「お前も婚約破棄しないか?」と誘われた旦那様でしたが、私の旦那様がそんな事するはずないでしょう!
「お前も婚約破棄しないか、ヘルブレイズ男爵」
顔に変なペイントを付けたクリスティ公爵様が私の旦那様であるヘルブレイズ男爵様に私との婚約破棄を提案されました。
「婚約破棄すれば新しい婚約者が手に入る。そんな身分の低い女と結婚しなくてもよいのだぞ」
言うなりクリスティ様はヘラヘラ笑い出されました。
悔しいですが、クリスティ様の言ってる事は正にその通りなのです。
私の家は昔炭鉱経営で一山当てたに過ぎない末端の貴族、それに比べて旦那様のヘルブレイズ家は代々この国に仕えてきた歴史を持つ古い名家。
とても私達は釣り合うはずがありませんでした。
「共に婚約破棄しようヘルブレイズ、そして次の婚約者にはぜひ俺の妹を選んでくれ。共に家門を高めあおう」
クリスティ様ご自身はこれまで何度も婚約破棄をされ、去年はこの国の大公であるムルザン様の妹君と婚約を結ばれたと伺っております。
ムルザン大公様という後楯を得たことでクリスティ家は男爵から公爵まで上り詰めた事が出来たと社交界ではもっぱらの噂でした。
私はチラリと旦那様の方を見ますと、旦那様は目を閉じて静かに話を聞かれておられます。
「どうした?オレの妹では不満か?確かに少々ズルい所がある妹であるのは認めるが、オレの妹と婚約すればムルザン大公様の後楯で君の家も更に繁栄させる事が出来るのだぞ」
それを聞いた旦那様はようやく目を開けられました。
そのルビー色の眼は旦那様のオレンジ色の髪によく似合っておいでです。
「君の妹君に不満がある訳ではない、彼女の素晴らしい評判は俺も耳にした事があるよ。きっと良縁に恵まれるだろう」
それを聞いたクリスティ様は更に口元を緩ませられました。
ああ、もう私はおしまいかもしれません。
やはり私と旦那様が婚約するなんて出過ぎた真似だったのです。
「だが、俺は婚約破棄しない。身分差など真実の愛の前には使う言葉ではない」
旦那様はキッパリとクリスティ様の提案を断りました。
それを聞いた私の心がどれだけ明るくなった事か、ここでは書ききれません。
「それにこの者が作る飯は結構うまいのでな」
しかもさらりと旦那様が私の手料理の事を褒めて下さいました。
確かに旦那さまは私の手料理を文句一つ言わずに「うまい!うまい!」と食べてくださいます。
私は恥ずかしさのあまり、周りから見れぱ顔が炎のように赤く染まっていたに違いありません。
対するクリスティ様は期待していた答えが帰ってこなかったことに余程腹を立てておいでのようです。
「そうか……婚約破棄しないのならば殴る」
言うが早いか、いきなりクリスティ様は旦那様に拳で殴りかかられました。
ですが旦那様はご自身の帯剣されている剣すら抜かず、一切反撃しようとなさいません。
旦那様はこの国では9人いると言われる剣聖の一人なのです。
いくらクリスティ様がこの国で三番目に強い拳闘士とは言え、こんな一方的な戦いになるはずがありません。
いったいどうされたのでしょうか?
