第101話 こんなに強い魔術師がいるんだ……
魔術師として真正面から戦えば負けることをミレイは即座に理解した。
ミレイは展開速度重視のため、ほぼ中級魔術のみに習得を絞っており、手数は多いが、威力に難がある。もはやミレイの中級魔術では圧倒的魔力に包まれるフローティアに傷一つつけることはできない。
ディンから貰ったとっておきの魔道具を使えば勝てる試算はあったが、対人で使う気は鼻からなかった。
魔術師としての差を理解した上でなお、ミレイは落ち着いていた。
幼いころ祖母ミレイヌから勇者物語を聞いて育った。ほとんどの人間にとって魔人は遠いおとぎ話の登場人物だが、ミレイにとっては違う。
――まだこの魔人たちは生きている
そう言い聞かされて育ってきた。だから、魔術師になったときからミレイは想定していた。
魔人と戦いそれに打ち勝つ方法。
すなわち圧倒的魔力量を覆す方法。
「予行演習になるかな」
すでに勝利の布石は打っていたが、それを生かすには攻める姿勢を見せる必要がある。
ミレイは深く息を吐く。
圧倒的魔力量を目前にミレイは構えを取った。
フローティアはまだ足がおぼつかないことを認識していた。
身体の自由が利かないが、風で舞えば動くことはできる。
そして、風で視界に映る蝶を吹き飛ばすことも容易だ。
しかし、念には念を入れて空を舞う蝶をすべて切り刻むことにした。
剣を握り、空に向かって斬り放つ。
――暴風斬
一振りで広範囲に放たれる無数の暴風の斬撃。
空高く舞っていた大量の蝶が切り刻まれて、墜落していく。
視界に漂う蝶はすべて消えて、目に映るのは対面するミレイのみ。
ミレイは微動だにせず、ただ構えていた。
その眼はフローティアを見ているようで見ていないことにフローティアは気づいた。狙いがあるのは伺えたが、それが何なのかわからない。
少なくとも蝶魔術の使い手は近接戦闘が弱点というセオリーはミレイに通じない。
近づくことが最善でないのなら、無理に近づく必要はない。
風魔術は距離を置いて戦うことも得意としている。
フローティアはミレイに向かって右手を突き出す。
フローティアが選んだのは己が最も得意とする単純な風魔術。
――突風
ミレイはそれに全く対応できなかった。
「うっ」
わかったことは腹部に衝撃が走り、一瞬で後方に吹き飛ばされたこと。
風の魔術による見えない突き。今まで見たことがないほど射出速度が速く、起き上がるミレイは信じられない表情に変わる。
――突風
ガードをするも、両腕の衝撃と共にガードが剥がれて後方に再び吹き飛ばされる。
「嘘でしょ……こんな破壊力」
きわめて単純な風魔術。風魔術の使い手が最初に学ぶ初歩魔術。
だが、魔術覚醒したフローティアが使えば、人間を破壊するのに十分な技となる。
両手で連射も可能で魔力消費も極めて少ない。
膨大な魔力を持つフローティアなら……ほぼ無限に撃ち続けられる。
――突風
起き上がる瞬間、撃つ。ガードが利かずミレイは後方に吹き飛ばされる。
一定の距離を保つため、ミレイが吹き飛んだ分フローティアはゆっくり前進。
――突風
後は起き上がらなくなるまで、繰り出すだけ。
――突風
吹き飛んだミレイは立ち上がらない。
近づかず、じっと遠目でそれを観察する。
(終わりかな)
フローティアにとって戦いは単純だ。余計な工夫など必要なく、ごり押しすれば基本勝てるから。
だから、フローティアはミレイの術中にはまっていることに気づかなかった。
フローティアが立つ位置には大量の蝶の死骸があった。
ミレイの蝶は魔術で作り出したものであり、死という概念はない。
フローティアが死骸と思い込んでいたのはミレイの魔力であり、死骸はじわりじわりと液体となり形を変える。地面に描かれるのは魔術印だ。
