110限目 力を入れずにハグをする
その後、洋服を見るだけ見て──曰く、見るのは楽しいけど試着が恥ずかしいらしい──、3時になった。デートでこの時間といえば、行く場所なんて決まっているわけで、入ったことの無いパンケーキの店に入った。流行は既に去っているがこの店は生き残っているらしい。
「いらっしゃいませ! 2名様ですね! カウンターとテーブルどちらも空いていますが……」
「テーブル席でいい?」
「うん、いいよ」
「畏まりました! あっ、ただいま当店ではクリスマス限定のカップル割引がございまして、特定のメニューが割引されているのですが……お2人はカップルですか?」
「え、あ……は、はい」
「ではハグで証明してください!」
は、ハグ……だと!?俺も細身だけど筋力がそれなりにある。このほっそい実川さんをハグしても大丈夫だろうか。ちらっと実川さんを見ると、期待を込めた目で見てきていた。恥ずかしいが、ここでひよっても仕方ない。期間限定とはいえ、俺たちは今カップルなのだ。
身長差は20cmくらいか。抱きしめるのにはちょうど良く、少し軽めに、力を入れずにハグをする。実川さんは幸せそうに俺の背に腕を回した。
「ありがとうございます! こちらの席へどうぞ!」
……恥ずかった……。俺の顔はもう真っ赤だ。実川さんはご満悦みたいな顔してるけど。
席に着くと、確かにカップル割引対象商品のパンケーキがあった。どうやら、2人分のものが盛られてきてそれを切り分けて食べるらしい。つまりまぁ、2人で商品をひとつ選ぶことになるようだ。
「ええと、どうする? 割引されてるの食べる?」
「うん、折角だし……」
対象になっているのはいちごソースが沢山かかったもの、シンプルにバターとはちみつのもの、チョコのもの、キャラメルがかかったものの4つだ。
「陽向くん、どれがいい?」
「俺はどれでもいいよ。実川さん好きなの選んで」
「いいの……?」
「いいよ」
「じゃぁ、バターとはちみつがいいな……」
それぞれ飲み物も決めて、実川さんはあまり人と話すのが得意ではないので、俺が店員を呼んで注文をする。やがて、俺が頼んだホットティーと実川さんが頼んだホットミルクティー、そして小さめの皿が2枚とカトラリー、パンケーキが運ばれてきた。3段重ねってすごいな。ふわふわだ。
「いただきます」
「いただきます…」
パンケーキを切り分ける。……実川さん細いけど、このパンケーキの半分食べられるのだろうか。まぁ無理そうだったら俺が食べられるし大丈夫かな。
「……!」
溶けた。口に入れた瞬間、無くなった。はちみつの甘さとバターの塩っけが口の中に残る。
「……凄い、なんか……軽い」
「ふわふわなんだね。……ほんとだ、口に入れたらすぐ無くなっちゃうね」
もちろん生地の美味しさはある。だが口当たりが軽く直ぐに消えて、口の中には美味しい味だけが残る。直ぐに消えるが、さすがに噛まない訳では無いので、ちゃんと食べている感じはある。優しい甘さの生地にとっても甘い蜂蜜、そしてバターの塩味……なるほど、生き残るわけだ。紅茶も美味しい。
メニュー表を見てみれば、パンケーキの他にもメニューがある訳では無い。もちろん飲み物にはレパートリーが多いが、食べ物はパンケーキだけみたいだ。チョコチップが入ってるとか、フルーツ爆盛りとか、見てるだけで胸焼けしそうな程の生クリームとかのものもある。こういうのを食べられる人がいるのだから凄いものだ。
さて、目の前の実川さんは順調にパンケーキを消費していた。量が多いかもしれないと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。重畳重畳。やがて、ほぼ半分ずつ食べていたパンケーキは、綺麗さっぱりその姿を消してしまった。ふわふわで甘くて美味しかった。
「ふぅ、美味しかった……こんなに食べたの久しぶりだよ」
「そうなの? ……てゆうか、いつも気になってたんだけど……実川さんて普段何食べてるの?」
「……私偏食だから、ご飯はちょっとだけで……お腹空いたらチョコ食べてるの」
「…………それは……栄養素的に大丈夫?」
「うん、病気とかはしてないよ」
健康なのか不健康なのか分からない体をしている……。見てて不安になる細さだからもっとちゃんとした食事を食べて欲しい。せめて伊藤さんくらいの横幅比率くらいにはなって欲しい。伊藤さんも細い方だけど実川さんよりはマシだ。
少し休んでから、俺たちは席を立った。とりあえず俺が代金を払い、その後実川さんから割り勘の分を貰う。ざっくり計算だけど1円単位では面倒だ。そしてなんか当然のように実川さんが多めに払ってくれてしまった。実川さんは俺の家の事情も知ってるとはいえなんか申し訳ない……。
「ええと……どこ行く? まだ少し早いけど、イルミネーションやってる場所に移動する?」
「あ、待って。1箇所だけ買い物に行かせてほしいの」
「いいけど、何買うの?」
「靴……陽向くんの」
「……え? 俺の?」
そう言いながら向かった場所は普通の靴屋でなく、制服の付属品などが売ってるフォーマルな店……そうつまり靴とは、ローファーだ。
「なんで俺のローファーを……?」
「? だって私たち、恋人でしょ? 靴もお揃いにしたいでしょ?」
……俺は別に好きで告白してないし、仮に好きで告白しててもそこまでお揃いにしたいとは考えない。そういうのを揃えるならまずはお揃いのキーホルダーとかから始めて頂きたいと思うのだが、相手は実川さんだ。しかも俺の方の都合で無理言って期間限定のお付き合いをさせてもらっている現状、俺に拒否権などというものはない。
「わ、わかった……」
実川さんはニコニコ顔で自分が持ってるメーカーの靴の所へ行った。正直どれも同じに見えるが、女子には違いがわかるのだろうか?
「靴……26.5だったよね? これかな」
言いながら実川さんは1つの箱を取り出して開けた。靴のサイズの規格はメーカーによって違うらしいが、ローファーは割とピッタリ……ピッタリ、すぎるか?
「どうかな……?」
「んー……ちょっとつま先がピッタリすぎるかも……」
「じゃぁ27出してみるね……」
実川さんがサイズを探している最中、俺は26.5の靴を箱にしまう。そんな俺たちを、店員がなんだか微笑ましげに眺めていた。やがて実川さんが27を探すのに手間取っているのを見てとったのか、その店員は俺たちに近づいてきた。
「どのサイズをお探しですか?」
「あ、あの……27ありますか?」
「はい、少々お待ちください!」
店員はそう言うと、奥の方から箱を取りだした。箱から中身を取りだしてシンデレラさながらに足を入れると、つま先が少し余る位のちょうどいいサイズだった。
「どうですか?」
「ちょうどいいです」
少し歩いてみるよう促され、その通りにする。特に問題は無さそうだ。
「彼女さんは何センチですか?」
「あっ、その、わ、私は……もう持ってて……今日は彼氏の分だけ……」
「あ、そうだったんですね。これは失礼しました。彼氏さんはこちらに決められますか?」
「あー……はい、そうします」
「ありがとうございます! お会計こちらです」
店員はそう言うと靴を箱の中にしまって、レジの方へ歩いていった。困ったな、ローファー買うための金なんか持ってきてない。とはいえ実川さんがレジで支払うのも……と思っていると、その実川さんが諭吉を数枚渡してきた。
「はい、私が買いたいって言い出したから、私が出すよ」
……俺が変に優しくしなければ、もっと良好な関係を築けていたのだろうか。そう思わずには居られないのだった。