「オレが婚約破棄を提案した相手でここまで強情な奴は初めてだな。しかも殴られっぱなしとは貴様悔しくないのか?」
クリスティ様の罵詈雑言の挑発にも旦那様は無言でした。
これには私の方が見ていられません。
「クリスティ公爵様、もうやめてください。旦那様が倒れてしまいます」
私は目に涙を浮かべながら公爵様に懇願致しましたが、その願いは聞き入れて貰えそうにありませんでした。
度重なる拳撃で旦那様の顔も体も傷ついていきます。
「早く婚約破棄をしろヘルブレイズ!死んでしまうぞ!お前は名家の生まれなのだ!」
そう言いながらも一向にクリスティ様は殴るのを止めません。
私はその様子を見ていられず、思わず旦那様とクリスティの間に割って入ります。
「私の旦那様がそんな事するはずないでしょう!私の旦那様を侮辱するな!」
私はクリスティの憎い顔に平手打ちを喰らわせてやりました。
バチン!と良い音が鳴り、クリスティが思わずのけぞります。
「争わないでと言いながら何だお前は!」
激昂したクリスティは私にも拳を振り上げて来ました。
私は思わず衝撃に備えて目を閉じます。
ドッ!と鈍い音が響き渡りましたが、私はどこも痛くありません。
恐る恐る目を開けると、旦那様が片手でクリスティの拳を掴んでおられました。
「そうだ俺は俺の婚約を全うする!ここにいる者は他の誰でもない私の婚約者だ!」
旦那様が声高らかに私との婚約を宣言されます。
その時部屋の扉が乱暴に開けられる音が致しました。
扉の方を見ると多数の警官隊の方々がこの部屋にお見えになられています。
「クリスティ公爵!ムルザン大公様からのご命令で貴様を連行する!貴公には隣国との密談で我が国の機密情報を漏洩した疑いが持たれている。話をお聞かせ願おうか」
警官隊の隊長さんの怒声が部屋に響き渡りました。
後で聞いた所によると、クリスティはこの国の情報を渡す替わりに隣国の王女との婚約を約束させていたとの事。
更に隊長さんは部屋の惨状を見て言いました。
「どうやら暴行罪の現行犯逮捕の必要もありそうだな」
それを聞いたクリスティは青白い顔が更に真っ青になってました。
「ちぃ、ここは早く逃げなければ」
旦那様の手を乱暴に振りほどくと、クリスティは近くの窓を開けてそこから逃げ出そうとします。
私はその背に向けて言ってやりました。
「逃げるなこの卑怯者!ヘルブレイズ様から逃げるな!」
「何を言っているんだこの小娘は、オレはお前らから逃げてるんじゃない。警官隊から逃げてるんだ!」
クリスティは捨て台詞を吐くと窓から飛び降りて息も絶え絶えに森の方へと逃げていきます。ざまぁみろです。
私が窓からその様子を見ていると、いつのまにか旦那様が私の横に立っておられました。
「みっともない所を見せてしまったな。こんな不甲斐なしの俺が嫌であれば君の判断で婚約を破棄してくれて構わない」
確かに旦那様は顔が腫れ、服すらもボロボロになっておられます。
ですが、そんな旦那様に私は正面から向かい合うとその手を取りました。
「いいえ、ヘルブレイズ様は負けておられません。この戦いは旦那様の勝ちです」
旦那様がなぜ反撃されなかったのか、それは貴族同士の私闘が禁じられているからに他なりませんでした。
私闘はその場にいた者達にもその私闘を止められなかったとして罪がかかります。
旦那様は私にも罪が重なることを危惧しておられたのでした。
私の言葉を聞いて旦那様は少し照れておいでです。
「ありがとう。こんな俺で良ければこれから共に寄り添って、前を向いて来てくれるか?」
「はい、もちろんです旦那様!」
窓から差し込んできた太陽の光に照らされて私達二人の影が一つに重なりました。
余談ですが、私達の結婚式はムルザン大公様から特別に許可を貰い国鉄観光列車の中で行いました。
これには炭鉱経営から鉄道経営へと事業拡大する私の両親の意向もあったのですけれどね。
式は両家の両親を初め、ムルザン大公様や旦那様の同僚である剣聖の方々、更には箱入り娘の私の妹や弟達も呼んでかなり賑やかな物となりました。
その後この結婚式プランは大公様がとても気に入られ、今ではウエディングトレインとしてこの国の主要観光産業の一つとなっています。
お読みいただきありがとうございました
ブックマーク登録・評価するかはお任せしますので、よろしければもう1話
砂塵の小説を読んで頂けるとありがたいです




