646話 言い合いです
「何をおっしゃいますの? そもそも、見るからにつり合いがとれないではないですか。お金目当てのツバメならともかく、王太子の結婚相手が老女だなんて考えられませんわ」
私はそう言い捨てた。
少しきつい言い方だったかしら。
でも仕方がないのだ。
弱みがあればそこに付け込まれるのが貴族というものだ。
王族ならばなおさらだ。
王太子妃の座は、いつ侯爵令嬢に戻るかわからない不確かな現在の私に任せていいと思えなかった。
元々私はいい大人だったのだし、もしかしたら今のこの姿が本来のものということもあり得るのだ。
令嬢だったのは間違いで、実はこっちが本当でしたと言われたら納得してしまうだろう。
そうなれば元の令嬢に戻るのは憚られる。
婚約した当初は、王子と相性の良い適当な相手が現れたら身を引く気だった。
とんでもない賢者に対抗出来る令嬢がいなかった事や、政治も絡んで私がその座を降りることはなかったけれど、いつからか一緒にいることが当たり前になっていた。
ずっと一緒にいられるような気さえしたものだ。
こうしていざ身を引く段になって、半身が冷えるような寂しさを覚えるなんて思ってもみなかったことだ。
随分と絆されてしまった。
私の意図を察しでもしたのか、王子は不機嫌そうに腕を組む。
そうして、たっぷり時間をかけて私の顔を見据えてから不本意そうに、こう言った。
「君だって、私の祖父と一度は結婚しようとしたわけだよね? それと何が違うというのだい?」
信じられない事を言い出した。
私はあんぐりと口を開けて一瞬固まってしまった。
なんてこと!
今更そんな話を持ち出すなんて。
私の黒歴史をこんな風に使われるなんて思ってもみなかった。
「詭弁ですわ!」
「本当のことだろう? 同じような年齢差じゃないか」
「なっ!! あれとこれとは話が違います!」
顔を真っ赤にして反論する。
男女の性別が逆転しただけとはいえど、自分が孫ほど年下の配偶者を持つとなったら抵抗がある。
衝動的で考えなしだったとはいえ、ノルデン大公には悪い事をしたと自分が今、その立場になってようやく理解出来た。
脳天気な私は嫁が若くて何の不満があるのかと思っていたけれど、年の差がここまで違うと道徳的にも心情的にも抵抗があってしかるべきなのだ。
「ああ、そう? 私には同じに思えるけれどね。あの時の君は、どんな障害があってもお爺様と結婚する気概があったように思えたけれど、私に対してはそうではないのだね。自分がお爺様の妻になる利点を高らかに私に聞かせてくれたというのに」
王子は、不満そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。
今、そんな話をしていないじゃない。
確かにあの時の私はどうかしていて、いつになく勢いもあったし何より王太子の婚約を躱すために必死になっていた。
「いろいろと事情が違うでしょう」
「事情も何も、君は私の為に何もする気がないというのが現実だ。ああ、とても残念だよ」
「そんな……」
少し寂しさを含んだその言葉に、沈黙が訪れた。
確かに私は身を引く事しか頭になかった。
元に戻れる確証がないのだから、それは当然だと思っていた。
けれど、出来ることもあるのではないか。
この魔術を解く努力も何もしていないのだ。
黒い雄牛の足取りを追ったり、ギルベルトに頼って文献を漁ることだって、出来る事はあるのだ。
現状、相応しくないというだけで、私は彼から逃げようとした。
これでは王子が怒るのも当然かもしれない。
身を引くのは辛いと言いながら、1番楽な方法に逃げただけなのだもの。
「……、ごめんなさい」
何について謝っているのか自分でもあやふやであったけれど、彼に失礼な事をしたのだけは明確であった。
「いいのだよ。謝罪は受け取ろう。私が君にとっては、テーブルの上の花瓶みたいなものなのだ。明日には気分次第で違う花瓶が飾られるように、取り換えのきくものであっただけだ」
とても悲しい事をいう。
顔を背ける王子は、とても頼りなくみえた。
私はこの人に、何て事を言わせてしまったのだろう。
「そんなことありません! あなたは尊い方です。この国を導く方なのです」
「……、それは血の為せるもので、私個人とは別のものなのだ」
ああ、なんてことすっかり意気消沈している。
「違います! 私はあなたが努力しているのも、横で見てきました。自身を制して人心を理解しようとしてきたではありませんか」
「でも、君にとってはどうでもいい存在だ」
どういえばわかってくれるのだろう。
「そんなことないって言ってるでしょう? どうでもよくないから、こうして身を引こうとしているのです。私だってこんなことしたくない! でもあなたの事が大事だからこうするしかないって、わかっていらっしゃるでしょう?」
必死に言葉を紡ぐけれど、それが届くことはない。
「大事だといいながら、その実、嫌っていたのではないのかい。王族に逆らえなくて迷惑していたのではないかい? この婚約に、不満があったのだろう」
そりゃあ最初は困惑はあった。
けれど、嫌った事は1度もない。
こっちを見て。
ちゃんと私の話しを聞いて。
「私は! 嫌いな人とは一緒にいられるほど大人ではありません!」
「では私の事が好きだとでも?」
「好きに決まってます!」
そう叫んだ瞬間、彼はこちらを見てニヤリと笑った。
「では、私と来るのに何も問題ないではないか」
納得したかい?とでもいうような表情で、私を見ていた。




