606話 緑の目です
「ここからは本当に危ないの。アニーとこの辺で待っててくれる?」
私の言葉に、グーちゃんの表情は曇る。
そして黙って首を横に振った。
「人を水晶にする何かが、この先にいるみたいなの。そんな所にアニーを連れては行けないでしょ?」
こんな言い方で伝わるかしら?
口に出してみると、まるで子供だましにもならないホラ話だ。
何かって何よ。
私自身そんな説明をされても納得しないだろう。
グーちゃんが拒否するのもわからないではない。
だからといって、他に説明のしようがないのだ。
いっそ、全部ラムジーという狂人の妄想であればいいのに。
確か彼は、水晶の棲家に1、2日いると水晶になると言っていた。
それならば短時間なら、無事なのではないかと私は仮定している。
あくまで仮定なのだから、自分以外を巻き込みたくはないのだ。
何とか納得してくれないだろうか。
その時、寝ていたはずのアニーが目を開けて、私を指差した。
まるで、千里眼のように全てを見通すような瞳で私を射る。
アニカ・シュヴァルツの瞳は彼女の気質が滲み出ているのか、嫉妬を孕んだねっとりと人を絡め取るような深い沼の色をしていた。
人の心を嬲り弄び餌食にする彼女は、シェイクスピアが「オセロー」で語ったまさに「緑の目の怪物」のそのものだ。
だけれどアニーの眼は、豊かな自然の清流の水底を思わせる引き込まれそうな緑の色をしている。
ああ、本当に何故この2人を混同したりしたのだろう。
同じ緑といっても、全く似ていないというのに。
アニーの瞳はその純粋さを湛えて、見えているものが常人とは違うのではないかとさえ思えてくる。
彼女のそれは人の心に同調し、見透かすことさえ難なくしてしまいそうだ。
私がアニーの瞳に見入っていると、言葉が紡がれた。
「大丈夫。ぐーうは抵抗出来る。しゃうはその鎧が守る」
そうハッキリと告げた。
それはまるでお告げのような神秘性を感じる声音だった。
あの時のようだ。
ここに来た最初の夜にアニーの様子がおかしかった時と同じ。
『晴れ渡る空 その地平線の彼方 彼の地が浮かぶ時 其は現れ出てる』
『それは 美しい 美しい光』
『眩く光る 煌めく者』
今思えばあの時のあれは、朧水晶を指していたのだ。
彼女の優れた共感力のせいなのか、一時的に伯爵夫人と同調したのかは分からないけれど、それはこの鉱山にある驚異を語っていたのだ。
そして、夫人が晴れた日にしか現れない事も、教えてくれていたのだ。
アニーはそれだけいうと、まだ眠り足りないのか、むにゃむにゃと判然としない言葉を口にしながらまた眠ってしまった。
ぐーうが抵抗出来るというのは、そのまま水晶の影響に対しての事のように思える。
では、私を指していた鎧とは?
まさか筋肉や脂肪の事を言っているんじゃないわよね?
そりゃあ食事はしっかりとっているけど、中背中肉といったところで太っていると言う訳ではない。
自分の手首や腕を掴んで確かめる。
脈はとれるし、この肉は確かに自分の物のように思える。
でも元は子供の体のはずだし、どういう仕組みで大人の体になっているのか全くわかっていない。
魔法や魔術があるのだからそういうものだと思うしかないのだ。
この体を作っているモノを、鎧と言っているのかしら?
それは物質なのか魔術的な何かかは判断できないけれど、それが私を水晶から守ってくれるということなのだろうか。
思案する私に、グーちゃんは言った。
「アニーのいう通りだし」
そしてそのまま歩を進めようとする。
「待って! アニーは自分の事を何も言っていないじゃない。連れていく事も、ここにひとりで置いていく事も出来ないわ」
道が整備してあるといっても、ここは山中の岩場で、子供には安全とはいえない場所だ。
「アニーも行って大丈夫なんだし」
グーちゃんは、ふいっと遠くを見ながら呟くように言うと、それが聞こえたのか眠ったままアニーが続けた。
「大丈夫」
アニーの言葉に神秘性を見てしまった私は、彼女が大丈夫というならそうなのだと思うようになっていた。
そういえば彼女も言葉が大分上手に出る様になっている。
あの鉱夫達が押し入った後くらいからだろうか。
ジーモンという大人の男性の庇護が彼女に安心をもたらしたせいなのか、あるいは荒くれ者に押し入られた事がショック療法になったのかはわからないけど、あの後から彼女の精神は日増しに安定して発語も改善してきたのだ。
年相応に話せるようになる日も、近いかもしれない。
そんな彼女を危険な場所へ連れて行きたくはないけれど、その大丈夫という言葉を信じる事にした。
グーちゃんが、アニーを危険にさらすはずがないという信頼も大きかった。
20番台の坑道を過ぎると、目に見えて人を拒むような雰囲気を漂わせるようになっていた。
思い込みという部分もあるだろうけど、実際、人が出入りしないせいかうら寂しく、しんとしていてまるで停滞したような澱んだ空間なのである。
この先に、目指す場所があるのだ。




