603話 行先です
「カトリンは来てないかい!?」
早朝の食堂に飛び込んで来たのは、娼館の姐さんだ。
顔は蒼白で息を切らしている。
その剣幕にロルフは目を丸くしていた。
「おい、どうした? そういや今日のパイをまだ取りに来てないな。なあ、ロッテ婆さん」
普段なら、焼き上がる前に来ているくらいなのに。
最近は文字を覚えたいというので、朝のこの時間を古新聞を使っての勉強に充てていたのだ。
「ええ、いつもならとうに来ているはずですけど」
姐さんはキョロキョロと当たりを見回すようにしながら叫んだ。
「いないんだよ! どこにも。てっきり客をとってると思ったのに」
たまたま通り掛かったら、カトリンの部屋の戸が開きっぱなしになっていたそうだ。
中には誰もいないし、何より寝台も乱れていない。
周りに聞いても、誰も彼女の行き先を知る者はいないそうだ。
「あいつは足抜けするような器用な娘じゃないし、ここじゃあ遊びに出る場所もないしな……」
いくら鉱山が街中の娼館より逃げやすいといっても、所詮山の中なのだ。
町育ちの娼婦では敷地から出ても途方に暮れるだけだろう。
悪い夢でも見ているような表情で姐さんが呟いた。
「まさか神隠しに……?」
3人で顔を見合わせる。
また鉱山の呪い?
いや、神隠しよりも可能性が高いものがある。
考えたくはないが、そちらの方が現実的だ。
「カトリンを殴った鉱夫がいましたわよね? その鉱夫が怪しいんじゃ」
姐さんが、はっと顔を上げた。
「ああ、あいつ。そういえばカトリンが怖がってたね。確かにここのところは毎日通ってきてたし、何か知ってるかも」
「ええ、私もカトリンから聞いてますわ。彼からしつこくどこかに行こうと誘われているって」
この間のカトリンの相談を思い出す。
「私達には気味が悪いとしか言ってなかったけど……。あの子も水臭いね。その行先は分かるかい?」
それは……。
私は口ごもってしまった。
私の想像通りならそれは5番坑道だろう。
それをここで言うのは、まずい気がする。
人を水晶に変える場所だ。
聞けば確実にこの姐さんは、そこに飛び込むだろう。
「おいおい、そりゃ怪しいが、まずはその鉱夫が寝床に居ないか確認した方がいいんじゃないか? もしそいつが呑気に寝てたら、とんだ濡れ衣ってもんだ。まず人足頭のテオを起こしてそいつ居所の確認と、カトリンを探す人手を出してもらうのがいいだろう」
ロルフは、テキパキと食堂の仕事を片付けながら冷静にそう言った。
ここを片したら捜索に加わるつもりなのだ。
「そ、そうね。じゃあ私、テオの宿舎へ行ってくるわ!」
言われるままに彼女は駆け出した。
なんてタイミングなのだろう。
身を隠す方を優先して、夫人の元には行く気はすっかり失せていたというのに。
結局、私は5番坑道へ行く運命だったのだろうか。
「坑道には番号がついているのでしたっけ? 場所を教えて下さる?」
5番という場所を明確にしてしまっては、いらぬ被害者が出るかもしれないので、こう聞くしかなかった。
「なんだ? 坑道に連れてかれたっていうのか?」
「場所は聞いていませんが、その可能性はありますでしょ? 廃墟や敷地外の可能性もありますけど……。私、坑道の方は行ったことがないんです」
料理人は胡散臭そうに私を見てから溜息をついた。
「この山は廃坑道だらけだからな……、坑道は枝道も多い。入って出て来られなくなることもあるから、絶対に中に入るなよ? はあ、何しろ山ん中だからな。探すにしても隠れる場所が多すぎだ。」
彼は念を押してから、一番古い坑道の場所と、そこに付けられた番号を教えてくれた。
朧水晶が産出されていても、どれも廃坑扱いで、どこで採れるかは伏せられているという。
「とりあえず、私、先に見回ってますわ」
いてもたってもいられない。
「おう、こっちも終わったら向かうよ。あんたは坑道の方へ行くんだな?」
「ええ、そうしようと思ってます。中には入りませんわ」
ロルフは疑わしそうに私を見る。
「本当にそれだけにしといてくれよ? あんたまで迷子になったら目も当てられやしない。そうだな、その鉱夫がこの間、懲罰で入れられた穴があったろ? それがあるのが9番坑道だったはずだ。もしその鉱夫が攫ったってんなら、手がかりはそれくらいか」
水晶の棲家の近くの坑道で一晩を過ごしたのなら、その影響は大きかったのではないだろうか?
夜の山の恐怖に水晶の影響まであるなら、錯乱もしようというものだ。
「普段の鉱夫の皆さんは、どちらの坑道にいらっしゃるのかしら?」
「ん? 確か20番から30番当たりじゃないか? まあそこも掘り返しても何も出ないってみんな愚痴ってるけどな」
骸骨水晶を作る為に鉱夫達が入れられてる場所は、思ったより結構離れているようだ。
それでも徐々に侵食されるのだ。
何も出ない所を掘るなんて虚しい上、自分が水晶になってしまうだなんて目も当てられない。
人をなんだと思っているのかしら。
カトリンが無事に見つかる事を祈るが、この鉱山ではそんな祈りは吹けば飛んでしまいそうに頼りないものだった。




