626話 この先です
「どうしたんだ!」
衛兵から呼ばれたテオが、私を見つけると駆け寄ってきた。
「あんた坑道へ向かったって話しだったのに、何だって外から帰ってくるんだ? それにそっちの黒い女は? 誰か倒れたのか?」
慌ただしく私を問い質しながら、カトリンを抱えて後ろに立っているアリッサに彼の目が釘付けになる。
それはそうだ。
山の中腹に徒歩の修道女がいるのもおかしな光景であるし、さぞや目を疑ったことだろう。
何よりその細いやわ腕で人を抱えているのだ。
奇異に見えることは間違いない。
その腕の中の女の肌の色は、血の気が失せて青く見える程だった。
テオがそれに気付くと、血相を変えてアリッサに駆け寄る。
「カトリン? カトリンなのか? 何でこんな……。怪我してるのか? おい、返事をしろ。ロッテ婆さん、一体何があったんだ」
激しい剣幕で詰め寄るテオを押しとどめる。
「待って! そんな声を荒げないで。今は詳しく話してる時間はないわ。カトリンの治療が先なの。ジーモン……、いえ、町医者に任せた方がいいかしら? とにかく早く医者に見てもらわないと。町への馬車はある?」
「あ、ああ、わかった。馬車が何台も来てるから、事情を話して出してもらおう。そうだ! あんたは食堂へ行ってくれ」
何だってこんな時に食堂へ?
動転しておかしなことを言い出したのかしら。
「何言ってるの? 私もカトリンに付き添うに決まってるじゃない!」
「いや、婆さんは食堂だ。でなきゃロルフが大変なんだ。まったく何がどうなってんだ」
私達が水晶の棲家から戻る間に、ロルフに何かあったというの?
テオは理由も言わずカトリンをアリッサからひったくると、馬車を停めてある方向へ走っていってしまった。
呆気にとられたまま門に入ってみると、雑然としているはずの広場は整理されて掃き清めたのか綺麗になっている。
普段からみたら十分整えられているというのに、鉱夫達はそこらに無造作に置かれた雑多なものを運んだり、落ちている石を拾い集めたりと、ついぞお目にかかったことの無い行動に勤しんでいた。
そしてあちらこちらに衛兵が立っている。
鉱山で何事か起こっている。
人探しの捜索隊云々という話ではないのは確かだ。
捜索隊どころか人を探しているような感じは全くなかった。
皆がこの場を少しでも清潔に見えるようと、働いているように見える。
衛兵はどうみてもオイゲンゾルガー伯爵領の兵士ではないし、他所から来ているのだ。
黒い雄牛が起こした崩落が思ったより大事になって応援を呼んだとか、それともグンター達の悪事がどこからか明らかになって、それを裁くためにお偉いさんが来る準備をしているとか?
それならこんな騒ぎの中、グンターの怒鳴り声がしないのにも納得が出来る。
とりあえず状況を把握する為にそこいらにいる鉱夫に声を掛けるが、衛兵にさぼっていると思われたくないのか手を振って追い払われてしまった。
彼らの様変わりに戸惑いつつ振り向くと、アリッサ達の姿はなかった。
てっきりいつも通り後ろに付いていてくれると思ったのに。
私がこの姿でいる間は、人前では距離を置くつもりなのかもしれない。
アリッサが、私の鉱山の生活の邪魔をしたくないと言っていたのを思い出す。
邪魔だなんて思うはずがないのに。
前のようにどこか近くにはいてくれているのだろうけれど、知らなかったならともかく彼女達がいる事を知った今、その気遣いは私にうら寂しさをもたらしていた。
隠すような扱いをしたくはないけれど、だからといってその存在を明らかにするのも好手とは思えなかった。
修道女に黒い仔山羊に黄色い小鳥。
馭者が私に語ってくれた噂の一行だ。
もし、ここに彼らがいると広がれば貴族や官僚にシャルロッテ・エーベルハルトもここにいるのではないかと推測されてもおかしくない。
そうして侯爵令嬢の捜索が始まり、身元の怪しい私の扱いは推して知るべしだ。
確かにアリッサの判断通り、一緒にいない方が私は安全なのだ。
私は元の生活に戻りたいのかどうかも自分で分かっていない。
姿は前と違っているし、この先どうなるか予想もつかない。
だからこそ、彼らをどうするか判断が出来ないでいた。
とにかく言われた通り、ロルフの方へ行こう。
今、自分に出来ることはそれだけなのだった。
普段とは違う様子の中、歩いていく。
食堂の周りには、結構な人が取り巻いていた。
「何事なの? これは」
鉱夫はともかく、この時間は寝ているはずの娼館のお姐さん達も一緒に連なって中を覗いている。
「ロッテ婆さん!」
そのうちのひとりが声を上げた。
「あんたカトリンを探しに行ってくれてたんだって? どうだった? カトリンは見つかったのかい?」
お姐さん達は、いつもの濃い化粧をしていないので妙な感じである。
慌てて、ここに集まったという事だろうか。
食堂になにがあるというの?




