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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第六章 シャルロッテ嬢と廃坑の貴婦人

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666話 馬の気まぐれです

 ヒヒーン!!


 ガタンッ


 馬の嘶きと共に、馬車が止まる。

 外では馭者の焦る声と、従者の声が飛び交っていた。


「一体、何なの?」

 アニカの不審げな声に、馬車の外部後座席にいた従者が答えた。


「アニカ様、馭者が言うには馬が何かに怯えて動かなくなったそうです。もうお屋敷はすぐそこなので、徒歩になさいますか?」

 従者の提案に顔を顰める。

「はあ? どういうことよ」


 ここはもうシュヴァルツ男爵領の中心部だ。

 王都程ではないが、充分に安全な地域である。

 魔獣は入って来れないし、肉食獣が潜んでいることもない。

 危険といえば人攫いや強盗だが、目の前にいる訳でもない犯罪者を察知する程敏感ではないだろう。

 一体、馬が何に怯えるというのだろう。


「ハント!」

 名を呼ばれると、彼は様子を見るように頭を巡らせた。

 どうやら周りの気配を読んでいるようだ。


「周りに特に危険はないね。特に隠れている人間もいないし、安全だよ。馬の気まぐれじゃないかな? 尖った石を踏んだとか背中が痒いとか、あるいは虫の居所でも悪いんだろう。男爵邸はすぐそこなんだから、ここで立ち往生するより歩けばいいさ」


 気まぐれ。

 そんな事があるのだろうか。

 貴族の馬車を引く充分に訓練された馬なのだ。

 アニカは疑問に思ったけれど、生き物なのだからそういうこともあると言われると、そんなような気がしてきた。


「ほら、さっさと降りて帰宅しよう」

 ぐいっと身を乗り出している。

「なによ? いやに急かすわね」

 確かにもうシュヴァルツ男爵邸は目と鼻の先だが、基本暢気なこの青年が急がせるのは珍しい。

 このまま座っていても、いつ動くかわからない馬を待つのは無駄である事はもっともなのだが。


 今日はとことんついていない。

 うんざりしながらアニカは椅子から立ち上がった。


 馬車の車室(キャビン)の扉を開けさせると、冷たい空気がアニカの頬を撫でた。

 外はもうとっぷりと暮れて、夜の帳を下ろしている。


 気分が悪いまま狭苦しい車室に籠っていても仕方がない。

 喧嘩の相手にもならない神を相手に文句をいうより、少し歩く方が気分転換にもなるだろう。

 館の方向へ目を向けると、従者のひとりが令嬢の帰りと馬の不具合を知らせに男爵邸へ駆けて行くのが見えた。


 地方の男爵領といっても、領主館のある街の大通りは舗装してあるし王都までとはいかないが、街灯も大通りにいくつか設置してあった。

 その間隔は少々広く、夜盗や物乞いが身を隠す暗闇は点々と存在し、全てを照らす事は出来てはいない。

 それでも、この社会にしては十分な数だ。

 これはアニカが、ハインミュラー商会との取引で得たものだ。


 そもそもシュヴァルツ男爵家は、潤沢な資産を持つ貴族ではない。

 アニカがここに来た頃は、街の地面はどこも土がむき出しであった。

 大通りはさすがに砂利を撒いたりはしていたが、安定したものとはいえなかった。


 街の大半は雨のたびに水溜まりが点在し、ぬかるみがえぐれて馬車や荷台は立ち往生したものだ。

 天候が回復してそれが乾いたとて凸凹で、どこも轍や馬の蹄の跡が刻印された状態であった。

 そんな大通りの地面を平らにするため馬に器具を曳かせてならしたものだけれど、そうしょっちゅうではなかったし完璧とは程遠い出来映えであった。


 舗装していない道での馬車の揺れには辟易したものだ。

 それが今では大通りだけとはいえ、石畳が敷かれている。

 アニカの現代知識を見込んだハインミュラー商会が整地してくれたのだ。


 その後、賢者としての寄付や収入を得て町や館を整え馬車を新調し、ようやく遊ぶ余裕が出来たのだ。


 アニカなりに、それは苦労の日々だった。


 それを知る地元民にとっては、彼女はまさに救世主であり賢者であると言って良かった。

 周りから賞賛される生活は、ささくれだった彼女の心を慰めたものだ。


 身代わりの家が貴族といえど貧乏であったのは計算外であったが、民に感謝される事は彼女の自尊心を満たしたし、知識を財産に変える生産的行為は面倒ではあったが、前世では得ることのなかったある種のやり甲斐と自信をくれた。


 それでも上位貴族の侯爵家や伯爵家や恵まれた領地を持つ貴族に嫉妬するのをやめられなかったのが、彼女の不幸だといえよう。


 だけれど神を騙し自分の悪行を背負わせて、かつ正気と魔力を奪う為の生贄となれる自分と同じ名前と髪と瞳を持つ子供は男爵家のアニカ・シュヴァルツしかいなかったのだから仕方がない。


「霧が……」

 夜の冷え込みのせいか、辺りには白い霧が立ち込めている。

「辛気臭い街」


 目に映る街並みは十分に栄えていたが、彼女が恋しいのは、煌々と照らすライトに派手な電飾。

 大型の街頭ビジョンに映し出される購買意欲を高める宣伝やあちこちに流れるBGM。

 夜でも溢れ返る人の喧騒。


 そんなものと比べれば、ここは前世の田舎の商店街よりも寂れていた。

 どうせならあの世界で生まれ変わらせてくれたら良かったのに。

 彼女は自分の境遇にいつも不満を持っていた。


 この容姿で前世の日本に生まれていたら、全てが手に入っていたはずだ。

 目を見張るほどの可愛らしさも、どれほどの金を手に入れてもあの文化には届かない。


 スマホも自動車もテレビもない。

 娯楽も物の選択肢も少なく、便利だった日本を思うと、ここにいる自分が惨めになってくるのだ。

 向こうでは、犬猫の方が今の自分よりいい生活をしているではないかと。



 こればかりは、神にもどうにも出来なかった。








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