585話 運です
「は?」
男はどすんっと尻もちをついて後ずさった。
喉から、妙に高い声が出る。
ぞるりっと、怖気が頬を撫でた。
ハッ、ハッ、ハッ
呼吸が浅くなる。
「死、死んで???? 死? なん、なんだっていうんだ? 急にどうしたんだ?」
こいつは持病持ちだったか?
何がどうして死んでいる?
さっきまで元気だったじゃないか。
一体、何が起こったんだ!
グルグルと、問いだけが頭の中を占めていた。
そんな自分の横で、少女が悲し気に眉を寄せて佇んでいた。
このガキがやったのか?
どうやって?
いや、なにを言ってるんだ。
何もしようがなかったじゃないか。
このガキは呆けていただけだ。
いや、そもそもこいつに手を出したから死んだんじゃないか?
支離滅裂な思考が走る。
落ち着け。
落ち着け。
ガキはガキだ。
何も出来やしない。
落ち着くんだ。
何度も男は口に出した。
突然、変な声を出していたかと思ったら、あっという間に死んでいた。
どうしてこいつは死んだんだ。
周りを見回しても、夜の静寂だけがその場を満たしていた。
誰もいない。
この場には、自分達2人と、この少女しかいないのだ。
まさか呪い?
これが呪いか?
こんな風に死ぬなんて聞いていない。
子供の頃に親から聞いた寝物語。
酒場で飲んだくれて聞いた与太話。
ここに来るまでの馬車の中で聞かされた噂話。
そんなものが何度も頭の中にこだました。
そもそも呪われるようなことをしたかも不明だ。
そう、誰も何もしていなかった。
呪われるような事はしていない。
押し入ったり子供を小突いたりして何が悪いんだ。
これくらいで呪われてたら、裏町の連中は全員今頃死んでるはずだ。
そうだ、あの悪漢どもが軒並み死んだら信じてやる。
呪いなんてあるはずがない。
男の中で、疑心と信心がせめぎ合っていた。
呪いなんてない。
震えながら何度も自分に言い聞かせる。
呼吸が整ってくると、少し冷静にもなれた。
きっと運悪く、頭か心臓がどうかしたんじゃないか?
頭を打った奴が元気にしてたのに、後から突然死んでしまう話を聞いた事がある。
酒場じゃ、酒をかっ食らったまま死ぬ奴も珍しいことでもない。
鉱山なんだし仕事中に、岩に頭をぶつけたとかもありそうだ。
喧嘩の後に、大いびきをかいて寝たまま死ぬ奴だっている。
そうだ、こいつも運悪く、今晩死ぬ運命だっただけだ。
そう、運が悪かっただけだ。
呪いだなんて馬鹿げている。
こんなタイミングで死ぬなんて、驚かすにもほどがある。
大きく深呼吸をすると、大した問題ではない気がしてきた。
そうしてしばし仲間の運の悪さに腹を立てながら、今後の事を考えた。
死んでいるのは確かなようだし、こいつの死体はどうすればいいだろう。
隠すかこのままか。
どちらにせよ子供を殺して小屋を荒らした犯人は、こいつひとりの仕業ということにすればいい。
そうすれば自分は安全なのだ。
自分は、相当ついているんじゃないか?
捕まる危険と無縁でいられるのだ。
犯人が死んでいれば、それ以上詮索しようともしないだろう。
男は死んでしまった男と比べて、運の良い自分に自惚れた。
しかし、子供ならともかく大の大人の死体を運ぶのは骨が折れると、その手間にうんざりもしていた。
このまま放っておいてもいいが、その場合盗品を持ってないのが不自然だ。
どこか廃墟のそばに運んでおけば、盗品と子供を隠した後に死んだように見えるんじゃないか?
そんな杜撰な計画を立てて実行しようとしていた。
それにしても小屋を物色する予定もあるし、死体と子供を隠すのも手間がかかる。
夜が明けるまでに全部終わらせないといけない。
思いがけない死が、男を焦らせた。
いっそ子供をいたぶるのはやめて、ほおっておくのも悪くない。
どうせこのままにしておいても、この子供は誰が押し入ったかなんてわかっていないのだ。
全部終わって余力があれば連れて行けばいいのだ。
とりあえずは、子供を縛ることにした。
いくら大人しいとはいえ、見張りはもういないのだ。
自分ひとりなのだから、万一逃げられてどこかに駆け込まれても困る。
死体の横でぼんやりと立っている少女を縄で縛って猿轡をかけた。
抵抗もなく、あっけなく子供は捕縛される。
この子供は、男が死んだ事も理解出来ていない上に、自分がこれからどうなるかも分からないのだろう。
哀れな子供を前に、ふひっと笑い声が漏れた。
自分よりも気の毒で憐れな子供。
生まれは貴族でも、自分にいいようにされてしまう木っ端のような存在なのだ。
しばし男は、この子供の命を握っている優越感に浸った。
「これもお前にはいらねえな。俺がもらってやるよ」
わざわざ顔を覗き込んでそう言いきかすと、首飾りの黒い石のついたペンダントトップを握って男は力任せに引きちぎった。
少女の体がそれにつられて宙に浮き、そのまま鎖が切れて地面に落ちた。
「!!」
乱暴をされても、少女は猿轡のせいで叫べはしなかった。
けれど、その小さな悲鳴はくぐもってはいたけれど、確実に漏れ伝った。
彼女を守るモノに伝わったのだ。




