584話 押し入りです
手を掛けて戸を引いてみたが、それはびくともしなかった。
男は、チッと舌打ちをする。
どうやら鍵だけではなく、扉と床の隙間に木片かなにかを差し込んで強度を上げているようだ。
子供がそんなことをするのかと疑問に思うが、きっと留守にするのを不安に思った老女が、何度も言い聞かせたのだろう。
「用心深いな」
うんざりしたように言い捨てた。
「破っちまえよ。音がしても誰も来やしねえ。子供が起きて泣きわめくなら、口を塞いじまえばいい」
連れが呑気そうにそう言った。
言われてみればその通りだ。
丁重にする理由もないし、扉を開けるのに時間をかけてもいいことはなにもない。
男は一歩下がると扉を蹴り飛ばした。
ドカッと大きな音が出た。
いくら厳重に戸締りをしても、元々は倉庫の様な小屋なのだ。
頑丈に作られたものではないし、鉄製でもない木の板同然の戸は、呆気なく蝶番ごと外れてしまう。
蹴った音で子供が起きるかとも思ったけれど、中で動く気配はしなかった。
塞ぐものがなくなった小屋は、ぽっかりと口を開けているかのようだ。
月の光が差し込み、狭い小屋の中ベッドの上で子供がシーツにくるまって座っているのが目に入った。
眠っていた訳ではなさそうだ。
かといって怖がる様子でもない。
まるで男達が来るのを待っていたようにも思えて不気味に思う。
まさかそんな事があるはずがない。
男は首を振ってまとわりつく不吉な予感を振り払った。
「起きてんじゃねえか。夜更かしする悪い子は攫われても文句言えねえな」
連れが後ろから覗き込んで冗談ともつかない事を言う。
そうだ、自分達が怖がる事はひとつもないのだ。
「よお、こんばんは。こんな時貴族様は、なんていうんだ? そうだ、『ごきげんいかが?』だ」
虚勢からか男はおどけてみせた。
「ヘッ! どの面下げて」
らしくないそれを連れの男が笑い飛ばす。
何も反応しないのに辟易して、じっとしている子供に手を伸ばした。
あまりに大人しすぎて違和感を覚えるが、元々普通の子供ではないのだ。
きっと何が起きているのかも理解していないのだろうと見当をつける。
「そう、そうだ、いい子だな。そのまま静かにしといてくれ」
そういうと、少女を持ち上げた。
その軽さに驚いたが、まあ小さいしこんなものかと納得する。
「それにしても、何もねえ小屋だな」
見回すが、そこには素っ気のない簡単な家具しか置かれていなかった。
絨毯も壁掛けもなく、飾りと言えば薬草束が吊るされているくらいだ。
他にはというと、寝台の傍にこんもりとしたシーツの塊が落ちているだけであった。
小屋の前で、月明りの中、少女を降ろして身なりを確認する。
「こんな状況で逃げもしないなんて、本当にいかれてんだな」
そのまま動こうともしない少女に呆れながらも、その装飾品を見逃しはしなかった。
「貴族様っていうのは、寝る時も宝石をつけてるもんなのか」
連れが、その小さな指の黒い石の指輪に手を掛ける。
「……やっ!!」
初めて声をあげて少女が抵抗した。
震えるように指輪を手で隠そうとする。
子供がようやく見せた感情は、男達の嗜虐心に火をつけた。
「なんだなんだ。いやなのか?」
笑いながら少女の片手を持って吊り上げた。
「め!! め!!」
身をよじりながら指輪をしている手を振り回して、つたない抵抗をみせつける。
その様子がおかしくて2人の男は声を上げて笑った。
「そうかそうか、嫌なのか」
片手で持ちあがるような小さな子供が、身を捩って無駄な抵抗をしているのが愉快でならなかった。
元貴族だとしても、所詮はどうとでもなる存在なのだ。
何も出来ない無力な子供。
「ほらほら、俺がもらってやるよ」
少女を吊っていない方の男が、がっしりとその手を掴んで指輪をはずした。
「めっ……」
叫ぶかと思ったが、それは諦めたようなか細い声だった。
小さな手は掴まれて、その指からするりと指輪が抜かれた。
「さあて、どれくらいの値がつくもんかな」
戦利品、いや不戦勝で手に入れた指輪を男は上機嫌で月にかざしてみせる。
「なんでい、欠けてんじゃねえか。それでもまあ売れるか……」
その時だった。
「おっ」
男の口から声が漏れた。
「お? お?」
その顔は、疑問を浮かべている様な理解出来ない事にであった時の様な、とらえどころのない表情を浮かべている。
「何ふざけてんだ?」
指輪を握ったまま、男はしゃがみこむ。
「おい」
声を掛けられても返事をしない。
「お、おっ……」
自分自身を抱え込むようにして呆けたような、なんとも言えない声を出し続けていた。
「おい! なんだって言うんだ」
話し掛けても返事をしない。
そうして無視したまま、うずくまっているかと思うと、次第に痙攣をしだした。
「おい! 悪い冗談はよせよ」
薄気味が悪い。
しばらくそれを眺めていると、急に大人しくなった。
そのまま動かない男を足で小突いてみるが、何も反応しなくなっていた。
「は? なんだっていうんだ」
返事をしないのに痺れをきらして、少女を降ろすと、しゃがんだ男の肩に両手を掛けた。
ごろん
しゃがんだ格好のまま、それは地面に転がった。
白目で、口から泡を吹いている顔が上になる。




