632話 罰です
「あー、アニカ様、それはちいっとまずいんで」
私が顔を青くしていると、思ってもみなかった助け舟がグンターから出された。
「何? あんた、私に逆らうって言うの?」
「そんな滅相もない! ただね、知っての通りこの婆さんの料理は鉱山の目玉になっちまってる。手が使えなくなるのは、こっちもちょっと具合が悪いってものでね。それに婆さんはハインミュラーさんも気にかけてるんで、誤魔化すのがね」
まさかの拝金主義が、私の助けになるとは思わなかった。
料理を振舞っておいて良かったと心から思った。
「ふうん、ハインミュラーの邪魔する気はないわ。じゃあ、足の指でも潰そうか」
「いやいや、それもこき使えなくなるじゃないか。舌を切ってもいいけど料理に影響しそうなのがなあ。うん、あれだな、髪を切るのはどうだ?」
私を無視して、2人は夕食のメニューを決めるかのような軽さで語り合っている。
舌を切るだなんて聞くだけで恐ろしすぎて、口をきつく閉じてしまった。
でも冗談ではないのだ。
実際にジーモンはそうされたのだから。
この人達は、他人の痛みや辛さを想像するという行為とは無縁なのだ。
心を痛める事なく、それをやってのけるのだろう。
ふと気になって、そのひとりであるラムジーをちらりと見ると、微動だにせずアニカを凝視していた。
会話に参加することなく、彼女の一挙手一動見逃すまいとしているかのようだ。
その姿を見て、声が聴けるだけで満足といった風である。
私など目に入っていない。
でなければ何か言うはずだ。
私の事を仲間だと思って、手の内を明かしていたのだもの。
それがグンター達にばれていたら、こんなに悠長にはしていられなかっただろう。
それとも仲間であっても、こうして彼女が懲罰を与える事が普通の事であるから騒ぎ立てる必要はないとか?
それはそれで嫌な慣れである。
彼にとってはアニカは女神様か、何かなのだろうか。
あの細工小屋での多弁だった彼とは、まるで別人のようだ。
私への断罪に口を出さず大人しくしてくれている分にはありがたい事だけれども、その陶酔ぶりはまともには見えない。
「髪? 髪なんて切ってどうすんのよ。痛くも痒くもないじゃない」
グンターの提案にアニカは口を尖らせた。
私が言うのもなんだけれど、それはそうだと同意してしまう。
放っておけば伸びるものだし、何故髪なのだろう?
「アニカ様は知らないかもしれませんが、髪をバッサリやられた女なんて、マジでみじめなもんなんです。短い髪なんてそりゃあみっともなくって、やってんのは修道女か虜囚くらいなもんだ。頭に被るものでもなきゃ、表を歩けないってくらい恥ずかしいことなんです」
「ふうん、そうなんだ。虜囚って罪人って事よね? わかりやすくていいじゃない。いいわ、髪を切るので我慢してあげる」
得意気に語るグンターのお陰で、どうやら断髪で済みそうだ。
私は立場を忘れて感心してしまった。
そんな事さっぱり知らなかったのだもの。
あの口ぶりだと、この世界の女性にとって爪を剥がされるのと同じくらいの意味があるのだろう。
もしかしたら、それより辛いのかもしれない。
私にとっては長い髪は重いし、短いならそれはそれで楽でいいとしか思わない。
そりゃあみっともなく刈り込まれたら鏡を見るのが嫌になるかもしれないけれど、痛みを与えられることを思えば比較にならない。
意外なところで現代日本の感覚に助けられる事になった。
「さすが賢者様は心が広い。おい、ロルフ。その辺の刃物よこせ。ハサミでも包丁でも切れりゃなんでもいい」
グンターは調理場のロルフにそういいつけた。
調理場といっても食堂の一部を台で仕切っただけなので、そこは丸見えだ。
それでもロルフは咄嗟に隠れようとしたのか、鍋の蓋を自分の前に盾のように構えてオロオロしていた。
「あっあっ、え? ロッテ婆さんの髪を切るって言ったのか?」
「何聞いてたんだ。そうに決まってんだろ。グズグズしないで、早く寄越せ」
私に加害する一端を担いたくないのか、ロルフは消極的ながらも抵抗をしてくれていた。
「そんな……、いや、ああ。あっあの、調理場の刃物で女の髪を切ったなんて噂になったら、せっかくの客が来なくなっちまう!! そうなったらあんた責任とれるのか?!」
苦肉の策なのか駄目元のつもりなのか、覚悟を決めたように目をギュッと瞑ってロルフは叫んだ。
「それはそうか……」
運良くグンターの同意を得たようで、料理人はへたへたと座り込んだ。
やはり鉱山支配人に逆らうのは鉱山の食を一手に引き受けているロルフでも勇気がいる事だったのだろう。
「スヴェン! ちょっと走ってハサミ持ってこい!」
いつも通りにグンターが叫んだ。
そのやり取りに、アニカが不機嫌そうになってきていた。
それがますます、グンターのイラつきに拍車を掛けていた。
「おい、スヴェン! どこ行った?」
叫んではみるものの、いつも従っているスヴェンは食堂のどこにもいなかった。




