627話 囲いです
私を見る姐さん達の顔には心配や憂慮が浮かんでいるが、それとは別に何かソワソワとした落ち着きのなさを感じた。
それにしてもカトリンを心配して食堂に集まるのは妙だ。
中には入らず、こうして外で取り囲んでいるのもおかしな行動である。
「カトリンは見つけましたわ。無事とは言えないので、医者に診てもらう事にしたの」
「医者? 何があったんだい?」
皆が口々に彼女を案じて、問いを投げかけてきた。
心からカトリンを思っている感じだ。
町医者へ運んでいるのだから、処置やなんやとすぐには帰ってこれないだろう。
不在中、心配をあまりかけるのもなんだし、大袈裟にならないように伝えようと決めた。
「少し怪我をしていまして、詳しい事は私もわかりませんけど、命に別状はないと思いますわ」
「本当に大丈夫なんだね? はあ、呪いの事があるから、見つかってよかったよ。ありがとうね、ロッテ婆さん」
「それより、これはなんの騒ぎなんです?」
私の言葉を聞くと、姐さんのひとりが確認するように周りを見回した。
「あっ、ああ。あんたもびっくりだわね、これ。あたしらカトリンの事が心配でみんな起きてたんだけどね。急に来たっていうじゃないか。だから皆で押しかけたのさ。こんな事初めてだし、実物を一度は見てみたかったしね」
興奮気味に話しているせいか、主語が抜けて要領を得ない。
姐さんは、ちょいちょいと手招きすると、中を見てみろとジェスチャーで指示をした。
何事かはわからないけれど、私も一緒に壁に開けられた四角い穴みたいな窓から中を覗いてみた。
「ちっちゃ! かわいいわね」
「でも、なんかちょっとわがままっぽくない?」
「見て! あの髪と肌。ツルツルだわ。若いから? 高い化粧品とか使ってんのかな」
「なんていうか……、偉そうじゃない? なんか幻滅……」
「あら、そんなもんじゃない? うちらとは違うんだから」
姐さん達は、互いに喜んだり落胆したりと、ヒソヒソと感想を交わしながらこの場を楽しんでいた。
カトリンの事は心配でも、これはまた別という事のようだ。
私は自分の目を疑った。
食堂の中はすっかり様変わりしていたからだ。
樽と木板で作られた机と椅子は、片付けられてどこかにやったのか室内はすっきりとしていた。
代わりに運び入れられたと思われる場に似つかわない豪奢なテーブルと椅子が置かれている。
染み付いた酒と煙草の臭いを消す為か、香まで焚かれていた。
いつも飲み散らかした瓶や杯が転がる床には厚みのある絨毯が敷かれて、まるでここだけ貴族の生活を切り取ったような雰囲気だ。
「はあ、辛気臭い場所ね」
中にいた少女は、可愛らしい声で忌々しそうに言い捨てた。
従僕なのか侍従なのか分からないが、側に仕えている見目好い若い男性達がそれをなだめている。
傍らにはグンターが顔色を伺うように揉み手をし、ラムジーは陶酔したように少女を見つめていた。
ここにいたからグンターの怒鳴り声がしなかったのだ。
用でも言いつけられているのか、いつもグンターに付き従っているスヴェンはいなかった。
周りがざわめくのもおかしくはない。
そこに女王様のように君臨しているのは、茶色の髪に緑の瞳の賢者アニカ・シュヴァルツであった。
ああ、そういう事だったのだ。
鉱山にとって尊い彼女を迎え入れる為に、カトリンの生死は後回しにされ、掃除と片付けが優先されたのだ。
彼女の目に見苦しいものが写らないように。
衛兵もなにもかも、この少女の為に配置されていたのだ。
先程までの脱出劇も、朧水晶との対峙もなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
私達が命がけで異形と対面していた時に、この人達はひとりの少女をもてなす為に必死になっていたのだ。
朧水晶もいっその事、賢者達を取り込んでしまえば良かったのに。
そんな物騒な投げやりな考えた頭をよぎった。
それにしても何故、彼女がここにいるのだろう。
私のアニーは連れて行かれてしまったというのに。
ふつふつと、怒りが湧いてくる。
賢者が朧水晶を見つけたのだから、ここにいてもおかしくはないのだけれど、今まで伯爵邸に足は運んでも鉱山に寄る事はほとんどなかったと聞いていた。
だからこそ安心して暮らしていたのに。
それにアニーをあんな風にしたのも、この目の前の少女が関係しているに違いなかった。
黒い雄牛がアニーに向かって「アニカ・シュヴァルツの片割れ」と呼び掛けていたのだから。
実際にアニーがどういう生活を送っていたのかは知らないけれど、それがいい環境でなかったことはわかっている。
アニカはアニーの存在を、状況を知っていて、助けなかったのではないか。
彼女が手を差し伸べていたら、アニーが正気を失う事はなかったのではないか。
のうのうと、ここにいる姿を見ると今にも詰め寄って責め立ててしまいたかった。
そして、あの子をどこにやったのかを問い質したかった。
昏い衝動を抑えていると、ロルフが食堂から出て来て私の両腕を掴んだ。
彼はひどく憔悴している様子である。
テオもロルフが大変だと言っていたけれど、それは本当だったようね。