倒れ込んだまま唱えるミレイの魔術語が構築するのはミレイ自身で開発した特級詠唱魔術。
「吾亦紅蝶」
魔術語を締める結び語と共に地面の魔術印が光を放ち、それは展開される。
光を放った後、そこから大量の金色の蝶が飛び出してくる。自分の周囲に舞う大量の金色の蝶にフローティアは身構えるも、攻撃は飛んでこない。
しかし、異変にすぐ気づく。自分の魔力がその蝶から吸い出されていた。
フローティアは高く舞い上がり、地上近くを漂う金色の蝶の大群に突風を放つ。大量の蝶に直撃し形が崩れるが、再び蝶の形となり何事もなかったかのように舞う。
二つの気づきを得る。
蝶への攻撃は意味がないこと。
金色の蝶から距離を追うことで魔力を吸い出す現象が止まったこと。
近くにいる対象の魔力を吸う蝶だとフローティアは理解する。
上半身のみ起き上がったミレイは両手を合わせる。
「フローティア。あなたはとても才能がある……でも、その才能に甘えてるのがあなたの弱さよ」
ごり押しするだけの単純な戦いで勝ててしまう。だからこそ、戦闘における細かい工夫がないというフローティアの弱点にミレイは気づいていた。
ミレイは両手を広げて地面を叩くと、金色の蝶が分裂してさらに数を増やした。
ミレイの周囲だけでなく、気づけばおびただしい量の蝶が舞っていた。
フローティアはミレイに向かって突風。
ミレイの周囲にいる金色の蝶が壁となり、ミレイを守る。
一匹一匹の質量が軽いはずの蝶が吹き飛ばされない。発光と同時に魔術が消失し、魔力が吸収される。
「まさか……魔力の同質化?」
フローティアの魔力を吸収したことにより、一時的に風魔術への耐性ができていた。
ミレイが両手を叩くと、目の前の蝶の大群はさらに分離して倍に増えた。魔力を得るほど、蝶は力を得る。もはや数えることすら不可能なほどおびただしい数の蝶がフローティアの周囲を舞っていた。
刺激を与えないよう宙にいたフローティアはじりじり高度を落とし、気づくと地に足をつけていた。くるくるとフローティアの周囲を旋回し、その包囲がじりじりと狭まる。
「蝶々籠」
フローティアは再び蝶の籠に閉じ込められる。
先ほどと違うのは先ほど以上にその数が膨大であり、籠の中で舞う蝶から魔力を吸い取られること。
(何もしなくても魔力を奪われていく)
「あなたの魔力、限界までもらうね」
フローティアは自分が完全に絡めとられたことに気づいた。
吾亦紅蝶の効果は二百数えれば自然と消える。
しかし、それだけあればたいていの魔術師の魔力をあらかた吸い尽くすことができる。籠の中にいるフローティアは今も魔力を吸われ続けていた。
「で? ディンと会って何を話したの?」
フローティアはわずかに間を置いて口を開いた。
「これは独り言……ディン・ロマンピーチは討伐記録全書の空間に入ることを魔術師団に要求した。私はその手続きをするために彼と会った」
魔術師団が作った魔族討伐の情報記録書。その存在を知っていたが、ミレイとしてはピンとこない。
「それって誰にでも見られるものじゃないの?」
「見れるけど、彼が求めたのはその原文」
原文ということはディンが見ようとしたのは魔族討伐以外に記載された部分だ。
ディンの行動にミレイは疑問を抱くが、ふと思い出す。
――私は魔王を倒していない
勇者エルマーの最後を看取った時に死に際に放った言葉。ミレイは全く気にしていなかったが、ディンだけは何か引っかかったのか色々と調べまわっていたことを今さら思い出す。
ミレイは不穏なものを感じとる。
「そこに入れるのはゼゼ魔術師団の上層部だけ?」
フローティアはそれに答えない。気づくと、籠の中に落ちていた自分の剣を拾い、それで地面に何かをゆっくり描き出した。
魔術印だとミレイは即座に理解する。
「心配しなくてもこの質問に答えてくれたら出してあげるわよ」
