96話 翼ある騎士です
大地に並ぶ巨石。
それは何者の力で配置されたかわからないが、測ったように正確にVの字を作っている。
大きすぎて実際には空高く上がらない限り、人の身では見ることは叶わないだろう。
夜天にはかの偉大なる王を表す星が瞬き、黄色い布を身に着けた人々が一様に同じ言葉を、呪文を紡いでいく。
夜の宴。招来の儀式。
我々は此処にいて彼の神を呼ぶのだ。
いあ いあ はすたー
それに続く呪文を喜びと共に聞きながら、風の神に仕える奉仕種族である我らは空を舞い謳い、人と一緒に神に呼びかけるのだ。
この黒山羊の世界では彼の神の力は思う存分には振るえないのはわかっている。
それでもその信仰が少しでも自分の神に届くことが、神に奉仕することだと知っているのだ。
人の心は気まぐれで、黒山羊だけを信じる者をはじめ、それに連なる神へも敬意を持つ者、反対に敵対する神を信奉する者まで様々だ。
神々が生き永らえる為の糧。
それは人の信仰心。
敬意を、畏怖を、歓喜を、恐怖を。
神々は求め人々は捧げる。
風が吹き、空が鳴る。
神も喜んでいる。その御姿を現すことがなくてもその意思は風に乗って伝わるのだ。
黄衣の王の信徒は羊を追い、神を称えながら風と共に走る。
いつもそばにあるのは神への信仰と幸福。
そんな風に彼らは暮らしていた。
ある者は野で暮らし、ある者は定住し、それぞれの思いを繋いでいるのだ。
敬虔な信者は石を彫る。
コツコツと音を立てながら。
その音は気持ちよく耳に響く。
それを聞きながら眠る。
象徴する印、言葉、図形、そんなものを彫り刻んでいた。
人の身は死んで無くなるが、石に刻まれたものはそれよりは永く保たれるであろう。
不変では無くとも、少しでも何か残るよう。
そう願いながらそれは彫られたのだ。
どうにか形になった祠は、信徒の一族に守られ祈りを捧ぐ場になった。
日々、人が訪れ、神に思いを捧ぐ。
幼い子供は小さな手で花を添え、刻まれた文字を真似して地面に枝や小石で書いて遊ぶ。
無邪気な声がその平穏を伝えてくれる。
大人は呪文を唱えて祠を清め、時には舞や獲物の一部を献上する日々。
信仰を礎にして暮らす人々は、祈りと共に赤子が子供になり大人へと育ち、朽ち枯れて土に還っていった。
獣を追い、命を繋ぐ。
それをいつも見ていた。
自分は神への祈りで呼ばれた存在なのだから。
細々と信仰を守り繋いでいくも、この土地は厳しくどんどんとその数を減らしていく。
彼の神の箱庭でなら振るえた力も、ここでは微々たるものでしかなく見守ることしか出来ていない。
それでも人々はこの翼の羽ばたきの音と、気配を感じて名状しがたき神への信仰を続けるのだ。
そんな彼らに寄り添うのが何よりもうれしいことだった。
祠の扉に塗られた黄色がはげ落ちるように、人の命は落葉し、すっかり荒れ果ててしまった。
誰も訪れることの無い土地で、ひとり自分の生まれた箱庭に帰ることも出来ず、ただ風に吹かれて懐かしい日々と神を思う年月が過ぎる。
信仰の力で呼ばれた頃とは違い、すっかり形も無くして誰もいない地で漂うだけ。
そんな存在。
いつかこの石祠に残る信仰の欠片が消え失せた時に、自分も無くなるのではないだろうか。
それでいい、すべてを神の為に使い消えていくのは奉仕種族として正しい在り方である。
黒い何かが近づいてきた。
目玉がいっぱいついていて、堅い木の蔓の塊の様な何か。
あれは黒い山羊の落涙。
この箱庭の持ち主の一部。
その後ろを光る何かが追ってくると、その黒いものは仔山羊の姿に変わって見えた。
光るそれは神を信じる強さであった。
眩しい存在。
つたない呪文がその口元からまろびでた。
それは自分を呼ばるる声。召喚せし者へ従属する契約。
風の神への感謝と信心がそこにはある。
ならば私は行かねばならない。
力が失われていようと。
その光の残滓を頼りに自分が消える前に。




