ルーン
私は、海へびサイラスくんの抱き枕が無いと寝れません。
「綾、あんたまだ蛇抱いて寝ているの」
以前、母親にそう言われたことがあります。ふざけるなよってなりました。ふざけるなよ貴様ってなりました。寝れないんです。海へびサイラスくんの抱き枕が無いと寝れないんです。子供の頃から一緒です。子供の頃から一緒に寝てます。家で自分の部屋をあてがわれて一人で寝るようになってからの付き合いです。旅行に行った時、そこの町のおもちゃ屋さん、じゃなかったなあ。あれは。クラフト工房みたいな外観だったと思うなあ。多分。そこに売ってたんです。
「綾、これ欲しい」
「うん、まあ、いるかな」
それで親は多分、気まぐれにそれを買ってくれたんだと思います。多分。私だって最初はそんなにそんなに重要には思っていなかったかもしれません。でも、それからずっと一緒です。一緒に寝てます。だから言ってみたらもう海へびサイラスくんは私みたいなもんなんです。外付けハードディスクの私みたいなもんです。
中学校の時の林間学校はやばかったです。
「まあ、一日二日くらい無くても」
寝れませんでした。寝ても、寝たと思ったらすぐに目が覚めてしまうのです。はっと目が覚めてテントの中だった時、暗闇だった時は恐ろしかったです。家に帰ってから海へびサイラスくんを抱いて土日の間中寝ていました。
高校の時の修学旅行も危なかったです。
「今回は写真があるから」
海へびサイラスくんの写真を持っていきました。写真がある分だけ辛うじて寝れましたが、しかしでも、安心感はありませんでした。いつも何かに追い立てられている様なそんな感覚がありました。どんどんと自分が削られて行くような感覚がありました。それは修学旅行の写真を見ても一目瞭然でした。一日目と最終日の私の顔の違いよ。もう別人かと思う位でした。この時もやはり家に帰ってから、海へびサイラスくんを抱いて土日の間眠りこけました。親が何度か起こしに来たそうですが、一切記憶にありません。反応もしなかったそうです。死んでるんじゃないかと思ったそうです。
やがて大学生になって一人暮らしをすることになりましたが、当然海へびサイラスくんは一人暮らしをする家にもっていきました。しかしこれはこれで弊害が生じました。大きな抱き枕なので、持ち運ぶのが大変なんです。だから、実家に帰省することになると、簡単には持っていけない、持ち運び困難な事案が発生してしまうのです。
まあ海へびサイラスくんがいなくても生まれ育った実家なので、旅行先とかに比べると多少まともに寝れましたが、やはり眠りは浅くて、時々変な夢を見たりしました。何かに襲われてはっと目を覚ますみたいな夢です。
そんなある日、いつものように一人暮らしの家で寝に入る準備をしているときです。海へびサイラスくんを寝床にセットしてその胴体を両足で挟み込むようにして、両手も抱きつく感じにして、いつものように寝ようと思った時です。もう電気も消そうと思った時です。
「なんだ」
海へびサイラスくんの胴体の縫い目の所に何か書いているのを見つけました。
「なんだこれ」
寝る前だったので当然コンタクトは外していました。だから眼鏡を探してかけて確認しました。
「なんか、なんだこれ」
なんか、昔の文字かな。なんか。
「んだこれは」
海へびサイラスくんの体の縫い目に何か書いてありました。ぐるりと。
ぐるっと、全体的に、何か、読めねえ文字で書いてありました。
「なんだなんだおい」
その瞬間、なんだかすごい怖くなりました。だってなんか得体のしれない文字が書いてあるから。縫い目に沿ってぐるりと書いてあるから。子供の頃からずっと一緒だった海へびサイラスくん。その海へびサイラスくんの違う面を見たような。見てしまったような。不意に発見してしまったような。全く意図しないタイミングで、ふと見てしまったみたいな。
「ちょっと」
海へびサイラスくんを体から放しました。自分の体から遠ざけました。でもそれでは寝れません。全く寝れません。一睡もできません。目を閉じていくら祈っても眠りは訪れません。部屋を暗くしても明るい中で無理やり寝ようとしているみたいな感じです。
「サイラスくん……」
仕方なく遠ざけていた海へびサイラスくんを引き寄せると、それはもう、それはそれはもう、あっという間でした。スリーパーホールドされて意識が飛ぶみたいに、私の意識はあっという間に途切れ、どこかに飛んで行きました。そして私は眠りの中に落ちて行きました。
次の日、起きた時、恐怖感はもう無くなっていましたし、それから若干申し訳ない気持ちが芽生えていました。
「ごめんねサイラスくん」
海へびサイラスくんを抱きしめてそう言いました。
それからサイラスくんの縫い目に書いてあった写真を撮って大学に行って、そういうのに詳しい、詳しそうな、なろう系みたいな、異世界転生もの好きっていう知り合いにその写真を見せてみました。
「これはルーン文字だよ」
その人は、事もなげに言いました。
「ルーン文字っすか」
「うん。昔の文字だね。ゲルマン人が、ゲルマン諸語の……(以下略)」
その後に実家に電話して、子供の頃旅行に行った所、海へびサイラスくんを買った場所を確認しました。
「綾、なんかあったの?」
「いやいや別に、ただのノスタルジーだよ」
家に帰ってパソコンを起動してグーグルマップを開いて、子供の頃に旅行に行ったあの町をつぶさに確認しました。
「あるじゃん」
まだ、ありました。そこに。あの工房みたいなの。ありました。
「……」
今度行ってみようかな。行ってみよう。そう思いました。膝の上に乗せてた、乗せてたって言っても大きいから丼から海老がはみ出す天丼みたいな感じだけど。乗せてた海へびサイラスくんを眺めながらそう思いました。日帰りできるかな。日帰りできないとやべえよなあ。
「サイラスくんがいないとなあ」
持っていけないかな。いやあ、どうかなあ。
その日も、海へびサイラスくんを抱いて寝ました。
夢を見ました。
楽しい夢です。
海へびサイラスくんと海を渡る夢です。
海へびサイラスくんと船を向こうの大陸まで案内する夢です。




