604話 同行です
私は鍛治小屋に戻ると、置いていくはずだった枯れた花を手に取った。
「シャウ、どうしたんだしか?」
いつもなら朝は寝ているはずのグーちゃんが起きていた。
こういう時に限って、思うようにはいかないものだ。
「女の人がひとり姿を消したらしいの。探しに行ってくるわ」
彼の視線が、私の手にしている枯れた花に注がれている。
そうよね、人を探しに行くのにこんなもの持っていたら怪しいものね。
「グーちゃんも行くでし」
「少し見回りに参加するだけよ。陽も昇るし、それに他の人もいるから人目についてしまうわ」
「グーちゃんは隠れるのうまいだしよ。行くんでし」
珍しく頑固だ。
そういえば洞窟でもこんな事があったわね。
あの時は外へ出たくて歩数を稼ごうとした私に、休むように言って譲らなかった。
彼が頑固になる時は、いつも人を心配する時なのだ。
「隠れてでも付いてくんだし」
私の態度に不穏さでも感じ取ったのだろうか。
頑として引かなかった。
ああ、もう。
すぐにでも駆け出してカトリンを探しに行きたいというのに。
「駄目よ! あなたにはアニーを守って欲しいの」
もしグーちゃんがいない時に、ラムジーやグンターがここへ来たらと思うとゾッとする。
ジーモンは体力的にも膂力的にも、あの2人より強いだろう。
だけれど、長年虐げられてきた事で洗脳ではないけれど反抗心を無くしているかもしれない。
彼らに強く出られたら、アニーを手放す可能性だってあるのだ。
これは私がジーモンを信頼しているいないの問題ではない。
暴力というのは、人の思考を奪うものなのだ。
「じゃあ、アニーも連れてくでし」
中々首を縦に振らない私に痺れを切らしてか、そう言うと彼は寝台へと向かい出す。
「危ないのよ!」
私が咄嗟にそう叫ぶと、彼は珍しく険しい顔をした。
「危ないとこに、シャウだけはダメだし」
そう言って寝ているアニーを抱きかかえる。
眠たげなアニーの声が聞こえる。
「あに?」
「寝てていいでし。一緒に行くんでし」
「ろこ、いくの?」
「シャウの行くとこでしよ。アニーは、グーちゃんが抱っこしてるだし」
「んー」
シーツにくるまれて抱えられたアニーはグーちゃんに、にこりと笑うと、そのまま再び寝息を立てだした。
そこが一番安全な場所とでもいうように。
洞窟を抜け出た時の事を思い出す。
あの時も3人だったわ。
ここを出る時も3人がいい。
私は観念した。
「お願いだから見つからないようにね。こんな時に部外者がいるなんて知られたら、それこそ追われてしまうわ。狩猟に出ているジーモンさんに、書き置きしていくわね」
出かける旨を書き付けてから、小屋を出る。
木板を並べて石で抑えた屋根には、苔や草が生えている。
年季が入った鍛治小屋。
カンカンッと槌の清廉な音が響いて心地が良かった。
そして物置のようなこじんまりとした、ここでの居住の為に与えられた小屋。
慣れない焚き火に毎日薪の組み方を変えて試行錯誤したのを思い出す。
楽しかったここでの生活。
ここへまた、戻ってこれるのかしら。
どちらにせよ、戻ってもすぐに山を降りる予定なのだ。
素朴なここでの暮らしを思うと、何とも言えない寂しさが襲ってきた。
「さあ、行くわよ」
私は自分に言い聞かすように、1歩踏み出した。
居住区からは離れていたが、坑道への道はこの敷地内では一番しっかりと作られていた。
一昔前には大勢の住民がいて、領地を支えた鉱山なのだから、その仕事場へ行く道が整備されているのは当然の事だ。
廃鉱山のイメージが強くて、てっきりこちらも荒れ果てていると思っていたが、そんなことはなかった。
靄を通して朝日が降り注ぎ、綺麗な道を照らしている。
地面も鉱石を運び出す為に、その表面は滑らかに整えられていて邪魔な突起や石などもない。
グーちゃんは上手く木々や物陰を使って付いてきているようだ。
ロルフに聞いた通り歩いていくと、横穴がありそこには58番と書かれていた。
要するにこの山には58個坑道が掘られているということだ。
素人の私でも、それはかなり多いものだとわかる。
これは鉱脈が枯れてからも、未練がましくあちこちを掘り返した結果なのだという。
どれも道沿いに掘られているが、きちんと木材で補強してあるものから、掘っただけの横穴であったり、あるいは大きめの亀裂のような穴であったりと様々な様子を呈している。
こんな狭い空間に身を捩りながら入って行くことを考えると気が遠くなりそうだ。
きちんと入口が作ってあり岩肌が補強してある坑道は、かつては鉱脈がありきちんと使われていたものだ。
そしてこの先は毛細血管のように枝分かれして坑が蟻の巣のように広がっているのだという。
掘りつくされて捨てられた坑道は、まるで外側だけを残して、中身を食べられた果物のようだ。
甘い果肉がなくなれば、外側が整っていても価値は無い。
誰ももう必要としない。
朧水晶は、そんな皮に詰められた人工的な果肉なのだ。




