72話 噂の真相です
「ハイデマリーは入学の準備は進めているかい?」
同じ年なのでやはり入学用意を進めている兄がそう話を振った。
「学院からの案内にある物しか揃えておりませんけれど、後は制服を作るくらいでしょうか」
「古語の辞典はヴィエランダーの出版社が出しているものがいいらしいよ」
「そうなんですか? ありがとうございます。ここ一か月ほどは修道女になるつもりでしたのですっかり入学の事を忘れていました」
少し悲しそうに微笑んだ彼女を、兄は見逃さなかった。
「修道女なんてもったいない! 君の様な綺麗な人が教会に入ってしまったら暴動が起きてしまうよ!」
ちょっと大げさではないかしらとも思ったけれどまず「もったいない」と同じ言葉が出たのが兄妹似ているなあとお茶を飲みながら思う。
「シャルロッテとクロ様のお陰でこうしていられますが、傷物になったという方もいらっしゃるみたいで……」
俯いてそういう彼女は気の強そうな顔立ちとは反対に、脆そうな雰囲気を醸し出していた。
こっそりコリンナが教えてくれたのだが、領地の方では呪われた姫君に近付くと呪いが移るとか何とか心無い噂が流れているそうだ。
そのせいで何件か彼女に来ていた縁談も、こちらの返事を待たずに取り下げられたらしい。
そんな話を鵜呑みにする奴なんかにハイデマリーは勿体無い。破談万歳である。
まだ王都から離れた土地では偽儀式の話が浸透していないという事もあるが、それにしてもどこからそんなデマが流れたのだろう。
大体彼女の呪いの事は浄化の儀式の完遂を持って公表されているのに、呪いだけが強調されて広まることなんてあるのだろうか。
西の噂にはというか市井に疎い私はまったくそんな話を聞いたことがなかった。
マーサの徹底的な俗世排除の教育のせいなのか、そういう話はソフィアに任せきりなところがある。
きっとソフィアもこの話を知っていたかもしれないが、私の事を考えて黙っているのだろう。
「大聖堂で儀式もしたのに、それを覆すような事を言う不届き者がいるのだね。君が美人だからやっかんだ心根の醜い輩が話を流したのだろう」
「不届き者だなんて。呪われたのは事実ですもの。間違ってはいませんわ」
ハイデマリーに悲しい顔をさせるなんて本当に不逞の輩である。
「だって君は大聖堂で神の下、浄化の儀を受けた訳だろ? しかも黄衣の王の祝福付きで。それなのに呪いが移るだのなんだの言うなら、黒山羊様の御力を信じていないということじゃないか。そいつは首の無い悪徳の神や貪欲な怠惰の神の信奉者としか思えないよ。私の領地でそんな事をいう奴がいたらすぐにでも締め上げてやるのに」
正義感の強いルドルフはどうやら本気で怒っているようだった。
なるほど兄の言う事はもっともで地母神教の信徒ならば、その噂を信じるというのはおかしなものだ。
ハイデマリーもそう思ったのか憂いが晴れたようだ。
「ルドルフ様はお優しいのですね。こんな兄弟を持ってシャルロッテ様が羨ましいですわ」
「君の弟達も評判がいいじゃないか。高潔姫の家族はみな自分を律して素晴らしいという話を聞いているよ」
ハイデマリーには弟がいるのか。
思えば彼女が嫁に行ってしまったら、家督を継ぐ者がいなくなってしまうので当然なのだけど。
こんな綺麗な人が姉だなんてそれこそ羨ましい話である。
「ルドルフ様には敵いませんわ。封印の解けた黒犬様なる怪物を調伏せしめたと歌にまでなっていらっしゃいますし」
その話を聞いて私と兄は微妙な顔でお互いを見た。
そう、彼が望んだとおり手柄は立てられ口伝いに武功は独り歩きしたのだ。
普段は周りに「運が良かっただけです」とかなんとか言って真相を濁しているが、ハイデマリー相手にはどうだろう。
「恥ずかしながら噂や歌は脚色が強くてね。僕がやった事はこのクロさんを見つけたことだけだよ。それもこのデニスが調べてくれたお陰だし現実はこんなものなのだよ。幻滅したかい?」
私は猛烈に感動していた。
美人の前で見栄を張りたいだろうに、ここまで正直に言ってしまうとは。
テーブルが邪魔で出来ないが横に座っていたら頭を撫でまくった事だろう。
それを聞いてハイデマリーがキョトンとした。
「あら? クロ様を見つけた方が余程お手柄じゃございませんこと? 黒山羊様の落ち仔を発見するなんてこの国のみならず世界的に素晴らしい事ですわ」
彼女にとってはそのお陰で儀式が出来たのだから、本心から出た言葉に違いない。
「あなたの言葉で後ろめたさが無くなったよ。ありがとう。優しい人」
気障な台詞だが、兄の屈託ない笑顔が眩しくてそれも様になっていた。
あの父に叱られた子供の冒険が報われた気がする。
兄の率直な感謝に、またもや固まっているハイデマリーに私からも感謝をした。
その後兄ルドルフの武功のひとつとして、黒山羊様の落ち仔発見が化け物退治とは別に語られるようになって広まった。
それに付随して、その落ち仔と聖女が行った儀式を疑う者は邪教の信者であるという話のオマケも付けて。
「だって隠しておくのはもったいない事ですよ。ハイデマリー様を元気づけてくれたのと、美味しい焼き菓子のお礼です。悪い噂は良い噂で隠してしまうのが1番なんですよ」
後日、その新しい噂の犯人であるコリンナが悪戯な笑いを浮かべてそう教えてくれたのは2人だけの秘密である。
おとなしそうな顔をして、やはりこの子やり手だわ。
いや末恐ろしいんですけど!




