628話 訴えです
「やっと帰ってきてくれたのか! カトリンは見つかったのか?」
先ほどと同じやり取りを一通りすると、ロルフは安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
そしてひと呼吸つくと、今でも泣き出してしまいそうな顔で弱音を吐いた。
「賢者様に給仕なんて俺には無理なんだよ! 俺が不敬罪で捕まるかクビになる前に、早く中に入ってくれ!!」
それは気の毒になるくらい、切実で必死の訴えだった。
中に入って普段とは違う食堂の様子を間近に見ると、ロルフが取り乱すのもわからないでもなかった。
ここのところは鉱山には料理目当ての物見遊山の貴族の客も来ていたのだし、彼なりに貴族の相手は慣れてきたはずだった。
それでも、客の中には渋い顔をする者はいても、家具を替えさせる人間はいなかったのだ。
賢者を前にしているという事も、うろたえる原因なのだろう。
思っていたよりも西部で賢者という存在は、大きくて影響があるようだ。
ハイデマリーへの悪意ある評判が中々おさまらなかったのも、アニカが裏で糸を引いていたのかもしれない。
敬愛する賢者がそう言うのならと同調する貴族達もいただろうし、何より彼女本人が自分よりも目立つ令嬢を毛嫌いしているのだから、やっていないと思う方が無理というものだ。
ロルフのことを考えると手伝いたいのは山々だけれど、私が彼女に給仕するのは別の意味でよくないのではないかしら。
どうやっても、私は気持ちよく賢者をもてなすことは出来なそうになかったし、向こうも私に何かしてもらいたくないだろう。
彼女が私の正体を知っていたらの話だけれど。
「あんたの料理が評判なのは知ってたけどよ、賢者様が来るなんて聞いてないんだよ……」
すっかり意気消沈して呟いた。
それほど重圧を感じているのだろう。
ロルフは元から平民であるし、私とは受け取り方も違うのかもしれない。
賢者の機嫌を損ねたら、それこそ西部で店を出せなくなるとか、この土地ならでは扱いはあってもおかしくはないもの。
「あの方は、何しにいらしたんです?」
冷えた私の声に、料理人はびくっと反応した。
「なんだ、ロッテ婆さんは賢者様が嫌いなのか? 何しにっていうか、噂の料理についての話を聞きにきたそうだ。ほら、ハインミュラー商会は彼女のお抱えだろ? そこの商会長が絶賛してる料理なんだから、気になるのは当然ってもんじゃないか? 婆さんがいないから断ったんだが、待つといって聞かなくてな。グンターの命令であっという間に食堂は模様替えさ。なあ、貴族様っていうのは家具まで持って歩くものなのか? 馬車からテーブルやら椅子が出てきてたまげたよ」
まあ彼女の事だから、道中不自由しないようにいつも家具を運んでいると言われても納得は出来る。
私も移動の時は休憩用のクッションやら絨毯が荷物用の馬車に積まれていたのだもの。
それにしても鉱山で身を立てる為に料理に励んだ結果、アニカ・シュヴァルツを引き寄せるなんて、何とも私はついてない。
「家具は初めて聞くけれど、お姫様とかならあるかもしれないわね。まあ、賢者様は質素はお嫌いなのでしょ」
「はあ、やっぱり俺達とは違うんだなあ」
私の嫌味は通じずに、ロルフは感心するばかりだった。
小声で話し合っていると、ひときわ高い声が響いた。
「その人が噂の人? いつまで待たせるつもりなの?」
その言葉に、目を瞑ってどうしようか考える。
私はさぞかし苦い表情をしている事だろう。
「ほら! 婆さんの出番だ!!」
そんな私をよそに、ロルフは私の背中を押した。
この料理人、幾らアニカの相手をしたくないからって、こんな風に私を差し出すなんて!
小言を言いたいところを我慢して、深くお辞儀をする。
「所用で外出をしておりました。賢者様の来訪におきましては、夢にも思わずお待たせしてしまい失礼を致しました。このような場に足を運んでいただき、大変光栄に存じます」
なるだけ顔を下げたまま、挨拶をした。
まあ私の言葉を説明すると来るなら先に予約を入れろと言った訳だ。
彼女にそんな通じないのは重々承知であるけれど。
それにしても、私の事をただの使用人だと思ってくれてるならいいのだけれど。
彼女がここに来たのは偶然?
それとも……。
「ふうん、あんた元貴族なんだっけ? こんなとこで手伝いなんて、随分落ちぶれたのねえ。料理が上手いならうちで雇ってあげてもいいけど?」
私はその意外な提案に、思わず顔を上げた。
アニカの家に雇われたら、連れていかれたアニーに会える可能性があるのではないか。
そんな僅かな希望が、私の顔を上げさせたのだ。
「ああ、そんな顔なのね。なんて平凡で、つまんない顔。ふふ、あんたには地味な顔があってるわ。ええとロッテ・シャルルなんとかさん? ねえ、それってどっかの令嬢の名前みたいだと思わない?」
鉱山の人達が見ているというのに、それを気に留めることもなく意地悪く少女は笑って言った。
彼女にとって、ここの観客は空気みたいなものなのだろう。
彼女はどうやら私がシャルロッテ・エーベルハルトだと知っているようだ。
今、身分を盾にされたら私に抗う手立てはない。
「ねえ、なんとか言ったらどう?」
楽しそうに彼女は囀った。




