116限目 思い出すことはなかったけども
「陽向が大病になろうが! 事故を起こそうが起こされようが! それで大怪我をしようが! 何があっても何とかしてあげられるように、姉ちゃんは働いてるの! だから、学校に行きたくないならそう言ってくれなきゃ!」
「姉ちゃん……」
「で!? 陽向はどうしたいの!?」
「……俺は……」
学校に行きたくないと、言う訳じゃない。友達もいるし、クラスメイトはいい奴らで、遊ぶのも楽しいし、勉強は苦手だけど嫌いな訳じゃない。……ただ、そこにメンヘラが集合しているという事象があるだけ。
「……あの女の子たちと、離れたい。出来れば、あの子たちが引っ越してくれればいいと思ってる。でもそれが無理なこともわかってる」
だったら、離れるなら俺が逃げるしかないこともわかる。でも友人を失いたくないことも本当のことだ。
「学校には、行きたい。働きたくない訳じゃないけど、流石に高校は行きたい」
そして何より、今は……。
「実川さんと別れたい。雅紀さんが治療を受けるって言ったんなら、俺が付き合ってる理由なんてないから……」
「そんなの、陽向がどうこうする必要なかったんだよ! ……って、私が言える立場じゃないか……陽向はきっと、そうすれば私が元気になると思ってそれを承諾したんだもんね……」
「それは……でも、姉ちゃんのせいじゃ……」
「……まぁとにかく、陽向は現状、友達がいる学校には行きたいけど、その子たちには会いたくないし、彼女さんとは別れたいんだね?」
「……うん」
少し遠慮気味に頷く。そんなの姉ちゃんにだってどうしようも無いはずだ。学校側に相談したところで、精々できるのは来年のクラス替えの考慮だけだろう。まさか接触禁止とかにできる訳でもないし、当然転校させることなんてできない。何でもそうだが、逃げなければならない、環境を変えなければならないのはいつだって被害者側だ。なんて理不尽な世の中なんだ……。
「……とりあえず一旦学校は休もう。学校とお母さんには姉ちゃんから言っとくから」
「え、でも……」
「でも、じゃないの。このままじゃ精神磨り減るでしょ」
ぐうの音も出ない。ド正論だ。春からずっとまとわりつかれて、確かに俺は現状でもかなり参っている。休んでいいのか、こんなことで……とは思うものの、俺の姉ちゃんへの信頼はでかいので、休むことを提案されて脳が急速に休憩モードに入ったらしく、俺はそのまま机の上に突っ伏した。
「任せな陽向。全部が陽向の希望通りに行くことは無いだろうけど、姉ちゃんがなんとかしてあげる! お父さんにも連絡をとって、絶対助けてあげるから!」
「……父さんにも……。……ん? ……え?」
と、父さんにも言うのか、姉ちゃん? 顔を上げて、そう言いたいのをそっくりそのまま表現したような顔で見ると、姉ちゃんは強気そうに笑った。
「実はお父さんとも連絡とってるんだよ、私。……お父さん、私と雅紀のこと知ると、すっごく反省してて……陽向にも、悪いことしたって……謝りたいって言ってる」
「俺に……? 俺、父さんのことほとんど覚えてないんだけど……あ、経済面的な?」
「……違うよ。陽向は覚えてないか。お父さんね、蒸発する前に……陽向と死のうとしたんだよ」
……ファッ!?
「え? し、死の……えぇ!?」
「お母さんと私に、雅紀のお母さんと不倫してたことがバレてね。……最初は私が産まれる前の話。その時できた子供が雅紀。バレたのは私がまだ小さいときで、その時はお母さんも許したらしいし、それから暫く不倫はしてなかったんだけど……陽向が4歳くらいの時かな。そのくらいからまた同じ人と不倫し始めて、今度はお母さんも許さなくてね。まだちっちゃい陽向と心中しようとして、私とお母さんが必死に止めて、その後出ていったの」
愕然とした。……それか。夏に見る夢の正体は、それか!俺自身は全く覚えてないつもりでいるし、今でも信じられてないけど、多分脳のどこかで防衛本能が働いて覚えていたんだろう。いつか危機的状況になった時、思い出せるように。メンヘラにより危機を迎えた状態でもそれを思い出すことはなかったけども!!
「それで、きっと怖い思いさせたから謝りたいって……」
「いや、全く覚えてないから……俺に謝る必要は……」
「とにかく! 動機はともあれ会いたがってるし心配もしてるから、一度顔見せてあげて」
姉ちゃんはニカッと笑った。俺はまだ少し動揺しているが、やがて頷いた。俺としては会う理由なんてほぼないのだけど、まぁ相手は一応、生物学上は父親なのだし仕方ない。
「よし、決定! ご飯の用意とかは諸々やるから、少し休みな。あ、でも洗濯は自分でしてね」
「あ、うん……わかった」
俺は部屋に戻り、とりあえず着替えた。その時、視界の端で向かいの部屋の電気が着くのがわかった。愛が帰ってきたらしい。愛も俺に気づいて、手を振ってきた。
愛は鞄を置くと、スマホを手に取った。すぐに着信が鳴る。
『今日は早いね陽向!』
「あー、うん。色々あって」
『陽依お姉ちゃんどう? 元気になった?』
「元気……うん、まぁ。元気ではあるよ」
『え、なんかあったの?』
……隠すのもだるい。それに明日からどうなるか分からない。俺は、「根深い話になるけど」と前置きをして、愛に隠していた事情を話した。本当は、巻き込みそうになるから話したくなかったけど、姉ちゃんがなんとかしてくれるという安心感が、ストッパーをぶち壊してしまったらしい。
「……だから、明日から暫く学校は休めってさ」
『えー!? 大変だね!? ……もしだよ? もし転向するとか、陽依お姉ちゃんと一緒に住むとかになったら、陽向とは会えなくなっちゃうね』
……たしかにそうじゃん!!何故か転校するにしてもこの家にいる前提だったけど、そうとは限らない!一応近くに今の高校と同じような偏差値の高校があるが、転校先がそこだとは限らない。
「俺としても今の学校の友達と離れたくないし、近い学校に行ければいいんだけどな……」
『難しそう?』
「数人のメンヘラには家の住所割れてるからな。転校したら家に来そうで嫌」
『あー……それはたしかに』
友達とも、愛とも離れたいとは思わない。それが通ればどれほどいいかとは思うが。
『……ね、窓開けて陽向』
「え? ……寒くない?」
『ちょっとでいいから!』
冷たい風がさっきから窓を叩いている。俺は渋々ながら窓を開けた。愛も窓を開けている。
「陽向!」
愛は少し窓から身を乗り出して笑った。
「大変だけど、絶対大丈夫だよ!」
そうやって笑って言われたら、俺としてもそう思えてしまうわけだ。
「……あぁ、そうだな!」
俺も、全部俺の意見を通したいとは思ってない。折り合いは覚悟の上だ。でもなんか、大丈夫なような気がしてくる。好きな子が、そう言って笑ってるからだ。
「またなんかあって、落ち込んでたら何時でも言ってね! 私は……慰めたり、根拠もないのに元気づけるしかできないけど……話は、いつでも聞けるからね!」
「……うん、ありがとう!」
窓を閉めて、通話を切る。愛は窓の向こうで、グッと親指を立てていた。俺も笑って、同じポーズで返したのだった。




