9話 内緒話です
完成度の高い私達のダンスに、先生は満足と同情を寄せてレッスンは終わった。
「兄様のダンス、素晴らしかったです」
「いやシャルロッテこそ、まだ小さいのに私の知る令嬢の中では1番上手いよ」
子供らしくない賛辞の送りあいをするのも、練習の一環である。
先生の見送りを終えると、兄は付き従うメイドにテラスにお茶の準備をするよう申し付けた。
メイドが下がるのを見届けると、辺りをぐるりと見回す。
どうやら人払いをしたようだ。
誰もいないのを確認すると、顔を寄せてひそひそ声で話しかけてきた。
「変な噂があるんだけど、シャルロッテは知っているかい?」
なんと先ほど聞いた噂話の件のようだ。
どうやら兄は早い段階で侍従の若者からその噂を聞いていたらしく、真偽を確かめる為に街に人をやったそうだ。
子供ながらも人を使う事を日常で学んでいるのだ。
もちろん、その報告は当然父の耳にも入るのだろうが。
テラスに出て、私達は備え付けられている椅子に座った。
「調べさせたけど、どうやら何かがいるのは確かみたいなんだよね。四足でぐにゃっとしてるらしい。一体何なんだろうね」
またこれだ。
形がないわけではなさそうなのに。
「ぐにゃ?」
「うん、足が生えてる訳だし粘性生物ではないと思うんだけどね。不定形であるらしい。獣がスライムにおそわれて、その状態で移動しているのかもしれないけれど表面が木の様だという話だしね。そもそも街に出るっていうのが変なんだよね」
ルドルフの目がキラキラとしている。
子供ながらの好奇心が抑えられないのが伝わってくる。
なるほど、ダンスのレッスンの乱入もこの話をしたかったからか。
未確認生物、街に出没!とか確かに少年の心には刺さる話である。
「実は私、今日初めて魔獣を知ったくらいなので想像もできませんわ」
素直に無知を晒すと、兄はあんぐりと口をあけた。
やはりそういう反応なのか。
せっかくのイケメンが、そんな顔をしたら台無しですよ。
図書室でのやり取りを伝えると、普段みない子供っぽい表情で魔獣について話し出す。
子供はとかく怪獣やら妖怪やらが好きなものだ。
「普通の獣もそりゃあ警戒しないといけないけどね? 魔獣は魔素を取り込んでるせいで体は強いし、知恵がまわったり手がかかるんだ。最初はトカゲだったのに魔素を取り込んで何度か進化していくうちに、ドラゴンになったりしたこともあるらしいよ。まあ人里には魔獣除けがあるし、魔素が薄いから魔獣は生きられないというし、街はずれでせいぜい見かけても角ウサギやら小悪鬼やら弱い魔獣くらいだろうね」
普段、手のかからない妹に兄の威厳をみせたいのか、ここぞとばかりに饒舌になる。
なるほど魔獣には魔素が必要で、強い魔獣は瘴気がたまる魔素の濃い特別な場所に、弱い魔獣は魔素の必要量が少ないので広範囲に生息することが出来るということらしい。
カントリーハウスの中で生活のほとんどを過ごす私が、お目にかかる機会がなかったのは当然のことだったのだ。
「兄様は魔獣を見たことがあるの?」
「もちろん! 私はエーベルハルト領を守らなければいけないからね。そちらについても授業を受けているよ。父上の討伐にも見学として付いて行ったこともあるからね。あの時は鹿鳥が王都の南の森に大量に現れて、父様も軍を率いてかっこよかったなぁ。去年の聖誕祭にシャルロッテもおいしいって食べていたあの肉だよ」
「!!!」
私は絶句する。
まさか知らないうちに魔獣を食べていて、しかもおいしかったなんて……。
そういえばオークの肉が人気だとか、確かにハンス爺も言っていたのを思い出す。
