81話 来客です
「ラーラ、この人は王子と面識があるので大丈夫です」
「姫! 私の桜姫! このナハディガルが罷り越しましたよ。この赤紅の女騎士は何の試練なのでしょうか? 砦を守る赤い龍ですか? 今日はその顔を見れないかと深淵に身を沈める思いでした」
詩人が身を乗り出して訴えている。
つい、昨日までは出入り自由だったのだ。そこは仕方がない。
騎士業に励むラーラには宮廷詩人の存在は遠いものなのだろう。
派手な出で立ちを前に、かなり怪訝な顔をしている。
ナハディガルは有名人のはずなのだが、ラーラの様子を見るとわかっていなそうだ。
「やあお嬢さん、君の自慢の黒山羊に会いに来たよ」
ひょこっと詩人の後ろから顔を出したのは、伸び放題の長髪を一つにまとめて、ちゃんとしてる風に胡麻化した学者だ。あくまで風である。
一応、王宮という場所のせいか糊のきいたフロックコートに身を包んで紳士の出で立ちをしている。
ヨレヨレの研究用の白衣しか持っていないのかと思っていたので、妙に可笑しさがこみ上げてきた。
ともあれ、クロちゃんへの客人は祭司長くらいなので大歓迎である。
「ギル様もいらっしゃったのですね。ラーラ、こちらはギルベルト・アインホルン様。アインホルン伯爵家の方ですわ。そちらの鳥の王様のような男は宮廷詩人のナハディガルです」
詩人は、鳥の王様というフレーズが気に入ってるのか胸を張ってふんと鼻息を荒くした。
「ああ、彼が有名な詩人でしたか。詩人や道化は皆同じに見えてしまって見分けるのが苦手ですみません。シャルロッテ様が身分を保証されるなら大丈夫でしょう。今後覚えておきます」
そういうとラーラは2人に入室を促した。まさか詩人を個別認識していないとは思ってもみなかった。
派手な羽飾りの優男と雪男と見まごうボサボサ頭の髭の文官の2人組は武功を良しとする騎士から見たらさぞかし不審だっただろう。
切り捨てゴメンとかされないで良かった。
「やあ、一気に騒がしくなったね」
訪問者達を迎えて、呆れた様に王子が溜息をついた。
先ほどまでの真面目な空気は、もうまったく漂ってはいない。
ソフィアが2人の乱入を見るとすぐにお茶の用意に取り掛かる。
「僕の落ち仔はどこかな?」
「ギル様間違えてはいけませんわ。私のクロちゃんなのですからね」
すかさず訂正を入れる。クロちゃんは「私の落ち仔」なのだから。
部屋を物色するように学者がキョロキョロとしている。
めええええ
そんな彼の足元でクロちゃんが可愛く声を上げた。
近すぎて油断していたのか、学者がびくっと驚いた。
心の準備をしてなかったのかしら?
「なんという! なんという美しい仔山羊なのだろう! これが落ち仔だって? 誰か嘘だといってくれ! こんな完璧な擬態をされたら、どう探しても見つからないだろう!!」
今度は私がギョッとした。
擬態をしていると言った?
何故それを知っているの?もし本当の姿がばれたらどうしよう。
ちょっと見た目は怖いから、いくらクロちゃんがいい子にしていても王宮から追い出されてしまうかもしれない。
あ、でもそしたら私も一緒に王宮を出ればいいのだ。 領地に一緒に帰るだけの話なのだから別にいいか。
突如沸いた疑問は自己解決をして一気に気が楽になった。
学者は遠慮なしにベタベタとクロちゃんを触り出す。
「うーん目は2つだけ? もっと硬い触手か蔓で覆われていると思っていたのだけれど、君いい毛並みをしてるねえ」
どこまで知っているのだろう。
目が多かったことも蔓の塊だったこともわかっているのだ。
足の先を持って蹄の裏までじっくりと観察している。
めえめえめえめえ
構われていると思ったのかクロちゃんはご機嫌だ。
言葉が話せなくてもクロちゃんは人の好意を見分けているのだ。
だからこそ祭司長やハイデマリー、館のみんなに懐いているのだ。
まあ綺麗な仔山羊を嫌う人は、まずいないのだけれど。
たまに王宮の部屋に家畜がいるのを気に入らないと顔を曇らせる使用人がいるくらいか?そういう人にはクロちゃんは決して近づかない。お利口だしわかっているのだ。
「なにがどう作用したのか、とても綺麗な黒山羊になってるね。素晴らしい」
そういえば詩人もクロちゃんを見て「良く出来た黒山羊だ」と言ってはいなかったか。
その辺を王子やみんなの前で問われたら困るので、ひとりで頷いて納得してくれている学者に少し安心した。
この手の人はあれこれと自分の知識を説明しだすタイプだと思っていたので、クロちゃんの正体を演説するかと身構えてしまっていた。
実際シャンやウェンディゴについては一人で語り倒していたし。
「ところでお嬢さん」
「はい?」
「この落ち仔はいったい何人、人を食べたのですか?」
満面の笑みで質問する学者に私の笑顔が固まった。
人を食べる?
クロちゃんが?そりゃあそんな噂があったけれど実際に食べたわけではない。
普段は与えられる山羊が好きそうなものを食べて暮らしているのだ。
「物騒なことをおっしゃらないで下さいな。こんな可愛いクロちゃんが人を食べるだなんて」
本当に失礼な話だ。だけれど学者はそんな私に追い打ちをかける。
「人を食べて知識を得るんだよね? いや何も断罪しようとしている訳ではないし教えてくれてもいいじゃないか」
ねえ?とクロちゃんに学者は同意を得ようとするかのように話しかけた。
学者に悪気は見られない。純粋な好奇心でこう言っているのだ。
クロちゃんは鳴くのをやめて明後日の方向を見ている。
いつだったか同じ様なことがなかったか?
ごまかす様に視線を反らしたクロちゃんを前に見た覚えがある。
あれは兄が「人を食べたという噂は本当ではないのか」と問いただした時だ。
私はクロちゃんから人の知識を摂取してたという言葉を感じて、人を知るために街に降りていたと、そう伝えたのではなかったか。
「摂取」とは「体内に取り込むこと」ではないか。
クロちゃんは噂通りあそこで人を食べていた?
私はクロちゃんが人を食べるところを見たことはない。
見たことがないだけなのではないか?
見ていないところでは食べていた?
そんな考えが浮かんでは消えていった。




