第102話 勝った
魔力を吸収する金色の蝶は役目を終えたように半数は液体化して地面に溶けたが、ミレイの周囲には大量の蝶が未だ舞っていた。
その中には金色の蝶も多数含まれている。魔力を吸い取る吾亦紅蝶の効果は消えたが、風魔術への耐性を持つ蝶であることに変わりはない。
それを踏まえると風魔術を全面的に使って戦うことは得策でないとフローティアは判断。
フローティアは自分が唯一持つ魔道具を使うことを決める。
それは最善ではなく、追い込まれた末の苦渋の選択だった。
ポケットから取り出したのは剣の柄。
一級魔道具、器の魔剣。
強く握りしめることで、使い手の器を測る。剣を扱う器を持つ者だけにその剣は反応する。
北部オキリスから王都に流れてきた製作者不明の魔剣だ。フローティアはそれがどこまで本当のことか知らない。ただほとんどの人間がこれを握っても何も起きないことは知っていた。
フローティアが強く握ると、それは呼応し刀身が燃え上がるように紅色に染まる。
「魔剣か……それがあなたの本当の剣ね」
「本当は使いたくなかった……」
その先の言葉をフローティアは言わなかった。
この剣は切れすぎる。ゆえに人に向けるのは相応の覚悟が必要だ。
が、他に負けない選択肢をフローティアは持っていなかった。
目の前を舞う蝶に向かって、振り下ろす。
きれいに真っ二つとなり、切り口が赤く燃え上がる。
魔剣は魔術を飛ばすタイプのものもあるが、フローティアの持つものは切れ味を追求したタイプだとわかった。
ただそれをあえて教える行為がミレイは癪に障った。
「あなたのそういうところ、やっぱり気に入らない!」
ミレイは躊躇なくフローティアに向かって突っ込む。
魔剣を構えるフローティアの視界の上から垂れ幕が下がるように蝶の大群が降りてくる。
動線を切られたがフローティアは慌てることなく、タイミングを計って蝶の壁に水平斬り。
横一直線に斬れた切れ目が赤く燃え、熱から逃げるように蝶は上下に舞い、幕が上がる。が、その先にいるはずのミレイはいない。
逃げた蝶の大群がフローティアの左右で舞い止まる。
右か左。フローティアの視線がわずかに迷い左右に揺れ動いた瞬間、ミレイは左から蝶の壁に突っ込み、フローティアの懐に飛び込む。
がら空きの脇腹に肘打ち。
「ぐっ」
まともに入り、フローティアは一瞬息が詰まる。そのまま身体を滑らせるように腹部へ強烈な突き。
腹部にめりこみ、フローティアの身体が浮き上がる。と同時に地面から吹き上がる異様な風でミレイの両足もわずかに浮いた。
宙にいたのは一瞬だが、ミレイはわずかにバランスを崩す。
フローティアはその腹部に左手を添えた。
「突風」
直撃を受けて、ミレイは地面に何度も叩きつけられながら、はるか後方に吹き飛ばされる。ゼロ距離からの突風は常人ならすぐに立つことはできない。
一気に仕留めるため、フローティアは一気に距離を詰めようとするが、身体に強烈な痺れを感じ動きが止まる。
蝶魔術の使い手との戦いで呼吸するのは危険。毒・痺れ・眠りなど状態異常を起こす鱗粉を飛ばす。
わかっていても、防ぐのは困難だ。
フローティアは周辺に舞う蝶を暴風で吹き飛ばす。ミレイも立ち上がるが、ダメージが残っているのか足はわずかに震えていた。
だが、表情には一切出さない。
「私の勝ち」
ミレイは断言する。呼吸を止めながら戦っていたため、一度深く呼吸して構えをとる。
「まだ動ける」
蓄積した分も含め、痺れで動きがままならないが、迷わずフローティアは突っ込む。
「蝶隕星」
ミレイが指差して一言。フローティアは頭上を警戒するが、それは後方から飛んできた。
フローティアの右太ももを貫通。
痛みを歯で食いしばり、強引にミレイの間合いに踏み込む。
が、ぐらりと態勢が傾いた状態で踏み込む足に力が入ってない。ミレイはそれを見逃さず、踏み込んだ足を踏みつぶし、斬りかかる腕をとる。
