第110話 交渉ということでよろしくお願いします
アネモネの魔術能力は、あらゆるものを切断する切断魔術……というのがシーザやベンジャの憶測であるが、初見の攻撃でタンタンは違うと確信した。
目線を一瞬下に向ける。タンタンは避ける前に自分の粘着力がある魔力を地面に貼り付けていた。それは地面と共に綺麗に切り裂かれていたが、その際わずかに斬撃の速度が落ちたのを横目で確認していた。
(全部の斬撃が空間ごと切り裂く最悪のタイプじゃないな。たぶん僕なら止められる)
タンタンの魔壁はあらゆる攻撃に対応できるが、特に魔術には絶対の強度を誇る。魔術師団内でも最強の盾と呼ばれる絶対防御だ。
微動だにしないアネモネから起こりのない斬撃が飛び、タンタンは躊躇なく全力の魔壁を展開し受ける。
魔壁の深い部分までえぐられるが、予想通りそこで斬撃は消失。
ほぼ間を置かず、アネモネの斬撃が三連続で繰り出される。
瞬時に魔壁を二重展開し、一つ目は切り裂かれるが二つ目で止まる。
「ちっ! お前それむかつくからやめろ!」
「やめたら死ぬんだもん」
「素直に死ね。どうせワタチの方が強いの確定してるのに! 面倒くさ!」
タンタンの前方にある崩れかけた魔壁が一瞬で大量の槍の形に変わり、アネモネに向けて発射。
「無駄」
その場から動かないアネモネに当たる寸前でそれは消える。不自然なほど唐突に消失する現象をじっと観察していたタンタンは口元に笑みを浮かべる。
「これか。なるほどね」
「わかった気になるな! 雑魚が!」
アネモネは地面を蹴り、一気に距離を詰める。
迷いない動きにタンタンは危険を察知。
手の形をした魔力の塊が地面から伸び、アネモネの両足を一瞬で拘束。
が、それもアネモネが一瞥すると消失。
タンタンに視線を向け、起こりのない斬撃。
魔壁を展開して斬撃をガードするも、タンタンを守る魔壁も唐突に消える。
「あっ……」
目の前に障害物が消え、一気にアネモネがタンタンに近づく。
その距離、約五歩分。
「死ね」
無防備なタンタンへ起こりのない斬撃。
「なんてね」
天井から魔壁を一瞬で展開し、斬撃を受けた。
滑り込ませるように受けたためか、魔壁がえぐられ、ぱっくりと隙間ができる。
その間からタンタンは投げナイフを投げると、アネモネはそれを反射的に避けた。
「へぇ。ナイフは避けるんだぁ」
「ちっ! ガキがぁ!!」
反発魔術。タンタンが左手をかざした瞬間、アネモネは後方に引き下げられる。
「反発効いたね。目に見えるものは消せるけど、見えないものは消せない」
「おい! そんな魔道具持ってるなんて聞いてない! ずるいぞ」
「フリップ家からの餞別でもらいましたぁ。それよりさぁ。僕、君の魔術のロジックわかっちゃったぁ」
「ああ? お前ごときのモブにわかるわけないわ。キモキモっ!」
「目を閉じて封じ込む魔術でしょ?」
アネモネは口元だけ舌打ちの動きになる。
「左目をウインクしたら魔術を封じ込める。右目をウインクしたら封じた魔術を展開する。だから、起こりもない。実体のある物や見えない魔術は封じ込められない」
「ふん。ワタチの封緘魔術を見極めた人間はあんたがはじめてだわ」
相手の能力と強さを正確に把握するのは戦いにおいて最も重要と言える。
タンタンは勘頼みであるが、それを見極める能力が極めて高い。
アネモネはタンタンという外敵に対する見解を少し変えた。
「といっても、あんた馬鹿なのは変わらないのよ。ワタチが本気出したら、瞬殺だもん」
そう言って、アネモネは両手の甲を見せる。そこからスッと瞳が開き、額にも胡乱な瞳が開いた。累計五つの瞳がタンタンを見据える。
が、開いた三つの瞳は使う気がないのかすぐに自然と閉じた。
「どう? ワタチの方が強いってわかった? だから、さっさと死ね」
「なんだぁ。使わないんだぁ」
涼し気にたたずむ二人の間で激しい魔術の応酬が繰り広げられる。
最深部 九層
ディンは改めて周囲をゆっくり見渡した。
二千人は収容できそうな広さの空間に円形の天井は五階建ての建物と同じくらいの高さだ。無駄に広い空間の真ん中でディンは魔人と相対している。周囲は見る限り横穴だらけでざっと数えたところ百近くはある。
どこがどこに繋がっているのか全くわからず、出口はわからない。逃げても捕まるのは目に見えていた。
ディンはその事実を冷静に受け止め、相対するレンデュラと距離を置いたまま尋ねる。
「では、まずは椅子とテーブルを用意してもらえますか?」
