94話 水です
祠は綺麗になったが申し訳ないことに草むしりに付き合ったラーラとヨゼフィーネ夫人の指先が草の汁で汚れてしまった。
まあ私もなんだけど。
そばに水場はないかとキョロキョロしているとヨゼフィーネ夫人がソフィアに頼んで木桶を持ってきてもらっているところだった。
「さあ、モジャ男さん。役に立ってもらうわよ!」
夫人が学者に向かってそういうと、モジャ男ことギルベルトは懐から短い装飾のある杖を出して木桶に向かってなにやら唱えた。
「大いなるもの 死せるもの 水を統べるもの 来るべきもの その恵みをここに顕し 我が魔力を受け取り給え」
そういうと、空のはずの木桶の中に綺麗な水が満たされた。
魔法だ!魔法である!
「魔法ですね! 初めて見ました!」
私が声を上げると学者は頷いた。
「街中では他者の魔力と干渉したり封じがあったりで、なかなかみることはないですからね。私は水の魔法を少しだけですが、ナハディガルなどは魔物を退治するほどの魔法が使えるので、もし機会があれば見せてもらうとよいですよ」
「ナハディガルが! そんなの一言も聞いたことがありませんでした。それより先ほどの呪文で魔法を使うのですか?」
詩人がもっと自分の話に食いついて!と嘆く姿が浮かんでしまった。
「ええ、そうですね。力の源になる神への呼びかけ、求めるもの、報酬の3節からなる呪文になります。言葉にすることでそこに力が篭り具象化しやすくしています」
「差し出す魔力が報酬?」
「最後の部分ですね。神に自分の魔力であり正気であり信仰の源になるものを渡すのですよ。神はそれを糧にしているのですから」
宗教での信仰心とは別に魔法と交換で代わりにそれを受け取る方法もあるのか。
頼む相手を信じなければ魔法を使えない、それはその神を信じているかどうかとも関わってくるということだ。
信じる力や感謝や思いが神様を生き永らえさせている。
それは神にとって人は必要だということである。
そう思うといつもよりも身近に神様がいるような気がしてくるから不思議だ。
「さあさあ、せっかく出したのだから、とっととその水で手を清めて下さいよ」
学者に促されて水桶に手を浸して汚れを落とす。どこからどうみても普通の水である。
旅をする時には途轍もなく便利な魔法ではないだろうか。
「そういえば私の母が私をもじゃもじゃとかモジャ男とか呼びますがね。お嬢さん知っていますか? 手足の長くて毛むくじゃらのグノフ=ケーという神話生物が……」
学者の話は尽きない。
祠での寄り道でその日の宿泊地に着いたのは日も暮れかかった頃であった。
街の入口を示した木の柱は花で飾られていて歓迎の気持ちを示している。
今日は教会寝所に余裕があるということで、そちらで世話になるのが決まっている。
遅い時間もあり街歩きは出来なかったが、聖教師に挨拶の後、礼拝堂に足を運ぶと聖女を待っていたと思われる街人達が教会の外に並んでいた。
寄り道は楽しかったが、この人達の時間を無駄にしてしまったのは申し訳ない。
一旦、教会から出て街の人達にも声を掛けることにする。
赤子連れの夫婦は聖女様にこの子は祝福されたと喜び、少女は萎れてしまっているがどうしても渡したかったと自作の花冠を手渡ししてくれる。
老人はひれ伏してしまうので冷たい地面から立ち上がるように促すのに骨を折る。
話の種に遠くから一目見ようという物見遊山で来た人達も実際に私が声を掛けると、敬虔な信徒の様に態度が改まるので鄙びた街で信仰を守るのに苦労している聖教師に感謝をされた。
祭司長が各教会に出向くようにいったのはこのせいか。
時間も遅くなるので街の人達に帰るように言ってから、クロちゃんと礼拝堂に入り、黒山羊様に祈りを捧げる。
旅に出ていること。初めて目にしたもの。風の神たる黄衣の王の祠を見たこと。魔法に触れたこと。
母親に子供が夕食時に学校であった事の報告するように、その日あったつまらない事まで聖母子像の前で思い返して、無事に辿り着いた感謝を捧げる。
思うまま生きている賢者と、周りに擬態している私。
どちらが黒山羊様の意思に沿っているかわからないし、そもそもそんなことは神様の興味にないかもしれないが、私はなるだけ善良に過ごし、あの人の世界を味わい楽しみながら暮らしていきたいと改めて思う。
野心も野望も無く、地位、肩書き、エーベルハルトの外見が無ければ、やはり私は平凡な人間なのだ。
それでもこの世界になにか出来る事があれば関わっていきたいというのが本心である。
その一部分は、この思いは黒山羊様がくれた私だけのもの。
皆が黒山羊様に幸せになれるよう、今が平穏な人はこの生活が続くよう祈りを捧げるが、私だけは黒山羊様が幸せでいられるよう祈りたい。
あの美しい神様がいつも輝いていられますように。
いつも心穏やかで幸せに神様がいられますように。




