちっ! 馬鹿で弱いくせに生命力だけは無駄に高いな。うっとうしい昆虫だ」
興奮気味にまくしたてる。
魔力自体を無力化することはできたが、それは本当にわずかな時間のみで効果は続かなかった。しかし、手ごたえはあった。
あと一撃、同じものを食らわせることができれば確実にレンデュラは死ぬ。
魔道救弾は一帯を爆発させる強力なものだが、次の一発を撃つまでのチャージに時間がかかる。ディンは魔銃を握ったままレンデュラにじりじり近づく。
「次で死ね」
が、その衝撃音は招かれざる者の耳に届いていた。
塞がっていた洞窟の入り口が爆発音で粉砕され、その音でディンは反射的に振り返る。
立っていたのは見覚えのある人間。
魔道具店で会った赤い長髪と金色の眼球が特徴的な大女。その正体は……
「魔人キリ」
「ユナちゃーん! また会いにきたよぉ!」
こぼれる笑顔のまま距離を詰め、飛び込んでくる魔人。
「お前……」
上手く反応できなかったのは、その女があまりに攻撃するという意思をもっていなかったからだ。思わずディンは固まってしまう。
結果、間合いを即座に詰め、飛び込んできたキリはディンの両肩を掴む。
「再びこんにちは! キキ改めてキリだよ! 君に絶望を与える者の名だ!」
ギラギラとした両目が目の前にある。
魔人であるはずなのに、殺意が全くない。
「お前……本当に魔人か?」
目と目を向き合う距離にいながらディンは思わず問いかけた。
「君の解釈に任せるよ」
妙な感覚。わずかな間だが、少しの間見つめ合っていた。
直後に腹部に衝撃が走り、ディンは吹き飛ばされていた。
「自己紹介からあいさつ代わりの腹パンだぁ」
「ぐっ……」
打撃は服の内部に埋め込んだふわふわで吸収されたが、ディンはすぐに起き上がれなかった。魔力を伴ったパンチが想像以上に効いていた。
この時、自分のまとう魔力が想定以上に減っていることに気づく。
「さあ! 新たなる魔人の登場! 勇者の孫大ピーンチ! どうするどうする? ここでさらに目の前の魔人があるものを取り出したぞぉ!」
キリは嬉々とした表情で解説をはじめ、ポケットから見覚えのある魔術薬を取り出し、それを見せつける。
小さい透明な丸い球体は増幅魔術の魔術薬だ。躊躇なくそれを飲み、ディンの方を見て笑う。
「剛力。人間を軽く凌駕する身体能力の魔人が使用すると! 軽く触れるだけで人間の肉体を壊すほどの力を手に入れられるのです!」
キリの身体能力が劇的に上がる。
ディンは自然とじりじり後退する。今こそ脱出の時。だが、レンデュラがまだ完全に息絶えていない。あと一押しで殺せるレンデュラに後ろ髪を引かれて迷いが生じた。
あと一押し。あと一歩。そんな思いが離脱を躊躇させる。
(どうする? いや、どちらにしろユナの身体で剛力に対抗できない)
その時、よぎる対抗できる選択肢。皮肉にも対面する相手に魔道具店でそれを与えられた。
ダーリア王国の禁止魔術に当たる。使うことは禁止され、処罰の対象となる。
だが、そんなルールは戦場において何の意味もなさない。
「生き物にとって究極の価値である命を守ること。変わることのない絶対的定義だ。多数派の価値観で定義づけされたルールに惑わされちゃいけない!」
魔道具店でキキとして、ディンに向けて言った言葉を再び繰り返す。
挑発しているのは明らかだ。
だが、あの時の言葉はなぜかずっと頭に残っていた。
――同じ状況になったら君が手に持つ魔術薬をどう使うのかな?
守るべき人間を守る状況。
他者に禁止された選択が正解であることはこの世界で珍しいことじゃない。
世界はいつだって自分に都合よく構築されていない。
「さあ! 決断の時だ。ユナ・ロマンピーチ! 私のことがっかりさせないでよ」
いつかの問いに答えるべく、ディンはポケットからそれを取りだし、飲み込む。
勇者エルマーが最も得意とした魔術が展開される。
――剛力
「乗ってやる」
「その答えを待っていたよ」
対面する怪物は友人のようにやさしく語りかけ、悪魔のように笑った。




