92話 祠です
どの街も村も立ち寄った私達を歓迎してくれたので、人の視線や慣れない旅に若干疲れはあるが、気分的にはそれほど悪くないものだった。
道の悪さには閉口したものの、吐き気がないのは本当にうれしいものである。
人の住める土地はどんどんと減っていき、いくつか峠を越えると森か荒れ地ばかりになっていく。
馬車酔いは無いものの長時間の馬車の移動は体調に響くので森の開けた場所で休憩することになった。
「めえめえめえめえ」
クロちゃんも退屈だろうと、地面に降ろすと何故だか私の顔を見ながら何度も鳴いてはある方向を見てみせる。
「どうしたの?」
しきりに鳴くので学者やラーラ達まで寄ってきた。
「これ、どこか連れて行こうとしてるんじゃないかな」
学者がそう言うとひときわ大きく「めええ」と返事をして、そのまま何度も私を振り返りながら、道の端の大きな木を目指して歩いていってしまった。
護衛や騎士団の人達もいるのに勝手に出歩いて大丈夫だろうか?
ちょっと気後れしたがすでに学者がクロちゃんに付いて行ってしまっているので、後を追う。
ラーラは小言も言わず後ろについて来てくれているし、護衛騎士というのは無駄口を叩かずに付き従うもののようだ。
騎士団の方も距離をとっているものの安全を守ってくれるのがわかる。
騎士団と護衛騎士の差がよくわかっていなかったが、どうやら身近で守るのを護衛官が、広範囲の警戒警備を騎士団が担当しているようだ。状況によってまた変わるのだろうけど今回はその配置なのだろう。
私でさえこうなら王族が移動する時など大変なのだろう。
「ほうほう、これはこれは」
クロちゃんが大きな木の下で止まったのと同時に、学者は珍しそうな声を出すと、すぐさま鞄からスケッチブックを取り出して書き込みを始めた。
私もようやく追いついて木陰を覗いてみると、そこには打ち捨てられたと思われる祠がひっそりと建っていた。
どうやらクロちゃんのお目当てはこれらしい。
石造りの祠の扉は木で出来ていたが、観音開きのそれはすっかり壊れて片方だけが辛うじて斜めに外れた蝶番でぶら下がる形で存在を残していた。
中には9つの窪みがV字に掘られた台座があり、そこに石が並べられており、枯れ葉や埃にまみれていても確かにそこに信仰があったことを私達に教えてくれている。
正面には掠れているが古代語と呼ばれる言語の装飾文字と点の部分を重ねた3つの「?」マークを別角度に倒した様な、その祠を象徴するなにかの奇妙な文様が刻まれて読めはしなくても神聖な言葉なのだけば伝わってくる。
ふと、学者のスケッチブックを見ると祠が上手にスケッチされていた。
石の配置や大きさなども文字で補足されてとてもわかりやすい。そういえば研究室でシャンのイラストも上手に描いて見せてくれたのを思い出す。
簡素な線だけなのにわかりやすい絵が、この人の物の形の捉え方の上手さを教えてくれる。
感心してみていると、そのまま古代語の写しと訳を書き込みだした。
「いあ いあ はす? ぶるぐとむ ぶるぐとらるん?」
つい、声に出してしまうと学者がとんでもない剣幕で私に注意をした。
「お嬢さん! こういうものを口にしてはいけない! なにかわからない文言や呪文を不注意で唱えてどんな不幸が起こっても責任取れませんよ!」
「え! あ、すみません」
その時、頭上でバサバサと鳥の羽音が聞こえた。
恐縮する私をヨゼフィーネ夫人が慰めてくれる。
「それじゃあ人の目につくところで書くなというものよね。こんな毛むくじゃらに怒られるなんて可哀そうに」
「まさか覗かれるとは思わなかったんだよ! 変な表現で僕を貶めるのをやめてくれない? 母さん」
毛むくじゃらの呼び名はちょっとかわいいと思うけど、私が原因で親子喧嘩になっては事だ。
早く場を収めないと。
「私が悪かったのですわ。つい好奇心ではしたなくも人の画稿を覗くだなんて」
「まあまあ、こんな殊勝なご令嬢を捕まえて声を荒げるなんて本当にギルベルトあなたって子は……」
「お願いだ母さん。もう子っていう年齢じゃないんだからそういう扱いはやめてほしいよ。まあ僕も不注意だったのは認める。それでなんだって? シャルロッテ嬢もこの祠に興味が沸いたというのかい?」
母を諫めるよりも語りたい欲が勝ったのか、言葉の後半は弾んだ調子になっている。
「ええ、初めて目にするものですし、この形や文字にも意味があると思うと知りたくなるのは当然ですわ。クロちゃんが見つけたというところも大きいですけれど」
「さすがお嬢さんお目が高い!」
学者はそう言うと一呼吸置いて早口に説明をしだした。
「まず見るべきはこの正面に刻まれたマーク。君も不思議に思ったろう? 私達王国民にはあまり馴染みのないものだ。これはかの風の王、名状しがたき者、黒山羊の夫、黄衣の王の印なんだよね。彼は古くから遊牧民や羊飼いの神と呼ばれて、彼らを嵐や魔獣から守り心に平安と幸福をもたらすと言われる温厚な神なんだよ」
なるほど、この辺はもうすっかり人家も無く寂れているが、そういう民が住むにはいい場所なのかもしれない。
なんらかの理由で彼らは移動なり他界したり、あるいは王国民に紛れてしまって、ここには誰もいなくなってしまったのだろう。
そう思うとこの古びた祠が余計に寂しいものに見えてきた。




