74話 賢者です
コリンナに促されて目をやると、こちらに向かって一人の少女が向かっていた。
周りには取り巻きなのか信奉者なのか、幾人かの貴族やその子供に上流階級の商人らしき者が付き従っている。
茶色い髪に大きな緑の瞳が印象的な可愛らしい少女だ。
目を引くのは少女だというのに首から胸元を出して、ドレスの丈も成人にのみ許される床に届きそうなフルレングス。
髪型は高く結い上げていて、どれも成人女性の装いである。
子供らしく前髪はあるものの、王宮での出で立ちというには相応しくない様に思える。
その上、スカート部分は前が左右に開いておりその中はミニ丈のスカートが見えるという、この時代においては斬新というよりは奇抜に分類されるファッションであった。
「今日も賢者様は独特なセンスをしていらっしゃる」
誰言うとも無しにそんな言葉があちこちで漏れている。
前世の現代ファッションとしてみれば、きちんと結った髪もそのドレスも結婚式などなら正装として受け取られるし、背伸びした子供として微笑ましく受け入れられただろう。
ただ、もし彼女もあの世界から転生していたとしたら、あまりにもこの時代をないがしろにしてはいないか。
彼女の常識にしてみれば正装なのだとしても、この世界の人間がどう受け取るかが問題ではないだろうか。好きな時に好きな格好をするのは悪い事ではない。
だがそれは決められたマナーを守った上でなければ、周囲には不快感しか与えないだろう。
話に聞いた通り爪もカラフルに塗られて、クズ石なのかガラス片なのかそれらしきものでデコレーションしてある。
左手の人差し指と胸元には黒い宝石の装飾をしていて、これらを独自の感性で済ませは出来ない。
何にしろあちらの現代社会を知っているからこその装いではないだろうか。
コリンナは確か「私はあなたたちとは世界が違う」と、アニカ・シュヴァルツが言っていたと教えてくれたではないか。
天才だから、博識だから見える世界が違うという意味ではないのだ。
文字通り違う世界から来ているということなのだろう。
賢者の登場に身を硬くしていると、王子がそっと私の左手を握った。
気遣われるくらい私が緊張したのが見てわかったのだろうか?
手のぬくもりが私は一人ではないと思わせてくれて、それが確認出来て少し安堵した。
「はじめまして! アニカ・シュヴァルツです! 今日は聖女に会えると聞いて待ちきれなかったです!」
そういって彼女はなんと私に抱き付こうとした。
王子が握っていた私の手を引いてくれたお陰でかわすことが出来たが、はたから見てそれは異様な光景だろう。
本人だけがそのおかしさに気付いていないのだ。
「アニカ嬢、いくら子供だと言っても人にいきなり抱き付くのは良くないことだ。王宮主催のパーティでは尚更ね」
「はーい、王子はいつも口煩いの。あなたも大変よね。嫌ならいつでも婚約者を代わってあげるね」
ハキハキとしゃべる様は可愛らしいが、言葉遣いも内容もおかしすぎないだろうか。
いや前世を考えるとこれが普通の子供の話し方かもしれない。
それに対して気が遠くなった私こそがこの世界に馴染んだ証拠か。
「お初にお目にかかります。シャルロッテ・エーベルハルトです。お見知りおきを」
ようやく絞り出すようにそれだけいう事が出来た。
「シャルロッテも大変よね。聖女ってだけで婚約を強要されるなんて。子供相手なんてやってられないでしょ? ノルデン大公に求婚した話を聞いた時は納得したわ。あなたにはあれくらいがちょうどいいのよね。ノルデン大公が諦めきれないのなら応援するわよ。おばさん」
扇で私の耳元を隠しながら王子に聞き取られない様に、こっそりと彼女はそう言った。
知っているのだこの少女は。
私が何者であるかを。彼女は押し黙る私に続けてこう告げた。
「子供と結婚なんて私も嫌だけど、相手が王子ならそこは我慢しないとね。残念だけどせっかく王妃が死んだのに国王には私みたいな少女は目に入らないようだし、あなたが王子をこっぴどく振ってくれたら私が念入りに慰めるのになー。あなたは大公、私は王子。どう? お互い協力しない?」
強欲な緑の瞳を輝かせている。
