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プロローグ
あの日の夏みかんは、もっと甘かった。
隣に置いた夏みかんからは、確かにあの日の香りがしている。
それなのに、あの日以来、夏みかんは急に酸っぱくなってしまった。
――皮をむいた瞬間、柑橘系の爽やかな香りの粒が、オブラートのように体を包み込んでいく。
あの日、オレンジ色の空間の中で、確かに俺は誰かと夏みかんを食べていた。
ただ、あの日の微弱な記憶は、もう殆ど蘇ってこない。幼い記憶は、夏みかんの一粒の果実のように脆かったのだ。
大事に大事に舌の上で遊ばせていたあの夏の記憶の断片は、いつの間にかパチッと弾けて、口の中で消えていった。
思わず俺は、頬杖をついた。