第112話 やっぱりまともに戦っても勝てないな
「こちらは約束を守った。では、交渉成立ってことでいいな?」
魔王ロキドスの容疑者リストを頭の中で作っていたディンは、レンデュラの言葉で我に返る。
「えっ?」
「約束しただろ? 私は十分君の要望に応じた。君を軟禁する権利があるはずだ」
「いや、ちょっと待ってください!」
ディンは右手を突き出し、立とうとするレンデュラを制する。
できればもう少し時間を稼ぎたかったが、レンデュラの魔力がわずかに逆立ち震えているので限界だと察する。
「まだ何かあるのか!」
苛立ちをぶつけるようにレンデュラは吐き捨てる。
ディンは少し考えてから答える。
「口約束では成立しません。契約書にサインをしてから成立するものです。人間社会では当然のことです」
「紙などないが?」
「うーん……なんとかなりません?」
ふと息が止まったかのようにレンデュラは固まる。
長い静寂の後、口を開く。
「馬鹿が! 貴様いい加減にしろ!」
その咆哮は広々とした大広間中に響いた。
(流石に馬鹿でもここまで引っ張れば気づくか)
ディンは指先を集中させて反発魔術。魔動音声機の隅についているボタンを遠隔で押しこむ。
すると、川のせせらぎの音から徐々に嵐のような音に変わっていく。
暴風と激しく叩きつける雨の音がレンデュラとディンの間に響き、ディンはそこで申し訳なさそうな表情を作って、口を開く。
口から出る言葉は魔動音声機から出る雑音に消され、対面するレンデュラは訝し気に前のめりになる。
「おい。一旦音の出る魔道具を切ってくれ」
レンデュラが声量を上げて叫ぶも、声が届いていないふりをして、ディンは続ける。
それは謝罪の言葉ではない。あまりに長すぎるその言葉の羅列にレンデュラは不穏な空気を感じ取ったのか、ディンの口元をじっと読む。
何かを察し、テーブルを破壊しすぐ下にある魔術印を見つけた時、ちょうどディンの詠唱が終わる。
「獄魔印」
テーブルの下にあらかじめ描いた魔術印が発動。
魔術印により直近対象物を一定時間強力な力で引き寄せる特級詠唱魔術。
レンデュラは引き寄せられる力により魔術印に引っ張られる。
「貴様! 不意打ちとは卑怯な!」
怒りの咆哮に対し、ディンは即座に距離を取り口元だけ笑みを浮かべる。
「そもそもさ。魔人に軟禁されてもいいと思う人間はいないんだよ」
構えるのは魔道破弾。
答える間も与えず、レンデュラの心臓部を狙い撃った。
胸部を貫通したが、レンデュラは瞬時に身体を傾け心臓への直撃を避けていた。もっとも多少はえぐれたようで、低い嗚咽を上げて崩れ落ちそうなところをぎりぎり踏みとどまる。
が、胸部にある心臓を貫いてもレンデュラは死なない。レンデュラの身体は人より魔獣に近く、腕が背中から六本生えているように心臓も三つある。
三つある心臓の一つは自在に位置を動かすことができるという。
ディンがさらなる追撃をかける前にレンデュラの土魔術が展開された。
目の前を覆い尽くす分厚い土壁により、レンデュラと隔たりができる。
だが、ディンは焦らない。
魔人レンデュラは人間との交戦記録が最も残った魔人だ。
マゴール、キリのように未だ魔術能力が謎の魔人もいるが、レンデュラに関しては魔術能力だけでなく傾向と対策まですでに魔術師全員が把握している。
指輪として装着しているのは一級魔道具、魔水変換。
自分の放つ魔弾に水を含ませることができ、水属性の魔弾となる。
――水魔弾
左手で連発すると、驚くほど簡単に土の壁が崩れていく。
レンデュラの土魔術は己の魔力を混ぜて土を固め、魔術攻撃や物理攻撃に強い魔壁を構築できるが、レンデュラの魔力は水に弱い性質を持つ。
つまり、レンデュラの天敵は水魔術使い。
水魔弾を連射し土壁が崩れ落ちていき、心臓部を癒していたレンデュラが姿を現す。
「ちっ」
ディンが右手に持つのはキク特性火炎効果付与の改造魔銃。
炎魔弾を連射。レンデュラは土による魔壁を展開してガード。
その土壁に対して左手で水魔弾。土壁が崩れた隙間に炎魔弾を通す。
それがレンデュラの胸部に的中。
「ぐうぅぅ」
レンデュラは大きくうめき声を上げる。