これはあの瞳だ。馬頭鳥の奥にいたのはこの子だ。
蒼白になった私を見て王子が彼女との間に割って入る。
「シャルロッテは気分が悪い様だ。このくらいで遠慮してもらおうか」
毅然とした態度で言う王子に賢者は怯みもしなかった。
「聖女様に私なんかと口を利くのは気分が悪いって言われちゃった!」
つまんないという顔をしてあろうことかとんでもないことを言い出した。
大きな声でそう言った彼女を、周りがギョッとした顔で眺めている。
聖女と賢者の会見を周りはこっそりと遠巻きに皆、見守っていたのだ。
彼女が著しく礼を欠く振る舞いだったのは誰の目にもあきらかだろうに、そういってのける神経が恐ろしいくらいだ。
王子が周りに少し席を外すよと断って、私を王族専用のバルコニーに連れ出してくれた。
会場内は、まだまだ貴族同士の歓談が続いており私達2人がいなくなっても問題はないように思われた。
夜風が気持ちいい上に、バルコニーの下は花の咲いた庭園である。微かに薫る花の匂いと遠くに聞こえる演奏の曲、人々のざわめきがなんともいえない雰囲気を醸し出している。
「シャルロッテ大丈夫かい?」
王子が心配そうに私をのぞき込む。
私は指の先まで血の気の失せてしまったかのように冷えて呆然としていた。
賢者があちらの世界の人なのは予想していた。
だが、相手が私の中身を知っているとは誰が思った事だろう。
賢者の再来と言われる魔力に、私を監視していた生き物。そして種の持ち主でもあるだろう。
そして彼女はなんと言っていた?「せっかく王妃が死んだのに」そう言いはしなかったか?
王妃の死にも何かかかわっている?それとも単に揶揄しただけなのか。
一度に色々な情報が出て私は混乱してしまっている。
まずは落ち着かなければならない。
「彼女の物言いは、あれで大丈夫なのですか?」
ようやく出た言葉がこれだった。
今、何を言っていいかもわからない。
「ちょっとというか、だいぶ礼儀がなっていないよね。賢者と言われてどうやら調子に乗ってしまっているんだろうね。少し前まではまだ礼儀にうとい令嬢という感じだったのだけれど、拍車がかかってしまったようだ」
元々、西の領地では彼女の評判が悪いとコリンナに聞いたのを思い出す。
「ハイデマリー嬢はともかく、君はあんなのを私の婚約者にあてがおうとしていたのだよ」
王子が楽しそうに笑っている。確かに賢者様も婚約者候補だと何度か主張した気がする。
「すみません。はじめてあの方に会ったのでなんというか……」
「君が驚くのも無理はない。あれでいて魔法の才能と商才は確かだからね。シュヴァルツ男爵家は彼女の才覚のお陰で立ち直ったし、そのアイデアに目を付けた大手のハインミュラー商会が後ろ盾についたので周りはますます彼女に何も言えない状態だそうだ」
「彼女よりは、私はマシですわね」
世間知らずと言われた私でもあれには敵わない。
「比べようがないよ!」
珍しく王子が大きな声を出したので思わず笑ってしまった。
あそこから連れ出してくれて本当に助かった。あのままではどんなボロをだしていたかわからない。
彼女も黒山羊様に連れてこられたのか。
そう思うと自覚していなかった優越感らしきものがしぼんでいく気がした。
わかってはいた。
人を選んだ訳ではない。黒山羊様にとって私は特別ではないのだ。
彼女も私もたまたま目についただけ。
こんな事を言うとアニカに失礼なのだけれど、人柄や善良さやそういうものが目に留まり神様なりに考慮した結果ではないのだ。
私は聖女で彼女は賢者。それが神様がくれた恩恵だとすれば、地位的にも平等な気がした。
遠い日の問いかけの答えを自分の中に見つけた気がする。
「君には前の世界の方が良かったんじゃないか?」
黒い雄牛が投げかけた質問。
この世界に来た理由、あの世界を去った理由。
私はただ疲れて逃げてしまいたかったのではない。
あの美しい神に魅了されてしまったのだ。何という単純な答えだろう。
あの神様の世界にいたい。
ただそれだけ。
「やっぱり、理解出来ないな」
どこからかそんな退屈そうな声が、夜会のさざめきに混じって聞こえたような気がした。




