615話 助けです
「なぜわたくしだけがこんな目に? こわかった。みじめだった。つらかった。みんなみんなゆるさない」
ダンダンッと床を打ちながら、触手が暴れる。
その度に水晶の破片が散らばり軽やかな音を立てた。
「こんなせかい、なくなってしまえばいい。みんなみんなみんなみんなしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね!!」
ああ、失敗してしまった。
彼女の感情を呼び起こそうと思ったのに、恨みばかりを募らせてしまった。
私が思うよりずっと、彼女は人を恨んでいたのだ。
人として生きていた彼女は愚かしい行為に身を投じたが本質は穏やかな気質だと思っていたけれど、それは隠していただけだったのか私の思い込みだったようだ。
その境遇を、生い立ちを、踏みにじられたすべてを。
彼女は納得していなかったのだ。
没落した家に嫁いだことも、社交界で活躍出来なかったことも。
男娼紛いの侍従を連れて派手な遊びをするのが彼女の望んだことだったのか。
だからこそ、それを一瞬でも叶えてくれたアニカ・シュヴァルツに心酔したのかもしれない。
浅はかな、浅はかな女。
十分恵まれていたはずなのに、彼女は満足していなかったからすべてを憎んだのか。
恨みに思ったすべてを蹂躙したかったのだろう。
だからこそ、朧水晶の意志としてこうして選ばれたのか。
それを実現する力を、誰より欲していたのだから。
動けば触手に追われ、このまま佇んでいては、そのうち水晶になってしまう。
打つ手はない。
そう、それこそが彼女の目的なのだ。
ここに私達を引き止めているだけで、水晶は増えるのだもの。
私はどれくらい持つかしら?
死んで転生して、老女に変身したと思ったら次は鉱物になるなんて、平凡な私にしては中々劇的な展開よね。
「シャウ、たすけを呼ぶんだし」
助け?
こんな廃坑の奥で叫んだとて、誰が気付いてくれるというの。
ロルフやテオ?
ジーモンも探しに来るかしら?
彼らが来たとしても結局は、ここに囚われてしまうだけではないか。
次は私が彼らを引き込む餌になるの?
こんな理外なモノに、人が到底敵う訳がない。
早くという表情でこちらを見ている。
グーちゃんだって分かっているはずだ。
それでも助けを呼べというからには、何か理由があるのかしら?
半信半疑なまま叫んでみる。
「誰か……、誰か助けて!」
私が声を上げたと同時に、入り口から何かが飛び込んできた。
それらは触手を破壊しながら、私の前に立つ。
「ナ、な゛にを、ヲ゛ヲヲヲヲ、あナたな゛にを呼んだのノノノ!?」
怒声がした。
先ほどまでの安定した声音とはうって変わって、それは動揺して、2人の発声が不協和音のようにズレた。
私の目の前には、黒い修道服の女性と黒い仔山羊、そして黄色い小鳥がいる。
なんてことだろう。
「あなたたち……」
私は胸が詰まって、上手くしゃべれなかった。
いつも一緒にいた私の愛おしい仲間。
私を探しているという噂を聞いていたけれど、本当に会えるとは思っていなかった。
何より私の外見がこんなに変わっていても、こんなところにまで来てくれたのだ。
「め゛え゛ええええええええええええええぇぇぇぇぇ」
仔山羊が鬨の声を上げるかのように高らかに鳴いた。
それはまるで終末のラッパのようだ。
水晶からは数え切れない触手が立ち上がるが、様子を見ているのか襲っては来ない。
小鳥が羽ばたきで風を起こすと、それは大きなうねりになった。
それと同時に、水晶にいくつもの亀裂が走る。
「ヤめテエえええぇ!」
悲鳴とともに割れる音が響く。
その隙をついて、グーちゃんが私のそばへ移動してきた。
「やっと呼んでくれたわね。シャルロッテ様」
それは久しぶりに呼ばれた私の名前。
アリッサが笑顔をむけたが、どこか寂しさが漂っていた。
私がすぐに彼らを頼らなかった事が不服なのだろうか。
それとも彼らをおいてここでの暮らしを楽しんだ事への後ろめたさから、そう感じるだけなのだろうか。
今はそんなことはどうだっていい。
彼らは、わかってくれたのだ。
この外見であっても私なのだと。
それがとてもうれしい。
ここへ来て、何やかやと言い訳して外部との連絡を取らなかった本当の理由が分かってしまった。
臆病な私は、家族や周囲にシャルロッテではないと否定されるが怖かったのだ。
耐え難いほどに。
だからこの姿のままで、身を隠そうとしていたのだ。
元の姿に戻れるか保障はなかった。
それは黒い雄牛にしか、わからないことだもの。
目の前で他人だと突き放されたらと思うと行動を起こせなかった。
悲しみに暮れたあと、受け入れなかったみんなを逆恨みしてしまうかもしれない。
そんなことになるのなら、何も知られず姿を消す方がマシだった。
でもそれは全部杞憂で、彼らはわかってくれたのだ。
「まさか……、あなた達が来てくれるなんて、思ってもみなかった」
涙で前が滲んでいる。
こんなにも恋しかったのだ。
アニーとグーちゃんという新しい家族を得ても、彼らの代わりにはならなかった。
ひとりひとりがかけがえのない大事な存在なのだ。
「来てくれてありがとう」
心から感謝した。