その提案にレンデュラは一瞬固まる。
「なぜ?」
「人間の交渉とはそういうところから始まるのです。形から入るというでしょ?」
「……そういうものか」
レンデュラは土魔術を展開し、テーブルとイスの形を一瞬で形作る。灰色の砂が固まったような土質で触れると石のように固い。
「もう少し柔らかくできません? 固いとお尻が痛い」
「できなくはないが、細かい魔力制御は苦手でな」
さりげなくディンはレンデュラから情報を絞っていく。
「では、交渉ということでよろしくお願いします」
ディンは椅子に座る前にレンデュラに近づき、手を差し伸べた。
それに対してレンデュラは明らかに戸惑っている。
「それはなんだ?」
「握手ですよ。お互い武器で戦わないという意思表示と共に社交性の証でもあります。人間社会の交渉において重要な儀礼の一つとなっています」
レンデュラは流石に訝し気な表情をしているのが雰囲気でわかったが、しぶしぶディンの手を取った。
「よろしくお願いします」
「うむ。よろしく……」
手を握ったことでディンは確信する。
レンデュラという魔人は、人間を知ろうとしている。人間の生態を詳しく調べ、それに馴染もうと努力している。
その奥深くにある理由を考えた時、一つの仮説に辿り着き、ディンは背中に悪寒が走った。本当は可能性として考えなければならなかったのに、無意識のうちに考えなかった部分。
恐る恐るディンは立ったまま問いかける。
「最初の質問です。ロキドスの死後、あなたを含めた七大魔人のうち二体は未だ行方知れずです。もう死んだという噂も流れていますが、真相は?」
「……それを知る意味はあるのか?」
「人間は意味がなくても好奇心を満たしたい生物なのです」
レンデュラはここで長考する。
「キリが口を滑らせたからどうせ知ることになる。誠意を示すためにも話そう。ダチュラとカルミィはすでに死んでいる」
「えっ?」
唐突に告げられた事実に少しの間固まる。
「死んだのは……なぜ? 普通に考えて魔人を倒せる人間はいないはずです」
「さあな。私も湖の底で死体となっていることを聞いただけだ。基本、魔人同士は関わりを持たない」
ディンは心の奥で動揺を押し殺す。
サンソニアの湖の底を調べれば、魔人たちの計画の一端が見れるという報告はすでに聞いていた。
死体として発見された二体の魔人。それが意味することに気づき、ディンは自分の致命的な見落としに気づく。
――私は魔王を倒していない
この言葉をきっかけにディンは転生した魔王の正体に近づき、殺された。その経緯からディンは自分を殺したのは魔王ロキドスだと思い込んでいた。
だが、それが希望的観測だったことにこの時気づいた。
不治の病を治す魔道具の作成年月はおおよそ五年、転生魔術というものがあるなら難易度はそれより高く、十年以上かかってもおかしくないとシーザは言っていた。
だが、ロキドスは百年以上の月日をかけて計画を立てている。
転生魔術の魔道具を一つ作るのに二十年かけたとしても、百年の間に五つ作れる計算だ。
複数の魔人が転生できる余地は十分ある。
ダチュラとカルミィはずっと姿を見せてなかったのだから、可能性として頭に入れておかなければならなかったのにディンは無意識のうちに考えないようにしていた。
転生しているのはロキドスだけだという希望的観測の元、推論を積み上げていた。
そして、それは間違いだとこの時気づく。
もはや疑いのない事実。
死んだダチュラとカルミィはすでに人間に転生している。
つまり、人間の皮を被る魔人が三体いる。
となると、ロキドスが直接手を下すとは思えず、ディンを殺したのは魔人二体のどちらかの可能性が高く、ロキドスは魔術師団内にいない。
積み上げた推論が音を立てて崩れ落ちていくのを感じ、一瞬頭が真っ白になる。
「黙り込んでいるが……質問は終わりか?」
昆虫のような双眸にぎょっとなり、口ごもる。
よぎった最悪の仮説。
他の魔人も転生する予定があるという可能性。
脳内に蠢くおぞましい想像を振り払う。
(落ち着け。まだ俺が優位だ)
魔人たちは人に転生していることに気づかれていると思っていない。
そして、ディン・ロマンピーチが転生して生きていることを知らない。
この優位性を生かせば、一網打尽にできる。
ディンは気持ちを落ち着かせて、笑顔の形を作る。
「これからが本番です。色々と質問させていただきます」
今やるべきことが明確になった。
(こいつからロキドスの情報を搾り取る)