「レンデュラの土魔術は水で溶ける。が、レンデュラ自身は水に強く、弱いのは炎」
これもすでに過去の魔術師団との戦いで明らかにされている情報だ。
多くの魔術師の屍の元、共有された知識でディンは優位性を保つ。
のけぞるレンデュラに炎魔弾を浴びせるが、レンデュラは足で地面を叩くように踏みしめ再び土壁を展開。
ここで即座に左手で水魔弾を連射。
左手の水魔弾と右手の炎魔弾を適切に切り替えることで確実にレンデュラを追い込む。
水魔弾の連射により再び土壁がみるみる崩れて落ちていくが、レンデュラはタイミングを見計らって自ら土壁を壊し、ディンに向かって突進。
とっさに魔銃で炎魔弾を撃とうとするが、それより速くレンデュラは指で球体の土石を弾き、右手に持つ魔銃が吹き飛ぶ。
「げっ」
一気に間を詰めてくるレンデュラだが、ディンは慌てずバックステップ。
「遅いぞ」
緩慢な動きのディンを捉えようと、レンデュラは一気に前進。が、掴めそうなところで後ろへ引っ張られる強力な力で動きが止まる。
「魔術印の効果、忘れてない?」
後方にある獄魔印に引っ張られ、レンデュラは引きずられ地面を転げる。
その魔術印の周囲に転がるのは大量の爆炎花。
「爆ぜろ、昆虫」
爆炎花に魔弾を放ち、強烈な紅の爆発がレンデュラを包み込む。
「ぎゃああああああ!」
「ははっ。燃えてる燃えてる」
炎の中で苦しみ悶えるレンデュラを見て、ディンはこのまま押し切れると判断。魔道破弾を両手に持つ。
が、突如バランスを崩しディンはよろける。何が起きたか一瞬わからなかったが、すぐに気づく。
布が風でなびくように地面が激しく上下に波打っていた。
「まじかよ、おい」
身体全体が揺れて立ち上がれず、地面にしがみつく。
「貴様! もう許さん!」
レンデュラは炎の中で怒声を上げ、片手を上げる。
揺れは止まったが、嫌な予感。視線を上げると、天井から土でできた槍が大量に落下してきた。
「おいおい!」
雨のようにどんどん降り注ぎ、唖然としながらも必死にディンはそれを避ける。後方へ後方へ逃げていき、レンデュラとかなり距離が開いたところで槍の猛攻が止まる。
ディンが与えたダメージが効いているのか、レンデュラは攻撃を止めてじっとこちらを伺っていた。ディンも自然と攻撃の手が止まる。
ダンジョンはレンデュラの魔力が練られた灰色の土ですべてできている。
足を強く踏みしめるだけで土壁を一瞬で展開し、腕を軽く上げるだけで天井から土の槍が大量に降り注ぐ攻撃も展開できる。
すべてがレンデュラを守る盾となり、こちらは常にレンデュラの攻撃射程にいるようなものだ。
「うん。やっぱりまともに戦っても勝てないな」
ディンはその事実を受け入れた。ディンがあらかじめ考えていた戦略は複数人で戦う前提のものであり、一人で戦う戦略は今のところない。だが、他の仲間のためにもまだレンデュラをひきつける必要はある。
「お前はもう許さん! 色々我慢していたが、めちゃくちゃにしてやる!」
まだ身体の一部が燃えているが、それを気にも留めずレンデュラは地面の魔術印を叩きつける。
魔術印は傷つければ、効果を失うものがほとんどだが、獄魔印は魔術印自体に特殊な力を持つタイプのもので傷つかない。
レンデュラは地面を操作し掘り起こすが魔術印は消えない。魔術印は宙に浮いており、レンデュラの足元にぴったり貼りついていた。
「くっ」
「おお。流石、ゼゼの開発した魔術」
思わず関心したが、その場に貼りつけにしたとしても勝てる算段はない。
ダンジョン内はレンデュラにとって優位すぎる場所だ。
それを確信し、ディンは次なる行動に移る。
魔銃を向けると、反射的にレンデュラは土壁を展開。
「来てみろ、勇者の孫よ。格の違いを見せてやる」
レンデュラは未だ身体が燃えた状態だが、両手を広げ、無機質な眼球でこちらを睨む。
レンデュラのまとう魔力が吹き上がることで臨戦態勢だとわかる。
「まともに戦っても勝てないんなら……まともに戦ってやんない」
ぽつりとつぶやき、ディンは背中を向けてその場から駆け出す。
「逃げるな! 逃げ場などないぞ!」
「追ってきなよ。昆虫さん! まあ、しばらく動けないだろうけど!」
レンデュラの怒声が響く中、ディンはある洞窟の中へ向かった。