「鹿鳥は羽が生えてる鹿だからね。飛んで逃げないようにまず羽を狙うんだ。魔法か弓の遠距離攻撃が一番いいんだろうけど、とにかくすごく数が多かったから、いろいろな方法で討伐したんだよ。投網を使って飛ぶのを妨害したり、ボーラっていってね、ロープの両端に重りをつけたものがあってそれを投げて足を拘束したりすごかった」
興奮気味に話す様子が普段の大人びた兄とかけ離れていた。
こちらの方が本来のルドルフなのだろう。
妹の前では彼なりに、優しく完璧な兄を演じていたのかもしれない。
大人ぶられるより、親しみやすくてずっといい。
「そんなことがあったのですね。私、全然知りませんでした」
「シャルロッテは女の子だからね。父様も野蛮なことは隠したいのだろうね」
今日は初めて聞くことばかりな気がする。
なかなか実りの多い日だ。
「私もそんなこと体験してみたいです」
生き物を殺すのはちょっと抵抗があるが、見学だけなら一度はしてみたい気がする。
甲冑や剣を持った軍隊が並ぶ様を見るだけでも壮観だろう。
「シャルロッテも、ちょっと冒険してみる?」
兄は普段見せたことのない、悪戯な笑みを浮かべていた。
兄が言うには街での聞き込みの結果、黄昏時から深夜にそれは出没していて、各証言を合わせて考えたところ、どうやらそれはこのカントリーハウスの敷地内の使われていない土地に隠れているのではないかとのことだった。
確かに広くて隠れる場所に不自由はしないだろうが、まさかの敷地内なんて……。
カントリーハウスの南東方向から街に降りていくのを、2度ほど屋敷の厩舎の男が見ているらしい。
目撃情報もその方角にある治安の悪い街の一角と、その周りであるという。
厩舎の男は侯爵家に変な評判が立つことを恐れて、今まで口を閉ざしていたそうだ。
わざわざ足を運んでくれた坊ちゃんにだからと、重い口を開いたらしい。
なかなかの忠義者である。
義理堅い彼には後日、父から褒美が贈られるだろうと兄の予想だ。
と、いうことで現在このことに気付いているのは、この家の一部の人間だけである。
悪い人を飲み込んだという話が不安要素ではあるが、不法者が消えるのは取り立てておかしいことではないのだ。
周辺でいなくなった輩は、いつ出奔してもおかしくないような悪漢ばかりで都市の治安の悪い地域では、姿をくらますのは日常茶飯事のことのようだ。
不審な血痕や暴れた跡も特に見つかっておらず、凄腕の借金取りか賞金稼ぎがこの街にやってきて脛に傷持つ者が捕縛されたか、捕まる前に出て行ったに過ぎないのではないかと、兄は推論を立てていた。
妄想好きか目撃者の誰かが、不確かな生き物の出現と荒くれ者の失踪を繋げて話を膨らませたというのが有力なのである。
どちらにせよサイズも仔犬くらいということで、危険もそこほどないのではないかとも推測されているらしい。
「そこで私は、それを見つけたいと思う」
兄はえへんっと胸を張るゼスチャーをすると話を続けた。
「私ももう11歳になるし、そろそろなにか武功が欲しいんだ。調べたところ危険な感じはしないし、隠れ場所を見つけて報告すれば、それは私が問題を解決したとしてもおかしくないと思わないかい?」
なるほど不気味だが、さして危険がない上に直接退治する訳でないなら手頃な案件である気がする。
話を詳しく聞くと魔獣避けのある街中に出るということは、それは魔獣では無いということだ。
毛皮が剥がれたり、傷が治りきらない見目の悪い獣か飼い犬が、闇に紛れて化け物と見間違われているのではとの事だ。
隠れ場所さえ押さえれば後は大人の出番だし、街に起こる騒動を兄が治めたと言ってもいいだろう。
そういう他愛無い出来事が、情報伝達の遅いこの世界では吟遊詩人や民草の口の端によって英雄譚になっていくのかもしれない。
「それにシャルロッテも一緒にこないか?」