611話 挨拶です
「……。グーちゃんだしよ。はじめてでし」
少しの沈黙の後、彼は頬を染めて恐らくは人とする初めてであろう挨拶なるものをした。
私とは暗闇の中での誰何で始まったし、挨拶きちんと交わしたとは言えなかったもの。
照れているのは、慣れていない挨拶と可愛いという言葉のせいだろうか。
私からみたグーちゃんは暗闇から抜け出す案内人だったし、その後は護衛人みたいなものだったので彼が可愛いだなんて思ったことがなかった。
ちょっと外見は人とは違うけれど、愛嬌はあるし声も高くて威圧感もない。
言動も子供っぽいし、だんだんとそう思えてきた。
そうね、彼は可愛い人なのだわ。
私からも、何かの時に可愛いと声を掛けてみるのはいいかもしれない。
「よろしくね、グーちゃん。名前も可愛いのね。私はカトリンよ。こんな所まで来てくれてありがとう。こんなよく分からない状況じゃなかったら、もっと良かったんだけど……」
本当に、お茶でもしながらの紹介だったらどれほど良かったか。
それでもこのそぐわない日常の会話は、彼女にかなり安心感をもたらしたようだ。
声の震えや、緊張がとけている。
そうはいっても、老女とぐーうと幼女の3人組なので、実際には心許ない感じであるがそこは仕方ない。
「グーちゃんはとても頼りになるのよ。力もあるし、腕が立つの。見た目が少し変わってるのだけど、気にしないでね」
とりあえず少しでもこう言っておけば、実際に目にした時にショックは少ないだろう。
少しというか、大分かわっているものね。
「ふふ、変わってるってなんだろ。あたし、見た目なんて気にしないわ」
美しいが故に売られて、その上こんな目にあっているのだもの。
カトリンの人生においては、外見の良さは不幸の象徴なのかもしれない。
彼女にとって人の外見が重要でないのはおかしい話ではない。
「彼女動けないのよ」
私の言葉にグーちゃんはアニーを私の横に座らせてから、カトリンを観察する。
アニーは、ようやく起きる気になったのか、大きな欠伸をひとつして延びをしている。
こんなところに座らせてアニーまで床にくっついてしまったらと焦る私を見て、彼女は大丈夫だというようにニッコリと笑った。
グーちゃんは、まずは抱きついている男をカトリンから引き剥がす事にしたようだ。
足元の方から水晶化の進んだ男を引っ張ってみるが、そちらも動きそうになかった。
「これはダメだし」
首を振って一言そう言いい、外に急いで出たかと思うと、通路に置いてあったと思われるツルハシを持って戻ってきた。
「よくそんなものを見つけたわね」
どこからこんなものを持ってきたのだろう。
「そこにあっただしよ」
事も無げにそう言った。
考えてみれば、ここにはグンターが雨の日に朧水晶の採掘に来ているのだ。
毎回いちいち道具を運びこむよりは、置いておく方が合理的というものだろう。
夜目の利くグーちゃんには、暗い通路も昼間のように見えていたのかもしれない。
彼は、それを両手で持ち上げて狙いを定めていた。
このツルハシは、そういうものだのだ。
鉱石を砕く道具。
人であった水晶を砕く為に使われる道具。
人を壊す道具。
まだ、辛うじて生きていると思われる彼を、これで砕くの?
半ば水晶と化しているといっても、まだ動いているのに。
グンター達と同じ事をするの?
それを砕いてもいいの?
では、いつならいいのか。
完全に水晶になった後なら、いいというの?
私たちが知らないだけで、元に戻す術がもしあったら?
かと言って、悠長にしていてカトリンが手遅れになったらどうするの。
私はどうしていいか決めかねていた。
平和ボケした私なんかに、答えは出せなかった。
カツンッ
私の逡巡をよそに、とっととグーちゃんは男にツルハシを振るっていた。
器用に彼女に巻き付いていたと思われる腕の部分だけに当てている。
軽い音がして、それは他愛もなく割れ床へと落ちた。
朧水晶はそこほど硬くないという話を思い出す。
こうやって簡単に砕かれて、出荷されていくのだ。
なんて軽い扱い。
割れた破片は、変わらず美しく光っていた。
これが美しいのは、人の命を内包しているからだろうか。
そう、カトリンを救うのには、こうするしかないのだ。
悩んでいる時間などないのかもしれない。
そう思うとグーちゃんの思い切りの良さに助けられていた。
結局私は、自分の手を汚さずにこうして思い悩むだけなのだ。
その決断をグーちゃんがしてくれて、ありがたいとさえ思ってしまう。
なんて卑怯なんだろう。
砕かれた男の事を考えながらも、カトリンを優先する事に後悔もない。
私は自分自身に、いい人ぶりたいだけなのではないだろうか。
自分はいい人間だ、自分が薄情な人間ではないと、あれこれ言い訳を探しているだけなのだ。
頭が酷く傷んだ。




