91話 旅程事情です
お菓子学校は置いておいて、職業学校やコリンナの就業については北の問題を片付けてからになる。
とりあえずコリンナの悩みが減るのは嬉しい事だ。
能天気に見えてその実色々考えているものだ。
何も考えてないのは私の方である。
流されるまま聖女になって王子と婚約してしまった。
昔から訪問販売の類を断るのは苦手なのだ。
「王都学院にも、ちゃんと通わなくては駄目よ?」
「はい! シャルロッテ様と同学年ですし、仕事も勉強もがんばります!」
学院を卒業してからでもいいのに、コリンナはもう就職した気でいるようだ。
旅程も中程、今日の宿に着く。
立ち寄る街の規模はどんどんと小さくなり、もうすっかり街というより村と呼べそうな規模だ。
それでも宿泊施設があるだけ有難いと思わなければならない。
騎士団と護衛官に至っては、持参のテント泊なのである。
「すみませんヨゼフィーネ夫人。観光旅行なら良かったのですが、今回はこんな待遇になってしまって……」
コリンナはまだ若いだけあってこの状況を楽しめそうだが、アインホルン伯爵夫人には申し訳ない気分だ。
「あらあら、そんな済まなそうな顔をするものではなくってよ。私が押しかけたのだもの。シャルロッテ様の責任ではありませんわ。それに私は学会の鼻つまみ者と言われる男の母ですからね。嫌味や当てこする性格の悪い貴婦人が居ないだけでどこも天国なのよ?」
さすが学者の母親だ。肝が座っている。
なかなか気が合いそうである。
「もう、本当にどうしてあんな育ち方をしたのかしら? 兄弟は立派な紳士になったのだけど何故かあの子だけもじゃもじゃなのよねえ」
そう言いながら学者の昔話をしてくれる。
「母さん! お嬢さんに変な事吹き込まないで!」
ギルが焦って口止めをしようとするが、いつの世も子供は母親に敵わないのだ。
なんだか懐かしい。
私もあのまま生きていたら大人になった息子をからかう事もあったのだろうか。
成人した息子と母親の何気無い会話。
どこか懐かしくあって、寂しいが悲しくはない不思議な感情をゆっくりと咀嚼するように私は味わった。
小さな街や村にこの大所帯で立ち寄るのは迷惑かと考えていたがそれはとんでもない間違いで、普通の変哲の無い土地だからこそ熱烈な歓迎を受ける事になった。
娯楽が無いということもあるが、コリンナが言うには今後「聖女の立ち寄り所」として観光客を見込めたり、近隣の土地より気持ちが優位に立てたりと利点があるのだと言う。
村自慢のひとつとなるらしく、聖女まんじゅうやシャルロッテせんべいとか売られるのかと変な考えをしてしまった。ここに詩人がいなくてなによりである。彼ならばそんな提案をしそうなのだもの。
ともあれ利権が絡むとなれば、厄介な話だ。
ラーラ達が旅程を悩んでいたのは私の馬車酔いのせいだけでは無かった訳だ。
宿泊施設の有無や受け入れ体制の事前確認中に話が漏れれば、移動範囲の土地の貴族や顔役はこぞって我が家にと招待しだすに違いないし、箔をつけたい人種ならば金を積んででも寄ってくれという事になりかねない。
そういう貴族のプライドを無駄に傷つけないように、宿泊所を決めるのは相当骨が折れたに違いない。
苦労をかけてごめんねと心の中で手を合わせた。
そんな訳で馬車酔いの克服で短くなるはずの日程は、短時間でもいいので寄ってくれという相手の懇願の為、時間短縮はしたが距離的には遠回りのルートそのままであった。
今日の宿は小さな木造の民宿という感じで、普段石造りの屋敷に住んでいるせいか木の温かさを感じる。
石造りだと底冷えするし、絨毯を敷き詰めてもなんだか雰囲気が硬いのだ。
感覚的な事だろうけれども木造の建物は優しい硬さでほっとする。
シンプルなベッドに野の花がサイドテーブルに飾られているだけだが、シーツは新品だし掃除も行き届いていて私にとっては上等である。
ラーラは当初、庶民的な場所で寝泊まりする事を私が耐えられる筈が無いと決めつけて、何度も確認をしてきた。
テントでも十分寝られると説得して、結局実際に私が無事文句を言わずに1泊過ごすまで落ち着かない様子だったのを思い出す。
ソフィアが後から聞き出したところ、なんでも前に護衛を務めた令嬢は幼いながら領地と王都の往復を頻繁にしていて宿泊場所が気に入らない、あれが嫌だこれが嫌だと癇癪や問題を起こして大変だった経験をしたそうだ。
なるほど、そういう話を聞くとエーベルハルトがネルケや主要な場所に屋敷を用意している意味がよくわかる。
自分が満足する空間というのは貴族にとって大事なのだろう。
街の顔役に挨拶をして、そのまま礼拝堂にお参りをする。
街でも村でも、どこでも祈りの場は大事で、人の集まる場所に建てられている。
祭司長から目に入る教会、礼拝堂には全てお参りする約束をさせられたので、必ず寄るようにはしているのだから必然的に私は見世物状態になってしまう。
信心深い黒山羊様の信徒達は、私の来訪を喜びはしても近付いては来ない。
私が礼拝するのを遠巻きに固唾を飲んで見守り、礼拝堂を後にするのを確認するとそこでようやく歓声を上げて各々が発言するのだ。
人の祈りの邪魔をしないのは素晴らしい事だが、何だか珍獣のような気分だ。
いっその事、思う存分話し掛けて来てくれとも思うが、それだと護衛のラーラ達が大変か。
もっと気軽に散歩をしたり旅を楽しみたかったのだけれど、普通の令嬢だったらこうして出掛ける機会も無かった事を思うと悪い事ばかりではないのだ。
この旅は男爵領の問題を解決するだけではなく、そうやって自分の中で聖女の身分と折り合いをつける旅でもあった。




