98話 母の思いです
クロちゃんとビーちゃんの事を思えば、確かにあり得ない話ではない。
そのままの姿では生きるのが難しいのならば、術があるのなら別のモノや見目良く変わるのはおかしな話ではないだろう。
女性が化粧で顔を変えるのもより良く成りたいが為ではないか。
もしかして神話の生き物がこの世界に紛れて素知らぬ顔で存在しているとしたらすごく楽しいことではないだろうか。
「それはあり得なくもない話ですね」
問題はその「術」であるのだが、ビーちゃん達の変化は私との共同作業である。
同じことを出来る人がいるのなら、可能性は無くはない。
「あああ! ではクロも? クロさんも実はあれが擬態なのか! いや、擬態なのはわかっていたけれど進化の過程で得たものだと思っていたのだよ。 でも違うんだよね? 本当はどんな姿だったのか聞かせてもらっても?」
「ええと、そうですね。 堅い木の蔓の様なものがぐるぐるしていて目がいっぱいあって……」
なし崩しに結局クロちゃんの事まで言ってしまった。
学者なら悪いようにはしないだろうし、何かあった時に真実をしる人間がいるのは心強いというものだ。
「やはり! やはり文献にあったのと同じだ! 当時の落ち仔はそのままの姿で存在していたという事か」
「それは……。それは周りはどういう感じだったのでしょうか? やはり迫害を受けたり?」
もし人に石を持って追われたりしていたらと思うと、想像だけでもかわいそうになってしまう。
「いやいや、昔は神はもっと身近だったしね。異形のモノも多かったこともあるし、何よりも恐ろしい外見ということは信仰の対象にもなるものなんだよ」
なるほどそれならば異端とされていても大丈夫か。
今まで受けてきた教育は型通りのものであったが、やはり研究者から聞く話というものは興味深く面白い。
神秘をそのままにする為にその探求を人から遠ざけたのはいいが、そのせいで今では神話生物はすっかり御伽噺の夢物語になっている。
すべてを解き明かす事は推奨出来ないが、そういうものが実在しているということを明らかにするのは悪い事ではないだろう。
この学者の研究が報われる日が来ると良いのだが。
「あらあら、探しましたよ。もうすぐ出発の時間だというのにギルベルトは荷造りもまだではないの? さっさと片付けてらっしゃい」
ヨゼフィーネ夫人が軽く息切れをさせながら追ってきた。
使用人か騎士達に申し付ければ済む事なのにご苦労なことだ。
人を使うより自分が動きたい人なのだろう。好感が持てる。
学者は自分の散らかしてしまった荷物を思い出したのか、慌てて教会寝所へ駆けて行った。
「あの子ったら挨拶も無しに行ってしまってごめんなさいね。どうもそういう気を回すことが出来ない子らしくて」
過保護に見えなくもないが、きっと彼女にとっては彼はいくつになろうとも子供なのだろう。
「いいえ、学問に置いてはすばらしい方だと思いますわ。きっとそちらに夢中で周りが目に入らないのでしょう」
「そうなのよね。悪い子ではないのよ」
私が学者を肯定した事が嬉しかったのだろうか、優しく微笑んでいる。
「子供なんて何一つ親の思い通りになってはくれなくて、特にあの子は小さな頃から研究熱心で、礼儀や作法より勉強に勤しんだせいか他からよく疎まれていましたわ」
礼儀がなってない劣等生と思って見下していたら、勉学は抜きんでて優秀とかだと、確かに周りの貴族に嫌われそうではある。
「本人も苦労したとは思うのですけどね、あの子の親友がある栄誉に預かったのですが、それはその子の望む事ではなく、長年の努力とはまったく別の道だったそうで、それまでと違う生き方を強要されてしまったの」
「それはお気の毒に」
この世界の例えとしてはおかしいけれど、サッカー選手になりたかったのに、親に言われて政治家になってしまったとかかしら?それならばとても悔しかったことだろう。
「あの子も親友の苦悩を見て力になれない事を悩んだそうですわ。でもある日すべてが変わったのですって。その親友はその新しい生き方に光を見出してこれまで以上に生き生きとするようになったと」
なんて素晴らしい人だろう。自分で選んで努力した目標を取り上げられて、まったく違うものを与えられて絶望と落胆を乗り越えるなんて、私には出来る事ではない。
「それであの子も、どれだけ疎まれても自分のやっている研究は間違っていない。好きな事を出来るのだから後悔しないようにとより熱心に学問に打ち込むことになったのですわ」
「幸せな事ですね」
「ふふ、そう言って下さるのね。ええ、本当に。我が子が好きな物を見つけ、それに没頭し人生を捧げることが出来るなんて神に感謝すべき幸運ですわ。外聞的にはかなり悪いですし、大きな声では言えませんけどね。家名については他の子供もおりますし、手はかかりますが我が子のひとりがそういう生き方をしているのは私の自慢」
夫人は内緒よという風に人差し指を口の前に持ってきてウインクをした。
気さくで大らかな女性と思っていたが、貴族として彼女なりの葛藤もあっただろうに噯にも出さない。
彼女の考え方はとても素敵で素晴らしいものに思えた。




