624話 思い出です
「そんな人殺しに対して、私が同情するかしら?」
自分自身についての率直な質問が口をついた。
「そりゃあ、あれだけ慕われていたんだし、情も湧くってもんじゃないです? 結構な美形でしたし、赤毛を好いてる使用人も多かったですよ。なんというか、うん、女に甘えるのが上手な男だったかな。身の上話とか自分の弱いところをみせて母性本能をくすぐるタイプですね、あれは。あ、私は全く好みじゃないですからね。まあちょっと脳をちゅるっとしたら味は好みだったかもしれませんが。あー、死んじゃうなら少し味見してもよかったですね」
アリッサは物騒な冗談を言って、自分自身で受けていた。
味はともかく私はそんな男は好みではないし、どちらかというと自立している男らしい人の方が好きだ。
責任感のある方がいいし、まあ、私にだけなら甘えるのもいいだろう。
少し意地が悪いところがあってもやり取りが楽しいだろうし、背伸びするくらいの気概がある方がいい。
そんな事を考えていると王子の顔が頭に浮かんだ。
うん、頑張り屋だし、しっかりして……。
「シャルロッテ様?」
黙ってしまった私を心配してアリッサが声を掛けた。
暗闇で良かった。
いくら夜目が効くと言っても、赤い顔まではバレないだろう。
「なんでもないの。まったくその赤毛さんを思い出せないわ」
私にとっての赤い髪はラーラであって、他の誰でもない。
記憶を失くして楽になる程、私はその男に心を寄せていたのだろうか?
そしてその男を失って気を落としていた?
それとも騙された事で裏切りを悲しんだのかしら。
そのどれもがしっくりこなくて、自分に当てはまらなかった。
まあ、結果的に憂いなくここの生活を楽しんでいたのだから、彼の記憶を無くして良かったといってもいいのではないだろうか。
そう思うと自分の薄情さに笑ってしまう。
思い出せないのは変な感じだけれど、それならそれで、こうして暮らしていけるのだもの。
必死に思い出す必要があるのだろうか。
前世という違う人間だった記憶があるせいか、忘れてしまうことへの罪悪感や喪失感を私はあまり持ち合わせていないようだ。
だって前の生で、自分の愛した人達の名前も顔も思い出せないのだもの。
そういう家族がいたという認識しかない。
だからといってそれに悲観する事もないし、そういうものだと受け入れてしまっている。
これは黒山羊様の仕業なのか、慈悲なのか。
どちらにしろ、今の私はそういう風に出来ているのだ。
しばらく歩き続けると、行き止まりになっていた。
「戻って瓦礫を取り除いて出るしかないですかね」
アリッサが行き止まりの壁を確認している。
「あ、ここに何か……、板……、戸?が穴を塞いでいる?」
そういうと板が倒れる音がした。
バタンッと大きな音がしたのと同時に、空気が流れるのが感じられる。
暗くて見えはしないけれど、空気や音の反響で広い場所に出たのがわかった。
どうやら天然の洞窟に繋がっていたようで、整備されたりはしていないけれど険しいでこぼこがある事もなく、難所と言うほどの荒れた場所は無く、せいぜいが手をついたりする程度で進む事が出来た。
岩肌だらけであったのが、そのうち湿気を帯びて地面の様子も違っていき、そうしてたどり着いたのは高い天井の亀裂から光が差す小さな滝のある水場だった。
水晶の棲家とはまた違った陽射しという光に目がくらむ空間。
「ここは……」
ここは、3人で来た水場だ。
と、いうことは先ほどの広い空間は、私が目覚めた場所だったのだ。
まさか、またこの洞窟を歩くことになるとは思ってもみなかった。
ここに来るまでの間に、アニーと出会ったところもあったのだろう。
5番坑道はこの洞窟に続いていたという事は、最初に私が下りを選んで進んでいたら、そのまま鉱山へと出ていたのだろうか?
いや、あちらへ行かせない為に板でふさいでいたということか。
ゆっくりと瞬きしてこの水場を眺めた。
水の音に耳を傾ける。
あの時、この光に照らされた空間にどれほど感動したことか。
興奮したアニーが転びそうになって、グーちゃんが助けてくれたことを思い出した。
隠れてばかりのグーちゃんと、あれが実質初顔合わせだった。
言葉もろくに通じなかった3人だけれど、気持ちは伝わっていたはずだ。
あの時はなんのしがらみもなく、皆、無邪気に楽しんでいた。
そんな思い出が心を占めた。
何故、行ってしまったのか。
黒い雄牛様の言う事が本当なら、彼らの向かう先は、とても過酷な場所ではないか。
グーちゃんが付いていった事で、いい方向へとかわるのだろうか。
あのまま私といれば、良かったのに……。
水場は前と変わらずきれいで、清廉だった。
クロちゃんとビーちゃんも水を飲んだり水滴を舐めたりくつろいでいる。
きっと、昔のぐーう達もこの水場を大事に扱って、ここで休んでいたのだろう。
「この先はいくつも道が分かれるのだけれど、角の下に✕印がある方角を選べば外へ出られるわ」
グーちゃんが教えてくれたぐーうの道しるべをアリッサへ伝える。
ここに彼がいなくても、彼が親切にしてくれた事は、今の私を助けてくれている。
離れてしまっても心を占めた思いは、失われる事はないのだ。
そう思うと少しだけ心が晴れた気がした。




