625話 門番です
「そうなら安心ですね。前にここに来た事が?」
「ええ、ここに来たというか、さっきの広い空間ね。私、あそこに置き去りにされていたのよ。その時にグーちゃんに教えてもらったの」
笑いながらそう語ると、アリッサがまたもや怒り出した。
そうね、こうやって口にしてみると、とんでもない扱いをされたものだわ。
アニーの扱いにしたってあんな意志薄弱な状態で暗闇にひとりでいさせるのも思い返せば考えられないことだ。
でも、そのお陰でアニーとグーちゃんに会えたのだから、怒りというほどの強い感情はわいてこなかった。
私は彼らとここで出会って、同じ時を過ごした。
家族のように暮らして、家族のように大事にしていた。
そして彼らもそのように返してくれていた。
だからその出会いをもたらした黒い雄牛への憤りを持ち合わせていないのだ。
どちらかと言えば、感謝が先に立つかもしれない。
おかしなことだけれど、それが黒い雄牛が神であることを証明しているような気がした。
人がやっていたら許せない事でも、神が行うのならそういうものであると心が勝手に納得してしまうのだ。
神と人は違う生き物で、人の道理が通じなくても仕方がないというところか。
それは異形に対してもそうで、人の倫理を人でないものに振りかざしても、それは石に説教を聞かせるようなものの様に思える。
もちろん自分が侵害されたならば、こちらも報復するのは当然のことだけれど。
黒い雄牛に彼らを連れて行かれた事には納得はしていないが、あの時は脅されたようにも見えなかった。
彼ら自身が決めて同行したのだから、彼らの意志を尊重する為にも諦めなければならないのだ。
悪い事にはならないと、グーちゃんを信じるしかない。
また会えるかしら。
「また」と言ったのだ。
きっと会える時が来ると信じないと。
そうして私も進まなければ。
そしてまた会えた時には、再会を喜んで2人に大好きだときちんと言葉にして伝えよう。
前は水場の先で一晩休んだけれど、あの時とは違い子供連れではないしアリッサの先導もあってどんどんと先へ進む事が出来た。
こうしてみるとあの時は、この洞窟を恐る恐るかなりの牛歩で進んでいたと実感する。
このペースだと半日もかからずに外へ出られることだろう。
坑道と繋がっていた事からも、昔の鉱山の人間が緊急用の抜け道として作ったのではないだろうか。
洞窟自体はさほど大きくないし、中に水場まであるのだから、鉱山が野盗に襲われた時や万一戦争が起きた時の逃走路として、いかにも役立ちそうではないか。
政争も無い平和な時代が続いたことで使われなくなり、その用途も忘れ去られたのかもしれない。
つらつらとそんな事を考えるうちに出口についてしまった。
呆気ない。
案内や知識がなければ小さなものも巨大に見えてしまうものだけれど、それを実感したものだ。
さあ、ここからは下って行くだけだ。
カトリンの為にも早く鉱山へ向かわなければ。
山の中というものは、どこか見た事のあるような初めての場所のようなそんな景色の繰り返しだ。
下ればいいといったものの、標識がある訳では無い。
アリッサと話し合いながらうろ覚えの記憶を頼りに進んでいると、時折ビーちゃんが空高く舞って鋭く鳴いて行き先を修正してくれた。
山を上空から眺める事が出来れば人工的に切り開かれた鉱山の町は、さぞかしその景色から浮いていることだろう。
ほどなくして石垣が見えてきた。
ほっと肩の力が抜ける。
カトリンの命は無事だが、鉱夫が助かるすべはなかった。
どう言い訳したらいいだろう。
水晶の棲家の話をしても、信じてはもらえないだろう。
森の中で偶然カトリンだけ見つけた事にする?
カトリンが血まみれで倒れていて、鉱夫は見つからなかったと。
それも不自然だけれど、それくらいしか思いつかなかった。
こうして、鉱山の呪いがまたひとつ増える訳だ。
食堂への客が増えたせいか門前の道には前よりも多くの轍がしかれていた。
心做しか、前よりも道も広くなっているように思えた。
思い過ごしではなく、人の手が入って整えられたのかもしれない。
人が活動するということは、こんな山道にもしっかりと影響するものなのだ。
あの重い門はというと、幸いにも開いていた。
食堂への外来の客を迎える時にその都度開けていたはずだけれど、どうも商隊かなにか馬車を何台も通すようで今は開放しているようだ。
門の前には衛兵が立って、私達を訝し気に眺めていた。
門番は鉱夫が代わる代わる勤めていたはずだけれど、その衛兵は鉱山では見た事がない人間だった。
近付くと中の喧騒が洩れ聞こえる。
ついぞ聞いたことの無い賑わいだ。
カトリン達の捜索隊でも編成して出す準備でもしているのかしら。
では、この衛兵は街からの応援なのかもしれない。
そうこうするうちに衛兵は武器を構えて、大声で威嚇するようにこちらを誰何してきた。
女と動物だけの一行に厳しいこと。
私は食堂の手伝い人だと伝えると、衛兵は大きな声で人足頭を呼んだ。




