75話 隣の男爵です
「どちらにせよ刺激が強い存在には変わらないけどね」
そう賢者を表現すると王子は冷たいジュースを侍従から受け取り、私に渡してくれた。
確かにあらゆる意味で刺激的だ。
私は何をしなければならないか考えた。
さしあたって出来ることと言えは今日のパーティを成功させることではないだろうか?
王子に相応しい女性が現れたら婚約者の座を譲りたい気持ちには変わりはないけれど、あの賢者がいると分かった今、普通の令嬢で歯が立つのかどうか。
誰かにこの立場を譲った途端、彼女の歯牙にかかるのは目に見えている。
もらったジュースを飲み干すと私は気合いを入れた。
「ありがとうございます。出陣出来ますわ」
「ここは戦場ではないのだけどね」
急にしゃっきりとして覚悟を決めた私を見ながら王子が噴き出した。
私の中では戦支度をしたことになっているのだけど、はたからみたら突然すぎたかもしれない。
「では婚約者殿、戦場へ赴くとしようか。君に勝てる者などいないと思うけどね?」
そう茶化して王子は私を会場へエスコートした。
服飾系が中心の領地の貴族には、
「伯爵の領地では紡績業が盛んだと聞きますわ。先ほどからその生地の素晴らしさに目を奪われておりました。来年はどの生地が流行るのかご教授いただけますか?」
鄙びた領地の貴族には、
「そちらの土地では秋の収穫祭が独特だと伺いました。学術的にも大変興味深いとのことで昔ながらの文化を大事にする精神には感服いたします」
相手によって話題を変えて持ち上げていく。
会場に戻り再び挨拶の波状攻撃が来るが、先ほどまでのおとなしくニッコリ微笑むだけの私ではない。
この体になって得た若々しい記憶力とおばさんの社交術、それに図書館で読み漁った資料と文献を駆使すれば、どこの出身の人間にでも話題を提供し、会話に華を添えることが可能なのだ。
いいお天気ですねだけで、雑談を続けるおばさんを舐めてもらっては困る。
初対面の人間に対して、共通の話題があるというのは高いアドバンテージである。
彼らはほどなく気を良くし、私への好感度を上げるだろう。
「賢者様を無碍になさったと伺いましたが、何があったのです?」
バルコニーで小休止をしていた間にすっかりそんな話になってしまったようだ。
興味津々のおしゃべりな雀達に、そう問われれば答えなければならない。
「私、恥ずかしながらこの様な大きなパーティは初めてで人に酔ってしまったのですわ。それで王子が少し休んだらどうかとおっしゃってくれたのですが、賢者様がその事で自分とは口を利きたくないのかと気を悪くされてしまって。申し訳ない事をしてしまいましたわ」
「ああ、彼女はちょっとそういうところがありますものね。可哀そうな聖女様」
「ご存知の通り、私ずっと領地で過ごしていたので王宮での振る舞いも満足に出来ず、いきなり賢者様の気分も損ねてしまって消えて無くなりたい気持ちです」
少し目を潤ませて伏せがちにそう言えば、礼儀のなってないわがままな賢者に意地悪をされた薄幸の令嬢の出来上がりである。
同情をひきだせば、こっちのものである。
相手は無力な私の為に周りの誤解を解いておくと自分から申し出てくれるのだ。
か弱い聖女を庇護する自分に、貴族達は酔いしれることだろう。
私がいうのもなんだが女って怖い生き物なのだ。
「なんてお優しい方。あなたの様なお心も人脈も広い方にお話を聞いていただけるなんて、私は本当に幸せ者ですわ。頼りにしております」
何度も繰り返されるこの遣り取りに、横にいた王子は笑いが止まらないようだ。
「いや、これは流石の賢者も気の毒だな。君が婚約を受け入れてくれて本当に良かったよ」
ああ、やはり賢者に絡まれる事が前提の婚約だったのか。
王子と彼女は何度か面識があるようだし、向こうから婚約者になってあげるとか言われていてもおかしくはない。
私への申し込みは好意のみでは無いのはわかるが、何だか面白くない気持ちだ。
「あちらから喧嘩を売って来たのですわ。同じ事をしているだけです」
ちょっと拗ねた顔になってしまっているが、王子は賢者のせいだと思っている。
「私も気を付けないと。君を怒らせたらどんな仕返しをされるかわからないからね」
あの怖い王子にどんな仕返しが出来るというのか。本人には自覚がなさそうだ。
「迂闊なことは言えませんからね?」
そんな軽口を交わしていると、父が家の領地に隣接する領主と一緒にやってきた。
父が主催した近隣領主を集めてのカントリーハウスでの晩餐会で1、2度見かけた事のある顔だ。
「やあ仲が良さそうで何よりだ。シャルロッテにウェルナー男爵が挨拶したいというので近隣のよしみでお連れしたよ」
元来、男爵位では今日の様な催しで王族に声を掛けることは出来ない。
父を通して私と王子に挨拶をとなると、さぞかし野心が溢れていることだろう。
そう考えを巡らせたが、父の後ろに隠れるように佇む中年男性はそんなものとは無縁のような怯えた顔をしていた。
ウェルナー男爵はエーベルハルト領に隣接する蕎麦を特産とする農業が主な領地を治めている。
特産というか蕎麦しか満足に収穫出来ない痩せた土地と言うべきか。
先々代が武功を立てて男爵位に取り上げられた、貴族では新参と言われる家系である。
その為、あまり見込みのない土地を領地として与えられたのだ。
元々庶民の出のせいか農業に抵抗もないようで地道ながら領地運営に励んでいるイメージだ。
「この度はフリードリヒ皇太子殿下と聖女シャルロッテ様におかれましてはご婚約の儀、誠にめでたく……」
場違いなのを自覚してかモジモジとしてあまり貴族らしくない振る舞いである。
何故こんな表舞台に顔を出そうとしたのか。なんだか挨拶も上の空で心配になってくる。
「ウェルナー男爵、祝いの言葉感謝する」
王子はそう礼を言いながら、やはり様子が変なのに気付いているのか私の顔を窺った。
「お久しぶりですわ。ウェルナー男爵。わざわざありがとうございます。領地のご家族や領民の皆様はお元気ですか?」
私が領地の事を聞くと男爵がパッと顔を上げた。
「実は本日厚かましくも声を掛けさせていただいたのは他でもありません、我が領地で起こっている変死事件のことで……」
なにやら思ってもみない事を話出した。