「蝶々結び」
右肩、右肘、右腕、剣まで大量の蝶が群がり完全に固定。
即座にミレイは距離を置く。
フローティアは風で身体の粘着物を吹き飛ばそうとするが、前回のものより強力なのかなかなか剥がれない。
「魔力をかなり込めたから蝶の粘着物も強力なの。これで終わり」
身体の痺れだけでなく、右腕の可動を限りなく封じ、魔剣も粘着物で覆い使えなくした。
が、フローティアは己の右腕の関節部分に小さな風斬り刃を発動。
剣を最低限振れるようにしてから、構える。剣や腕にこびりついた蝶を剥がす余裕はフローティアにない。すでに魔力は限界まで使っており、残るのは最後の一振り。
時間を置けばフローティアは動けなくなるのがわかっていたが、勝利を確信したミレイは迷いなく間を詰める。
フローティアは極めて冷静だった。追いつめられていたが、ただ頭の中がクリアで目の前がとても透き通った状態。ゆえにミレイの動きもよくわかった。
重心をわずかに落として脇腹に叩き込む三日月蹴り。
ミレイはフローティアがほぼ動けないと確信していた。そして、動けたとしても魔剣はすでに封じている。
だから、三日月蹴りを出すより速く自分の懐に剣が飛び込んでくるとは思わなかった。
蝶がまとう魔剣。斬れないと思っていたが、その切っ先を見た瞬間斬られると確信した。
身体が真っ二つになる死の予感。
時が止まる。じりじりと近づくフローティアの銅斬り。
ミレイは瞬時に重心を落としてかいくぐる。
フローティアの懐にもぐり、強烈な突き。
腹部を抉り、そこでフローティアは完全に意識を失う。
その身体をミレイは受け止める。
ゆっくりと地面にフローティアの身体を置いて、ミレイは息を吐いた。
「勝った」
そう口にするも少し複雑な気分だった。
最後の一撃、ミレイは避けることができなかった。あれをまともに食らえば、身体が真っ二つになっていた。そんな意識がフローティアの中にあったため、自然と腕の振りが鈍り避けることができた。
「勝たせてもらった……ってところかな」
勝つことが目的じゃないのに最後は勝つことだけしか考えていなかった。やや目的とずれたことをしてしまったが、一歩進んだのも間違いない。
ただミレイは不吉なものを感じずにはいられなかった。
もしディンが踏み込んでいけない場所を超えたのなら、それは大きな闇に触れたことを意味する。
「私も覚悟を決めないといけないかもしれない」
気絶したフローティアをじっと見る。ディンの失踪と関係していないとフローティアは言った。その時の眼を思い出す。
「魔人のような魔力だけど、この子は普通の人間……とても真面目でほんの少し不器用な子」
嘘はついていないと確信する。ただゼゼ魔術師団すべてを信頼できるわけではない。ミレイは次の行動に移すべく、頭を切り替えた。
ダーリア王国はもしかしたら何か大きな陰謀に包まれているのかもしれない。どれだけ大きいのか、中身がどんなモノなのか想像もつかないが、自分の中で確かなことは一つ。
「ディンを救う」
そのためにはどれだけ多くの敵を作ろうと、どんな犠牲も惜しまない。
揺るぎないミレイの双眸は無限に広がる空へ向かう。
両手を合わせて、ゆっくり広げ、空に舞うのは無数の蝶。
幻想的な蝶はいつも見守るように空からミレイを見下ろしている。
「私にはいつだって伝説の魔術師がついてる。誰にも負けない」
ミレイは自分の覚悟を空に向かってつぶやいた。
5章完。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
5章に約2カ月かかりました……更新の間、ブクマや評価、いいね等で応援してくれた読者の皆様に感謝です。
感想やレビューもありがたかったです。
6章のダンジョン編も読んでもらえればとても嬉しいです。