ラベリング
社会で生きていくということは、様々な場所で、ラベリングされるということのように思います。
様々な評価がなされ、そして、「配慮」「注意」「親近感」「無関心」「無視」等々といった、いわば、扱いの位置決めが行われるように思います。
それ自体は変化していくものですが、「無関心」などのラベリングで一度定位置が決まると、なかなか変えていくことも難しいように思います。
実際、私自身がリアルに、どのようなラベリングをされているのかなどは、怖くて知りたくはありません。結局、これもホラーのネタにしたほうがよさそうですね。
ひとつ、犯罪歴なし
ひとつ、危険思想なし
ひとつ、ごく普通の社会人
そして、国家は俺に興味をなくす
ひとつ、労働生産性普通
ひとつ、勤務態度普通
ひとつ、会社での影響力小
そして、会社は俺に興味をなくす
あいつは情報通ではない
あいつは社交的ではない
あいつは割り勘を好む
そして、同僚は俺に興味をなくす
そこそこに良き父
そこそこに良き夫
そこそこの給与、小遣い制
そして、家族は俺に興味をなくす
この人は餌はくれない人
この人は遊んでくれない人
この人は散歩はしてくれる人
そして、犬も俺に大半の興味をなくす
俺は病んではいない
俺は恨んではいない
俺は楽しんでもいない
そして、俺は自分に興味をなくす
「俺」「僕」「私」を適当に使い分けています。「俺」は「僕」と「私」が似合わない場面で。「僕」は「きみ」の向こう側に。「私」は、一番、素の自分に近い場面で。
そういう拘りって、多分、書いているとありますよね。