592話 ぐーうです
本当に珍しい。
いつもアニーといるという事もあるけれど、こうやって2人で話をするなんて初めての事ではないだろうか。
訝しむ私をよそに歩いていく。
鬱蒼とした藪を抜けて道から充分に距離をとってから、やっとグーちゃんは足を止めてこちらを向いた。
「話があるんだし」
その伏せられた目に、まるで悪い事をして叱られた犬のような印象を覚える。
グーちゃんがこんな風になる原因なんて何かあったかしら?
親の目を盗んでつまみ食いしてしまった子供みたいな感じだ。
「一体どうしたっていうの? 何かあったの?」
彼の目を覗き込むように話しかけてみるが、うつむいたままである。
「……」
話があると言った割に話出さないので水を向けてみても、なにやら言いよどんでいる。
「……、……、シャウは、ぐーうの事、どれだけ知ってるだしか?」
話したいことってぐーうの事なの?
「どれだけって、グーちゃんが教えてくれた事しか知らないわ。人がぐーうの食べ物をくれて鉱山が賑わっていた頃、ぐーうもいっぱいいて、ここに人がいなくなったらぐーうもそれを追っていなくなったのよね?」
あなたを置いて。
その言葉は続けなかった。
あの洞窟でそれを教えてくれた時、自分がぐーうである事以外、自身の名前さえ忘れてしまった悲しげな彼を覚えていたから。
「そうだし。人はぐーうのごはんだし。人とぐーうは、なじみなんだし」
「馴染み?」
グーちゃんは目を伏せたまま、両手を腹の前でぎゅっと握り込んだ。
その拳は震えている。
そしてゆっくりと何かを覚悟したかのように口をひらいた。
「しゃう、よく聞くんだし。ぐーうになるにはふたつ」
「ひとつ、ぐーうの仲間とすごすこと。なる人とならない人いる」
「ゆっくりゆっくり、人からぐーうになる」
「ふたつ、ぐーうのだいじな本にふれる。きょうてんを手にする。人はすぐにぐーうになる」
それはゆっくりと、時間をかけて彼の口から絞り出された。
彼の覚悟の告白のようだった。
「それは……、あなたと暮らしていると、私達も『ぐーう』になってしまうということ?」
そんな事があるというのだろうか。
「朱に交われば赤くなる」とはいうけれど、生き物として種族を変えてしまうなんてことがありえるというの?
「なるかもだし、ならないかもだし。人とぐーうは昔に一緒にいたんでし。昔のぐーうの『因子』をもってる人は、ぐーうになりやすいんでし」
「ぐーうの『因子』?」
「ぐーうの血が入ってる人がそうだし」
「混血ということ? 祖先にぐーうがいると、今は人であっても、一緒に暮らすとぐーうになってしまうとグーちゃんはいいたいのかしら?」
グーちゃんはこくりと頷いた。
「ぐーうの血がどれだけ薄くなっても、遠く遠くなっても、ぐーうと暮らす事でその『因子』が起きるんだし」
私の戸惑いをよそに、グーちゃんが続けて言った。
「アニーとジーモンには言っただし」
2人は納得したのだろうか。
ジーモンはともかく、アニーにはこんなこと理解できないわよね。
理解出来ないにしろ、離れようとはしないだろうことは予想できる。
そもそも「ぐーう」になってしまうというのも、今グーちゃんが言っているだけなのだ。
もしかして、それは単なる思い込みや言い伝えで、事実ではないかもしれない。
その真偽は誰にもわからない。
「何故それを今言うの?」
「思い出したんだし。だから黙ってるのはよくないと思ったんでし」
「思い出したって……」
そういえば、グーちゃんはいつからこんなに流暢に話せるようになったんだろう。
最初はカタコトで、簡単なことしか伝えれなかったのではなかった?
鉱山で人の会話を学習したからだと思っていたけれど、本当にそれだけなのかしら。
今では「因子」なんて、普段使わない単語まで話せるようになっている。
上手く握れなかったスプーンも持てるし、器用にいろいろなことをこなすようになっている。
どうやって、短期間でこんなに成長したのだろう。
「人と一緒になって頭がはっきりしてきたんだし。いろいろわかるようになってきたんでし。言わなきゃいけないと思ったんだし」
私の心を読んだかのように付け加えた。
「そ、そうなの……。それで、グーちゃんはどうしたいの?」
「……。一緒にいたいんでし」
その手は震えていた。
狩りに向いた鋭い鉤爪を持つその強い手を震わせていた。
「その、ぐーうになってしまうとどうなるの?」
「ぐーうのご飯が食べたくなるでし」
うん? 残飯ということかしら?
「ええと、その『因子』がある人がぐーうになる時? なりかかった時はどうやってわかるの?」
グーちゃんはハッと顔を上げて、ようやく視線を交わしてくれた。
「グーちゃん、わかんないんだし……」
困惑したようにそう呟いた。
「えっ」
深刻そうなのでてっきりいろんな症状が出たり、生活に支障が出るのかと思ったけれど、まさかわからないとは。
一気に気が抜けてしまった。
グーちゃん自身が分からないのだから、これ以上話にならない。
緊張がほどけて、やっと深く息を吸う事が出来た。