65話 策士です
「シャールーローッテー!」
学術地区から帰ってご満悦の私を待っていたのは怒髪天を衝くかの如く怒った母の姿だった。
一体何があったのか。
貴賓室の応接間のテーブルの上には籠に入れられた山の様な数々の手紙。
開封の手を休めまいとソフィアとコリンナがペーパーナイフを片手に一生懸命開けている。
まるで内職か何かをしているかのような光景である。
「シャルロッテ様! おかえりなさい! さすが桜姫様ですわ。こんな状態私では考えられませんもの」
コリンナは手は忙しそうに動かしているがご機嫌な様子で話しかけてくる。
すっかり母とソフィアになじんでしまった。
「何があったのでしょうか?」
恐る恐る聞くと母がこめかみをぴくぴくとさせて説明してくれた。
私がノルデン大公に求愛した事が貴族の間に噂になっていて、大公の年齢で問題ないならば我も我もとつれ合いを無くした寡から未婚の高齢貴族までがこぞって結婚の申し込みをしてきたのだそうだ。
今まではつり合いのとれる年齢と家柄ということで、まだどうにかなる量だったのが、たった数日でここまで膨れ上がってしまった。
「ただでさえシャルロッテ様は桜姫と名を馳せているのに聖女にまでなられて、国中の男性がほおっておきませんわ」
さすが私のお嬢様と、鼻高々にソフィアが言っている。
なるほど国中の男からこんな風に乞われても、それは何の意味も持たない。
王子が言っていた「国中の令嬢が好きだというならそれはありふれたもので価値がないのと同じ」と言うのはこの事なのかと思った。
私の評判と肩書だけに寄ってくるのなら確かにその好意は私にとっては意味がないものなのだ。
「失礼のないようにどの手紙も開封して目を通して返事を書かねばなりません。これは序の口ですよ。私達は対応に追われて他の事が出来ないと覚悟しております。ですが、あなたはそれをすぐに解決する方法を持っているのです」
忙しさのせいかここ数日の激動のせいか、母の迫力が増した気がする。
「解決ですか? 私も一緒に作業するくらいしか思いつきません」
心無しびくつきながら返事をする。
「あなたひとりが加わってもどうにもなるものではありませんし、これは日々増えていくものですよ」
「では専属の使用人を雇うとかですか?」
「いいえ、シャルロッテ。あなたが王太子殿下の婚約者になることです」
母はピシャリとそう言った。
「私達が手紙に埋もれるかどうかはあなた次第。そもそもこれはあなたが撒いた種ですからね」
やられた。
王族の庭での出来事が広まっているというあの時の詩人の言葉に、違和感を覚えなければならなかったのだ。
王子の婚約者候補が前王へ王子を無視して求婚するなど緘口令が敷かれておかしくない案件であるはずなのに、なぜ人の口の端に上ることになっていたのか。
それは王子が意図的に目をつむったに違いない。
詩人は密偵を持っていると匂わせていたので知っていてもおかしくはなかったが、即日噂になるのは異常なことだったのだ。
王宮に勤める者には、誰にも守秘義務が課せられている。
王子はこうなることがわかっていて、自分に不名誉な噂にもかかわらず口止めをしなかったのだ。
あの王子ならやる。そんな確信があった。
ここ最近の穏やかな様子にすっかり忘れていたが、あの庭園の時の王子ならきっとここまで考えていたに違いない。
無関心を装って魚を自由に泳がせながら、最後は仕掛けた網の中に自ら入るように水の流れを整えていたのだ。
彼は何もせずに眺めているだけでいいのだ。
両親も私が婚約者になればいいとは思っていた。
だがそれはあくまで私が望んだらの話だ。
その証拠に婚約者の話は考え中だと伝えても、少しも急かされたことはなかったのだ。生活を脅かされる訳ではないのだから。
「観念をしなさい、シャルロッテ」
八方ふさがりとはこのことか。
確かに婚約を決めてしまえばこの先申し込みはひとつ残らず無くなるだろう。
相手が王子ならば、権力や地位を笠に着ることも出来なければ横やりも入らない。
だがこんな形で決めたくはなかった。
庭園の浅はかな行動を反省していた私は出来ればちゃんと考えて誠意をもって返事をしたかったのだ。
しかしやはりこれは私が撒いてしまった種に違いない。
これが良い種なのか悪い種なのかは収穫してみなければわからないけれど。
このまま何の手も打たない状態が続けば各貴族はこちらからの断りの手紙を読んで、また食い下がる返信がされ延々とそれが続くのだろう。
こんな混乱は想定外であった。
少し考えればわかることだったのに、お互い謝って水に流しましょうねと仲直りして終わりだと思っていた私が単純すぎた。 バカだったのだ。
ああ、バカは死ななきゃ治らないというけれど、死んでも治りませんでした。
してやられた感が強くて悔しいけれど私にはなすすべがないのだ。
これはもうこういうしかない。
王子の勝ちであると。




