第100話 やっぱり一筋縄ではいかないか
トネリコ王国の魔術師はダーリア王国の魔術師に勝てない。
フローティアの指摘は間違っていない。
最たる理由はゼゼが与えた恩恵だ。
中級、及び上級魔術を無詠唱で展開する魔術開放は、ダーリア王国の魔術師にとって圧倒的優位性となる。
トネリコ王国の魔術師は膨大な魔力と魔術を持つ強者揃いだが、下級魔術以上の展開には詠唱もしくは魔術印が必須であるため、編成を組んで戦うのが一般的だ。
つまり、一対一の戦いでは詠唱に時間を割く必要があるトネリコ王国の魔術師は致命的に不利となる。
だが、フローティアはミレイ・ネーションが簡単に勝てる相手でないとわかっていた。フローティアはミレイを観察する。
トネリコ王国の秘儀である継承魔術。特別な魔術の才能を引き継ぐために生み出されたものだが、失敗することも多い。
魔術師として機能不全となる人間を数多く生む一方で、成功した時の見返りも大きい。トネリコ王国は特別な魔術を継承させることで人工的にそれらを生み出す。
突然変異のような隔絶した実力を持つ魔術師。
「ミレイヌ様の魔術を継承したんだ?」
ミレイはそれに答えないが、ミレイの周りに漂う蝶からそれは明らかだ。色彩豊かな蝶は一匹一匹存在感を放っている。
勇者物語にも出てくる蝶魔術はトネリコ王国で伝説の魔術と言われている。
それを継承した孫のミレイと戦うということは伝説の魔術師と戦うことを意味する。
遥か遠くにいる伝説の魔術師が目の前にいるような気がして、フローティアはほんの少し頬が緩む。
が、だからこそ気を抜けない。
よって、フローティアは躊躇なく自分の持つ優位性を行使する。
――魔術解放
両手を合わせた……はずなのに手の甲の魔術印が光らない。自分の手のひらに違和感を感じ、視線を落とす。
両手の間に綺麗な蝶がまんべんなくついていた。
粉のようなものが大気中に舞っており、フローティアは呼吸を止めて、蝶ごと風で飛ばす。
「普通ならそこで終わってるのにな」
ミレイは躊躇なく一気に距離を詰めてくる。
(蝶魔術の使い手が接近?)
反射的に剣を抜いて一歩踏み込み斬り上げるが、ミレイは楽々かいくぐる。
懐に入り、フローティアの顔面めがけて左拳を突き出すが、それはフェイク。
一歩踏み込んだ足でフローティアのつま先を踏み潰し、固定。
「くっ」
直後にミレイは両手でフローティアの左腕を掴む。
「蝶々結び」
フローティアは周囲に勢いよく風を吹かせ、強引にミレイを引き剥がした。
が、すぐに左ひじから先の違和感に気づく。
大量の蝶にまとわれていた。風で強引に引き剥がすが、異常に粘着性がある物質が左手にこびりついて剥がれない。
「はい、魔術解放封じ」
両の掌を合わせて、展開される魔術解放。
魔術展開速度を劇的に上げるダーリア王国の秘儀。
トネリコ王国の魔術師からすると反則としか言いようのない技だ。だからこそ、初手でミレイはそれを潰した。
「結局さ。ゼゼ魔術師団はゼゼ様の恩恵を受けてるから強いだけでしょ?」
その言葉にフローティアは思わずムッとなったが、反論はできない。魔術解放はゼゼの力を一時的に借りているに過ぎない。魔術解放で特別な力を持った気になり、自分の技量を鍛えてない団員が少なからずいることをフローティアは知っていた。
左手をまとう粘着物を一瞥して、ミレイに視線を戻す。
蝶魔術は距離を保って戦うのが基本だが、ミレイは躊躇なく接近してきた。
「大胆な攻撃するね」
「距離を取って戦う魔術師だと思った? 固定観念にとらわれるから足元をすくわれるのよ」
「そうね……あなたは正しい」
フローティアは両の掌を地面につけて、想像をする。
エルフの森にあると言われる魔術と魔力の神殿。魔術解放は、ゼゼが持つその外部仮想領域に一部接続し同期することで無詠唱展開を可能とする。
「重要なのは繋げるという意識を持つこと」
――魔術解放
魔力が一気にあふれて、フローティアは強力な風で身体が舞い上がる。
その出力で左手の粘着物もあっという間に剥がれ落ちた。
「えっ?」