「自分で出るから別にいい」
「あなたにはできないよ」
「ロキドスと戦うとこんな感じなんだろうね」
魔術印を描いたフローティアは剣を捨てて、両手を合わせる。
「ロキドスの吸収。一見無敵に思えるけど、これは穴がある。魔力を蓄積する飽和量がある。そこに達すれば、吐き出す行為が必要になる。限界を超えて蓄積はできない」
フローティアは魔術師と戦う時、いつも自分に枷をかけている。
相手を殺さない努力。
それは大げさでもなく、フローティアが常に意識づけしていた。なぜなら心のままに魔術を放出すれば、ほとんどの魔術師は死ぬから。
――他の魔術師は相手にするな。本気でやると全員死ぬ
ゼゼからの忠告をフローティアは律儀に守っていた。
だが、フローティアは今、自分の中でその枷を外した。
「ミレイ……お願いだから死なないでね」
心からの言葉を述べた後に唱えられるフローティアの特級詠唱魔術。
ミレイはフローティアの言葉の意味を理解し、両手で地面を叩き、さらに蝶を出現させる。
蝶の大群が一斉に籠に集まり、フローティアを覆う。
一点に射出する魔力でも吸収できるとミレイは確信していたが、フローティアの詠唱が終了して魔術が展開される瞬間、嫌な予感が巡る。
気づくとミレイは後ろへ駆けだしていた。
「神風」
フローティアの両手に閃光。
爆発音と同時にそれは照射される。
放射状の強力な風の魔力は、豪雨で激流と化した透明な大河のようで、蝶の籠を一瞬で叩き割った。
間一髪ミレイはその放射を避けるが、魔術が放たれた先を見て呆然とする。
地面が深くえぐれ、それがどこまでも伸びていた。まるで災害だ。
「呆れた」
フローティアを覆う蝶の籠も魔力を急速に飽和限界まで吸ったせいか、形が崩れて溶けていき、フローティアはゆっくり歩いて脱出。
だが、限界まで魔力を吸い出したことをミレイは確信していた。
「すごいね。でも、限界でしょ?」
「ミレイ。あなたは自分の尺度を信用しすぎてる。思い込みが少し激しいところが、あなたの弱点ね」
「何言って――」
一歩二歩近づくフローティアがゆっくり両手を合わせる。ほぼ尽きたと思われたフローティアの身体から魔力がほとばしりうねりを上げた。
それは今のミレイよりも多い魔力量だ。
想像のはるか外。ミレイにとって信じられない出来事。
ミレイは恐怖を通り越して、笑ってしまった。
「こんなに強い魔術師がいるんだ……」
ダーリア王国の魔術師に対し、どこか偏見を持っていた。それはディンがよく思ってなかったというだけではない。過去に相対した人間が原因だ。
ミレイはゼゼ魔術師団序列一番と呼ばれる男と戦った経験がある。
が、その男は魔術師としての気概もなく言葉も態度も軽く、ただ苛立たせることだけは一級品の不快な人間だった。
あれ以来、ゼゼ魔術師団というものをどこか軽く見ていたが、目の前の人間は別格だ。
ニコラという尊敬する魔術師がトネリコ王国にもいるが、フローティアは間違いなくニコラより強い。
「あなたの言う通り討伐記録全書の空間に入れるのは、限られた人間だけ」
魔力をまとったフローティアはそう言いながら構える。
「なら当然、あなたも入る権利はあるんだよね?」
ミレイもそれに応じて構える。
「あるけど……私はその空間に入っていない。ディンの失踪と私は何も関わっていない」
フローティアは静かに告げる。証拠もないがミレイはそれが嘘じゃないとわかった。
フローティアは話せることを全部話し、ミレイも聞きたいことを全部聞いた。
それでも二人は戦うことをやめようとしなかった。
ここまで来たらはっきりさせなければならない。
――どちらが強いのか
あらゆる思惑が消えて、二人は相手を倒すという純粋な思考のみに意識を集中させた。




