590話 一緒にです
「それはそれで、いいお客になったということじゃない?」
不思議な話だが、心を入れ替えて罪滅ぼしに通っているなら話はわかる。
自分が悪いと理解しているなら尚更手は出せないだろう。
「そうだけど、なんか怖いの。最初は酷い事をしたって平謝りだったのよ? それで夜が怖いから一緒に寝てくれって言われて……。あの人、一晩怖い思いしたんだって思って、同情したんだけど……」
なるほど、あの罰は効果があったのね。
それにしても同情するなんて、この子は人が良すぎないかしら?
そもそも、殴った相手に添い寝をしてくれなんて図々しい。
「それでね、しきりに一緒に行こうって言うのよ」
「どこに?」
眺めのいい場所とか、ちょっと静かな場所かしら?
気が弱くなって変に感傷的な行動を取りたがってるのかもしれない。
この鉱山で出来ることなんて、散歩程度しかないけれど。
「なんか、眩く光るきれいな所に一緒に行こうって」
洗い物をしていた私の手は、その言葉を聞いて止まった。
「一緒に、かがやくきれいなものになろうって」
それは、伯爵夫人の言葉ではなかった?
アニーがおかしかった夜を思い出した。
あの廃墟の壁に刻まれた文字を思い出した。
私をどこかに誘おうとする夢を思い出した。
そう、あの夢を誰が見ていてもおかしくないのだ。
一見綺麗だけど、振り返ると不安になる夢。
「街に行こうとか、所帯を持って田舎に行こうとかは言われた事があるけど、これって何だと思う? 変な宗教? それともそういうのが街では流行ってるのかな」
私はどんな顔をしてそれを聞いていたのだろう。
間抜けな顔?
それとも真っ青だったかもしれない。
心配そうにカトリンがのぞき込んでいる。
「せっかく会いに来たのに、変な話しちゃってごめんねロッテ婆」
私は手を伸ばして、謝る彼女引き寄せると、ぎゅっと抱きしめた。
「きっと、その方は怖い思いをしたせいで変な妄想に囚われているのかもしれないわ。恐怖心を紛らわせるために心に綺麗な場所を思い描いたりして……。あなたがとんでもなく優しいから、自分を好いていると勘違いしてそこに連れて行きたいと思ったのかも」
不吉な予感を消すように、心にもない事を口にした。
「そう言われたらそうかもしれないわ。ちょっと気の毒な人なのね」
優しい。
この子は優しすぎるのだ。
境遇からいってもっと斜に構えたり、世間擦れしていてもおかしくないのに、素直な子供がそのまま大きくなっただけ。
それは美徳だけれど、悪意の前ではとても危険なものだ。
「暴力をふるう人間が気の毒とは思えないけど、もし、正気でないなら怖いわよね」
「そうなの、かといって断るのもなんだし……」
「お仕事だものね」
元々が暴力に頼った人間なのだから、おとなしくしているとしても油断出来ない。
話を合わせた結果、その「どこか」に無理矢理連れて行かれるかもしれないのだ。
かと言って否定して、それこそ逆上されたら目も当てられない結果になるかもしれない。
「難しい問題ね。娼館のお姉さん達にその男の様子がおかしい事だけは早めに伝えておいたほうがいいわ。気をつけるのよ」
正解がまったくわからない。
「どこかに誘われる? そりゃこの鉱山の名物だろ」
突然、料理の下拵えをしていたロルフが食堂から顔を出して、あっけらかんとそう口を挟んできた。
私達の会話を聞いていた事を悪びれる様子もない。
「名物?」
私とカトリンは口を揃えた。
「眩しくてきれいな場所で女の声があなたもいらして~って誘ってくる夢さ」
なんだかバカっぽい表現だけれど、的確ではある。
「なんで知ってらっしゃるの?」
「そりゃ俺も見た事があるからさ。摩訶不思議、同じ夢を皆が見るんだ。この鉱山の呪いのひとつだよ。それがあるから余計、神隠しやら呪いに神妙性がでるんだよな」
灯台下暗しとはいうけれど、まさかそんな事だなんて思ってもいなかった。
夢を見るのになんらかの条件というか、選別でもあるかと無意識に考えていたのかもしれない。
まさか無差別だとは。
もっと早く夢についてロルフに聞いていたらやきもきすることもなかったのかしら。
いや、それでも何も解決はしなさそうだけれど。
「最初は俺もびっくりしたけど、たまに夢に見るくらいだからなあ。害があるわけじゃないし」
「他の人も見ているの?」
「まあ見たり見なかったりだろうけど、みんな夢の事なんてそう口にしないだろ? そもそも夢の内容を起きて覚えてるのだって稀じゃないか」
言われてみればそうだ。
夢を覚えていなければ、見ていないのと同じなのだもの。
「じゃあ、あの人もその夢を見てってこと?」
カトリンがロルフへ聞く。
「そうじゃないか? お前だって覚えてないだけで見てるかもしれないだろ。だから余計そいつの言う事が怖いんじゃないか? 同じ夢を見るなんて、中々ないことだろ?」
「呪い……、これが鉱山の呪い? なんかすごいのね。お姉さん達にも聞いてみなきゃ」
カトリンは、すっかり興奮してしまっていた。