ミレイは呆気に取られる。
魔術解放の発動条件は身体に刻まれた魔術印を起動させることにある。身体への合図として接続のイメージを作るのが重要であり、掌を合わせるのが一般的だ。
が、逆に言えばイメージできるものならなんでもよかった。両手で棒を持とうが大地に両手をつけようが、魔術印は起動する。
もっともそれは誰にでもできることではなく、ほとんどの人間にはできない。
「……やっぱり一筋縄ではいかないか」
宙を舞うフローティアを見上げながら、ミレイの口元がわずかに緩んだ。
上空を舞うフローティアはミレイを見下ろしながら確信していた。
(蝶魔術は風魔術と明らかに相性が悪い)
蝶魔術は蝶を媒介して多彩な攻撃を可能とする。
しかし、一匹一匹の蝶の質量は軽く、簡単に吹き飛ばせる。
フローティアは最適解を一瞬で導き出す。
常に出力の高い風をまとい続ける。
フローティアはすでに自分の勝利を確信していた。
蝶々結びのような下級魔術ならともかく、中級魔術以上を放つのにミレイは詠唱が必須だ。
(魔術の撃ち合いになれば、絶対に私が勝つ)
「蝶隕星」
まとった風の壁を悠々突き破り、フローティアの右腕を極小の塊が貫通する。
「ぐっ……」
起きた出来事の速さに理解が追いつかない。
地に立つミレイは長々と詠唱せずに、口にしたのは結び語のみ。
攻撃を受けた方向を見上げる。
自分よりさらに高い場所を舞う大量の蝶。
「蝶隕星」
蝶が赤く発光し、すさまじい速度でフローティアに向かう。あまりの速度に蝶は形を歪ませ小さな豆粒のような大きさで今度はフローティアの右足首を貫通。
「ッ!」
痛みは伴うが、致命傷ではない。
出力が低く、急所さえ避ければ問題ないが、疑問は解消されない。
威力からして中級魔術であり、簡易詠唱もしくは魔術印は必須になる……はずだが、ミレイは詠唱も省き、魔術印すら描いていない。
「蝶星屑」
宙を漂う蝶の一軍が赤く発光し、フローティアの危険信号が激しく鳴る。
ミレイは結び語のみで魔術を展開している。
「……なんで?」
勢いよく斜め上後方へ飛び、間一髪で赤星の大群を避けるが、頭の上が影で覆われていることに気づく。
「蝶々籠」
フローティアの上空に無数の蝶が舞い、それがぐるぐると籠の形を作り、あっという間にフローティアを覆っていく。
伝説の魔術師、ミレイヌ・ネーションの得意技。
膨大な蝶でできた籠は少しでも刺激を与えると、毒と麻痺の粉を飛ばす。主に対魔獣への罠として用いられることが多い魔術だ。
が、有名でありすぎるゆえに弱点もはっきりしている。
籠の持続力は短く刺激を与えなければ、自然と蝶がその場から離れて、対象を囲む籠はなくなる。
動かず何もしなければいい。
フローティアは風の出力を最小限に抑え、蝶を刺激しないようにじっとする。
蝶の籠はじわりじわりと高度を下げていき、フローティアもそれに合わせるように高度を落とす。
二階建ての家程度の高さまで落とした時、視界に突如出てきたのはミレイ。
籠の外から躊躇なく飛び蹴り。
フローティアの腹部にめり込み、周囲の蝶も激しく瞬き、大量の粉が散乱する。
ミレイはゴーグルをつけて息を止めていた。
飛び蹴りをまともに食らい、地面にたたきつけられたフローティアへ一気に距離を詰め、ミレイはその首を抑え込む。
片手には大量に掴んだ蝶をフローティアの顔面付近で握りつぶし、大量の粉が散乱。おまけに拳を顔面へ叩きつけた後、即座に離脱。
フローティアは強制的に目と鼻と口に粉が吸収されるも、なんとか立ち上がる。
「死なないから安心して。でも、すぐに痺れてまともに動けなくなるから」
ミレイは淡々と喋り、念のため特製の解毒剤を口に含む。
「白色の蝶はおばあちゃんの特別製だから、ほとんどの魔獣に有効よ。人間で効かない人はいないと思う。普通の解毒薬は効かない」
ミレイはゴーグルを外し、両手をゆっくり合わせ、すぐに開く。
両の掌から再び大量の蝶が舞う。
蝶魔術は最も気品があり美しいと言われているが、ミレイの戦い方はそんな言葉とは程遠い。
ただ効率性のみを重視したような戦い。
