642話 詰問です
こうして別の立場になってみると、随分とこの王子は侯爵令嬢であった私に気を許していたのだと身に染みる。
私といる時の彼は、こんなにも大人びてはいなかったし、口調ももっと砕けていた。
目の前にいる冷静で威厳を帯びた少年をみると、無理をしてはいないかと心配になる。
初めて会った時は、可愛げも愛想もない子供だった。
それがいつの間にか、立派になったものだ。
私が知らないところで努力したのだろう。
彼は一緒に歩める人間を求めていた。
母親を亡くしたことで家族を欲していたのもあるけれど、それでも私を母親代わりにすることはなく、私にきちんと向き合ってくれていた。
公務について真面目に話し合ったり、他愛のない話をして笑い合ったり、時にはからかったりと他には見せない顔をみせてくれていた。
子供らしいのぼせあがるような恋愛ごっこは出来なかったけれど、お互いを尊重して大事にしてそして私の気持ちを優先してくれていた。
いつも私の瞳を覗き込んで、私がここにいるかを確認していた。
「庇護すべき我が民が虐げられるのを見過ごす訳にはいかないからね。あなたは彼女と違って随分礼儀正しいようだ。どちらで作法を?」
まっすぐで慈悲深い王子。
彼にとって、無力な民を庇うのは当然の事であり、公平に誰にでもそうするのだろう。
それが令嬢であっても、食堂の下働きが相手であっても。
ここにいる自分が彼の特別ではないことが、酷く胸を締め付けた。
それにしても、どう答えればいいのか難しい質問をしてくるものだ。
鉱山で働く分には問題はなかったし、皆互いの詮索は控える習慣のせいか困る様な質問をされることはそこほどなかった。
鉱夫でもない王子に、私はどこまで偽ることができるだろうか。
「身を寄せていた家門にて、こちらの国の作法を学ばせていただきました」
スヴェンは黒い雄牛の作った設定をそのまま報告しているはずだ。
ここは苦しいけれど、それに乗るしかない。
「そう、確か異国の出だと聞いている。出身地を聞いてもよいだろうか?」
まあ異国と言われたら、興味は示すものよね。
だけれど、どの国かまでは決まっていなかった。
私は、設定が甘すぎるのだと心の中で黒い雄牛様を責めた。
「昔に捨てたものですので、今ではすっかりこの王国が我が国だと思っておりますわ」
無礼な言い方になっていないかしら。
誤魔化すにも匙加減が必要だ。
顔を上げていなくて良かった。
目が合ったら、この薄っぺらい嘘を見抜かれていたかもしれない。
「我が国を気に入ってくれているようで、とてもうれしいよ。そういえば、意志薄弱な子を廃嫡して乳母のあなたと共に追い出したという家はどちらだろう?」
警戒はしていたけれど、王子は痛いところをついてきた。
先程から薄々勘付いてはいたけれど、これは貴族令嬢に虐められた平民女性に同情しての会話ではない。
どちらかといえば詰問されているというのが正解だ。
どこかの国の間者と思われている?
この鉱山の前の足取りがあやふやなのだから、そう思われても仕方はないといえよう。
王子は何か勘付いているのだ。
私は耳障りのいい言葉で彼からの求婚を誤魔化そうとして失敗した、あの王宮の美しい庭でのやり取りを思い出してじわりと汗をかいた。
「お世話になった家のこと故、それはご容赦下さいませ」
ゆっくりと、丁寧にそう口にする。
「捨てられたというのに、なんと忠義に厚いことだ。ならばその養い子はどちらに? これも縁だ。あなたと2人、王宮で保護しようではないか」
ああ、昨日までならばこのありがたい提案に飛びついただろうに、なんて人生は意地悪なのだろう。
アニーを失った今、その申し出は無意味なのだ。
この場で子供は消えたと言ったらどうなってしまうのだろう。
私が何がしら関わっていると勘繰られるのは間違いない。
子供が邪魔で殺したと思われてもおかしくないのだ。
私だって、アニーがどこにいるか知りたいというのに。
「……鍛治小屋で留守番をしていると思います。先程まで私は鉱夫に攫われた女性の捜索をしていまして……」
捜索に出ていたのはロルフも知っているし、帰って来たところをテオも見ている。
だけれどそれが決定的なアリバイになるかと言われると難しいところだった。
「女性を連れ戻して病院に行くように手配したのは、あなたであったか」
「ええ、見つけたものの怪我をしていたので、手当を人足頭に頼みましたわ」
「そうか」
王子の声が一段低くなる。
「それで、あなたは何者なのだい?」
この底冷えする声を私は知っている。
あの庭で聞いた声。
王子が慈悲深さと威厳を持っているのは間違いない。
だけれど、それだけではないのだ。
人を畏れさせるものも持ち合わせている。
それを向けられたら、猟犬に追い詰められた子うさぎになったような気持ちにさせる圧倒的な威光を含んだ声。
彼は私が騙している事をわかっていて、今までのやりとりをしたのだ。




