6話 図書室です
ここはリーベスヴィッセン王国、エーベルハルト領。
ハンス爺に手伝ってもらって、地図本をテーブルの上に広げてその場所を指差す。
地図本はかなり大きく、これは私ひとりでは開くのも難しいだろう。
一応、最新版の地図であるらしいが装丁は牛皮で表紙には物々しい飾り文字で「王国地図写本・王国見聞隊作成」と書かれている。
今日は地図で勉強しましょうかと、白髪に姿勢の良いハンス爺がわざわざ出してきてくれたのだ。
最新で大型の地図本は相当高価なものらしく大きさもあって、普段は書庫の奥に厳重にしまわれているそうだ。
一般的に使われている地図は縮尺もいい加減な大雑把なもので、しっかりと作られた本格的な地図は流出すると戦争や陰謀に活用されるため中々手に入らない代物である。
ハンス爺はわざわざ白手袋をしてページをめくっている。
子供には過ぎた品だとは思うが「良い物を見なければ目は養われませんぞ」とはハンス爺の言である。
エーベルハルトから王都ドラッヘンハイムまでは街道が通っているが、道中はなだらかではない。
王都周りや領地内は整備されているが、街も村もない場所は中々に悪路である。
何度か祭事や夜会に出る両親にくっついて王都にあるタウンハウスに滞在した事があるが、毎回馬車で酔ってしまう。
山ほどクッションを用意しても、揺れは相当なものだ。
女子供は荷物も多いしスピードを出す訳にも行かないので、無理せず途中の街にある侯爵家の屋敷で宿泊を挟んでの行程になる。
休み無しで馬を走らせれば半日ほどで行き来出来るそうだが、それはかなりの苦行であり父が毎日王都から帰って来れないのは致し方ない事なのだ。
王都までの車窓を思い出しながら、平面の地図と記憶を擦り合わせて行く。
自分の中で地図と風景がどんどんと、結びついていく。
やはりなかなかの記憶力で、馬車酔いの中よく覚えていると自分で感心してしまった。
この大きな地図には森や木、川が書き込まれ所々に異形の動物も細かい筆致で描かれている。
前の世界でもアンティークな世界地図にはこんな感じに幻獣で彩られていたのを思い出す。
海にはクラーケンとか尾を曲げる人魚とか、上手くは無いが味のある絵に子供心がくすぐられたものだ。
こちらの地図の方が、そういった装飾がかなり多いので絵画としても楽しめそうである。
エーベルハルト領地は山や森を擁しており、こちらにも1つ目の鬼や小鬼や怖そうな猪、羽をつけた鹿などが見られる。
なんと言っても領地の北にある山林連邦ガーベルングスヒューゲルとの国境にある火山に描かれたドラゴンは、これぞファンタジーといった風で夢があっていいものだ。
「火吹き竜なのかしら?」
火山のドラゴンに目をキラキラさせて私が呟くと、ハンス爺が答える。
「火も吹きますがサラマンダー様ですな。竜の形はしてますが実際にはトカゲのような体だそうで火を守る精霊様ですよ」
「せいれい……?」
ポカンと口を開けてしまった。
その貴族子女らしからぬ表情を、咳払いで窘められる。
「物質的な存在の魔獣ではなく霊的に進化した神の眷属とされていますな。サラマンダー様が北にお住い下さっているので、この国の王都は竜の住む場所と呼ばれているのですよ。精霊様がおわす山が領地にあるというのは何よりの誉れでございます」
この国は神話や御伽噺と密接しているのか、この様な話をたびたび聞く。
前世でもお婆ちゃんとかが山の天狗様やら河童がどうこうとか言っていたが、そのようなものだろうか?
はて、物質的な存在の魔獣ってなんだろう?
「魔獣とはどういうものなんですか?」
「所謂、野生動物が魔素を体内にためて変化したものとされていますな。人里には滅多に現れませんが猪が魔獣化した猪人などはとても旨味がある肉として引く手あまたで、祭りの時に食卓にのぼることが多いですぞ」
何故か熱心に魔獣の味について語りだすハンス爺を前にしばし固まる私。
なんだか実在するような言い方じゃないの?
魔素とは一体……。
これは痛い発言かもしれないけれど、現状を把握するためには必要なことなのかもしれない。
外見は子供なんだから大丈夫。
サンタクロースは本当にいるの?と無邪気に尋ねる子供になりきればいいのだ。
「その魔素とか魔獣とか精霊様は本当にいるのですか?」
姿勢を正し、手を膝の上で組んでにっこりと微笑みながら問いかけてみた。
すると彼はギョッとしたような顔で私をみやり、返事に詰まったようだった。
ああ、そうよね。
物語と現実を混同したのだと思われたのだわ。
そんなことあるわけないじゃない。
いくら神様と話をしたと言ってもちょっとバカみたいだったかもしれない。
でも子供の質問なんだから、変なことを言っていても笑って許されると思うの。
「なんと……。シャルロッテ様は聡いお方なので失念しておりましたが、未だ8歳でいらっしゃったな。ご存じありませなんだか。あなたの目に穢れが見えぬよう、耳に穢れが入らぬよう勤めてきた周りのお手柄ですなこれは」
感心しきりといった風に頷くハンス爺であった。
真相はというと、そういうものが存在している世界でした。
これにはびっくり。
魔法も魔物も、そんなもの今までさっぱり気付いていなかったのだ。
ちょっと私が鈍感すぎなのか不安になってくる。
これでやっていけるのだろうか。
ハンス爺が言うには平民の子供は、生活圏の安全に不安があるので、その危険を小さなうちから教えられ、貴族の子息は領民を魔獣から守る義務があるので、これまた物心ついた頃からその心構えと戦闘の技術を学んでいくのだそうだ。
たまに世間知らずな高位の令嬢がその存在を知らないことは起こっているらしいが、そういう立場の女性は結局は死ぬまで生きた魔獣を見ることもないのだろうと説明された。
何気に私が世間知らずと指摘されたようだけれど仕方ない。
本当のことだ。
ただ魔素を知らないのはいくらなんでもおかしいということらしく、簡単なレクチャーを受けることになった。
照明や水道などの設備は魔素で動いているそうだ。
なるほど科学に信仰をのっとられた神様は、電気の代わりに魔素を用意したということだろう。
魔素や魔法について授業は一般では、じっと座って話が聞ける年齢くらいからということなので、私にはまだその教師はつけられていなかったのだ。
もう手配した方がいいですなとハンス爺は独り言ちた。
魔法があればさぞかし便利かと思いきや、それほど万能ではなく身の丈の合わない術式で命を縮める者もいるそうで、一般には魔道具を通して使われるものらしい。
軍には魔法部門があり、研究機関もあるそうだ。
魔法の才能がある若者は軍に迎えられるか、魔獣討伐のハンター組合に所属してきちんと管理されるとのことだ。
過度な魔法の使用をしないよう、酷使して命を落とさないように保護する意味もあるそうだ。
街中はもとより、貴族の敷地内には強力な魔法封じの陣がしかれているので魔力を使った魔道具は使えても、直接魔法は使えないらしい。
そもそもが魔力が混じりあう程、人が多い場所では魔法は発動しないそうだ。
治療の魔法など室内で使いたい場合は、特殊な道具と段取りが別に必要になるという。
久々にこの世界の新しい面を知って探求心を刺激されまくりである。
ファンタジー万歳!