この時、フローティアは自分の大きな間違いに気づいた。
(相手はミレイヌ・ネーションじゃない。孫のミレイだった)
魔王討伐した勇者一行である伝説の魔術師。文献や資料でその戦いぶりを知っていたことが逆に仇となっていた。
が、それを加味してもミレイは明らかに異端の魔術師だった。
トネリコ王国から代々伝わる魔術師たちの伝統は、高出力の魔術を極めることにある。
編成を組み、前衛が戦いをしのぐ間に一撃で敵を狩る魔術を放つ。
編成を組み、前衛に一撃で仕留める力を魔術で授ける。
――一撃必殺
受け継がれる伝統的思考。
しかし、ミレイは伝統的なトネリコ王国の魔術師に染まっていない。
魔術師としての期間が浅い以外にもう一つの大きな理由はダーリア王国と深く関わりを持つという点だ。
ダーリア王国出身のフィアンセがおり、その男が持つ数多くの魔道具に触れ、ミレイは魔術の展開速度と手数の多さこそ重要という思考が身についた。多撃必倒という対極の戦い方。ミレイの魔術師としてのアイデンティティに最も影響を与えたのは、ディンだ。
フローティアは動く気配がないのでミレイも距離を置いてそれを見ていた。
時間が経つごとにしびれでフローティアは動けなくなる。
手に持っていた剣を痺れから手放し、フローティアは両足を膝につけた。
「限界みたいね」
「ミレイの蝶の……模様には共通点がある。すべてが眼状紋。そこにあらかじめ魔術印を刻んでいる……だから、詠唱せずに中級魔術の展開ができる」
「ご名答。私も教えたんだから、あなたにも答えてもらうわよ。でないと不本意だけど――」
背中から風の最大出力を出し、フローティアは加速。
一瞬で距離を詰めてミレイの胸部に肘打ち。
ミレイはそれをぎりぎり両手で受けて、バックステップで衝撃を和らげるも後方へ吹き飛ばされる。
即座に起き上がるが、フローティアはその場でうつむき気味に佇んでいた。
身体中の痺れで動きが鈍っているのは明らかだ。
「強引に風の爆発力で吹っ飛んでくるなんて……綺麗な顔してるのに意外に野蛮なんだね」
「ありがとう。ミレイ……」
ポツリとフローティアはつぶやく。
「昔の私、思い出せそう」
そう言ってフローティアは微笑み、両手を合わせる。
ゆったりした動きはどこか品があり、見る者を魅了する。
だが、ミレイは会話の最中にも次なる手を上空に完成させていた。
右手を掲げると、フローティアの上空に瞬く無数の蝶が赤く発光して反応する。
「蝶星屑」
結び語を合図に蝶の数々が流れ星のようにフローティアへ降りかかる。
「魔術覚醒」
結び語が凛とした声で響きわたるのと同時に爆発するような衝突音。
フローティアを中心に巻き起こる竜巻のような風にミレイは吹き飛ばされる。
「はあ!?」
ミレイは何が起きたか理解できなかった。砂塵が舞い上がり、フローティアを覆う。言葉にならない圧力と動悸の高鳴りだけははっきりしていて、反射的にミレイは構えをとる。
やがて砂塵が風で流れてフローティアが姿を現す。フローティアを中心に渦を巻く透明な魔力は、万物を近づかせない神々しさを放つ。
弱き生物は近づくことさえ許されない。その圧倒的魔力に思わず目を見開き固まる。
噂に聞いたことのあるダーリア王国の秘術。才能ある者のさらに上位の魔術師のみに授けられる術式。
魔術覚醒。
ダーリア王国はトネリコ王国と違い、ほぼすべての魔獣を討伐し平和を手にした。それと引き換えに、近年ゼゼ魔術師団の人材流出が止まらず弱体化の一途を辿っているのはトネリコ王国でも有名な話だ。
実際、六天花も王族や勇者の孫、大貴族の娘など広告塔のような存在を抜擢しており、強さ以外の価値を見出されてその地位にいるのが半数近くを占める。
だが、そんな中でも純粋な実力のみでのし上がった者も少なからずいる。
ゼゼに吸い寄せられるようにダーリア王国に自然とそれらは現れる。
突然変異のような隔絶した実力を持つ魔術師。
「フローティア・ドビュッシー……か」
ミレイは神々しい風の魔力をまとうフローティアに見とれている自分に気づいた。