106限目 どう転んでも
とりあえず廊下に移動した。彼女はやっぱり遠藤姉だった。名前は遠藤和葉というようだ。
「ええと……とりあえず、あの……俺、何一つ事情が呑み込めてないんですけど……」
「は? 本気で言ってる? 姉から何も聞いてないの?」
「……え? 姉ちゃ……姉を知ってるんですか?」
「……嘘でしょ。本当に何も知らないわけ?」
「……本当に何も知りません。……てゆうか、俺が恋人をつけることと、姉ちゃんと貴方に、なんの関係があるんですか」
相手はぽかんとしている。ぽかんとしたいのはこっちだ。やがて相手は少し冷静になったのか、溜息を吐き出した。
「……そうか。本当に何も知らないんだな、お前……放課後空いてるか? 空いてたらまた改めて話そう。教室で待ってて」
そう言うと彼女は去っていった。なんかすごく怖い。
そういうわけで放課後、全員が居なくなった教室で俺は遠藤姉を待ってた。メンヘラたちは一緒に残りたいと言っていたしかなりしつこくごねてはいたが、俺が「ごめん、家関係のことだから……」と言うと渋々ながら帰っていった。掃除の時間が終わり、教室で少し待っていると予告通りその人が来た。
早速本題と言わんばかりに俺の目の前の席に座って椅子を後ろに向けて、遠藤姉はこっちを見てきた。遠藤の面影はあるが、そこまで似ているわけでもなさそうだ。
「さて、どこから話そうかな……最初からの方がいいか。まずアンタ、自分の父親がなんで失踪したか知ってる?」
「! 父を知ってるんですか!?」
「知ってる」
「俺は何も……突然失踪したとしか聞いてなくて」
「あー、やっぱそうだよな。根深い話になるんだけど、アンタの父親が疾走した最大の理由は不倫なんだよ」
「不倫……」
「そう。元カノとね。で、その元カノっていうのが高野智子さんって人。私の叔母だよ」
「はぁ……」
「その人の息子が、高野雅紀」
「!!」
ギョッと目を見開いた。つまり高野さんは遠藤姉弟の従兄弟で……そして、だ。
「姉ちゃんや俺と高野さんは……母親が違う兄弟の可能性があるってことですか?」
「可能性じゃなくて確定。この前血液検査したらしくて」
「…………そ、それで?」
どんな理不尽を言われるかと思ったが、本当に根深い。そして、以前聞いた「メンヘラというより統合失調症っぽい」という言葉が信じられないくらい順序を立てて説明してくれているが……これが全部妄想の可能性もあるから気をつけよう。
「それを彼女……あんたのお姉さんに話したんだよ。本当に何も聞いてない?」
「本当に、俺は何も……姉は何も話してくれなくて、ただ落ち込んでただけで」
「……そしてそれだけじゃない。雅紀は性病患者でもある。アンタのお姉さんには伝染してないらしいけど、どの道母親が違うとはいえ結婚はできないでしょ。だからヤケになって元カノと関係を持ったら、その元カノが感染してたんだってさ」
「そんな……」
なるほど、姉ちゃんがあんなに落ち込んでた理由はそれか……しかも結婚できないとわかるや否や元カノの元に行って、性病感染て……結婚できないと知ってヤケになるまではまぁとにかく、元カノて……実川さん、本当に侮れないな……。
「それで……俺が誰かと付き合うのと、何が関係あるんですか?」
「…………雅紀、もう病気治すつもりないらしくて、このままま死ぬとか言っててさ……親戚は何とか説得しようとしてるんだけど聞く耳持たず。そこで彼女さんに説得に当たってもらおうとしたところで、雅紀の弟の優太に仲介を頼んだら、『弟は巻き込みたくないから黙っておいて欲しい』って言われた」
「話してるじゃないですか!」
「うるさい! これもう1ヶ月の前の話だぞ!」
「一ヶ月!? そんな前!?」
「そう、そこであのアホ弟が先週言ったんだ」
アホ弟……つまり遠藤弟は、高野さんにゲームしようと持ちかけたらしい。勝敗については、「雅紀が勝ったら俺たちはもう治療のことは何も言わない、けど俺が勝ったら治療を受けること」というもの。そしてその勝負の内容に、遠藤は俺の同意なんて何も無く俺を出した。勿論遠藤はその時、高野さんの婚約者の弟が俺だと知っていた訳だが、まぁそんなこと関係なく俺のことが嫌いだから巻き込んできたのだろう。
そして勝負というのが……俺が1ヶ月以内に恋人を作ったら、もしくは出来ていたら遠藤たちの勝ち、というもの。高野さんは俺の顔も性格も知っていたため、「陽向くんなら恋人なんてすぐできてしまうじゃないか」と反対したらしいが、それに対して遠藤弟は、「あいつは学校だと面倒くさいメンヘラに囲まれていて、恋人なんてメンヘラが怖くて作れないはず。それにあいつ自身はメンヘラを迷惑がってる」と言い、さらに俺の恋人を作る条件として「そのメンヘラの中から選ぶこと」を追加し──そろそろ治療するしないの押し問答に疲れた高野さんは、承諾してしまったらしい。
「…………それで早く来ていた実川さんと良木さんを問い詰めていた、ということですか……」
「だってあいつが言ったんだぞ、結城には許可とったって!」
「許可なんて取られてないし、全部が初耳なんですけどね」
「まぁそれはとにかく! ともあれこっちとしてはお前には来年の10日くらいまでに恋人作ってくれないと困るんだよ! あの女の子たちの中、誰か一人!」
「そんなこと言われても……」
高野さんは俺にとっても母親違いの兄弟になる……いや、それを除いても高野さんのことが嫌いなわけじゃないし、姉ちゃんもまだ愛しているだろう。その高野さんが自棄になった結果とはいえ病気を抱えているのなら、それは治して欲しい。そして、そして、だ。
何やってんだよ、父さんッ……!!
今までの話が全て統失疑惑のあるこの人の妄想であるという可能性がない訳では無い、だが……俺にこんな嘘つくメリットは、この人にはない。
「……あ、の……」
「ん?」
「真偽を……確かめたいので……少し待ってて貰えますか……本当だったら可及的速やかに誰かと付き合うので……」
「……わかった、でも早くしろよ」
そう言うとその人は昇降口へ向かった。カバンを持ってきていたし、3年教室に戻る必要は無いのだろう。俺はグッタリとして思い足取りで部活へ向かったのだった。
まじで、そんな複雑な事情に俺が巻き込まれるもんだと思っていなかった。あの父親は不倫がバレたから蒸発したのか……何してんだよ本当に……。
さて、姉ちゃんになんて聞くべきだ?いや、母さんに聞いた方がいいかな……場合によっては誰に聞いたとブチギレる可能性あるけど……。だけどこの場合俺は悪くない。
そして本当だったとして、誰と付き合えばいいんだ?以前付き合ったことのある伊藤さん?最近協力してもらった実川さん?恩塚さんと良木さんは……物理的な圧が強いから嫌だな……。そして、問題なのは……高野さんが治療を受けることを了承したらすぐ別れたいので、それが確認でき次第別れても大丈夫な相手であって欲しいということだ。そんなのがメンヘラの中にいるかと言われればいないし、なんならメンヘラは生態として、1つなにか理由がわからないことがあるととことんまで追求することがある。まぁそこは気分によって変わるんだが、追求された場合俺は父さんが不倫したことから話さねばならない。嫌すぎるな……。
とりあえず今の俺にわかることは、この問題はどう転んでも俺にメリットがないことだけである。




