581話 穴の中です
それは夜半過ぎ。
月明かりは、当たりを照らしてあたかも野盗の味方をしているようだった。
「おい、本当にガキ一匹なんだろうな」
「婆さんが馬に乗せられて出ていったのは確かだ」
それはシャルロッテがオイゲンゾルガー伯爵邸の女主人の部屋に忍び込んでいた頃、時を同じくして留守の彼女の小屋の前に男が2人いた。
ひそひそと話し合うのは新参の鉱夫だ。
食堂の夕食の時に手伝いの老女がいない事に気が付いたひとりが、料理人に問いただすと「山の上の伯爵邸に行った」という。
何やら名誉の事らしく、自分事のように誇らしげな様子だ。
テオなどは、貴族の館で元貴族の女がご馳走を作るなんて悪趣味な催しな気がして表情を曇らせていたが、料理人にとっては料理の腕が全てなのだろう。
自分が呼ばれた訳でもないのに喜ぶ料理人も人がいい。
鉱夫達は、その人の良さに乾杯をした。
当の老女についても、その料理の腕のおかげで毎日旨い物が食べられているのだから、ケチをつける人間もいない。
今晩の食事が、ありきたりな肉と豆の煮物で珍しさこそなかったけれど、肉自体が既にご馳走である。
料理人の腕も悪くないし、味付けも慣れ親しんだ下町のもので、これはこれで悪くないものだ。
「て、ことは普段あの婆さんの飯を食ってる俺らと伯爵様は同じってことか? 貴族様と同じなんてえ、俺らも偉くなったもんだ」
夕食も終わり酒の肴になる塩気の強い細く裂いた干し肉をつまみに、酒をかっくらいながらガハハッと男達は豪快に笑う。
実際にグンターの思惑で、これまで伯爵にも同じ食事を運んでいたのだけれど、そんなことは鉱夫達の知るところではない。
「伯爵の客におご馳走を用意するたあ、あの婆さんも出世したもんだなあ」
ワイワイと飲んで騒ぐ中で、男が顔を寄せて話合っていた。
彼らは新水晶を盗む算段で、この鉱山に入った一味の2人だ。
一味といっても、組織立ったものではなかったし、せいぜいが野良犬の群れといったところだろう。
これといって崇高な目的があるわけでもなく、水晶を盗んで金を手に入れられたらラッキーであるというくらいの即物的な集まりで、これといって強い絆があるわけでもない。
下町の流儀か、彼らなりの知恵なのか荒くれ者同士身を寄せ合う事の利点を知っているので集まっているという側面もある。
同じ様な根無し草であれば話も合うもので、過去の犯罪や暴力沙汰を自慢しあいながら水晶の分け前の遣い方などを語り合ったりしたものだ。
ただ、その仲間のひとりが早々に廃坑の事故とやらで死んでしまった事で、その勢いは削がれてしまっているといえる。
しかも女を殴りながら犯すのが趣味だと公言して息巻いていたひとりは、そのせいで一晩廃坑の竪穴に繋がれるという、なんとも子供だましの様な刑を受ける事になったのだが、次の日にはその男は魂が抜けたようにおとなしくなってしまっていたのだ。
呪いや鉱山妖精の話についてはまあ薄気味悪くはあるが、夜を穴で過ごす事が罰になるのかと言われたら便所が無いのが不便なくらいだと皆、軽く考えていた。
それが、蓋を開けてみればこの様である。
普段、街で抱けそうにもない美女を前にいきり立つのはわからないでもなかったが、仕事を休ませる程殴るのは馬鹿としかいいようがなかった。
その上この体たらくである。
「たかが一晩、外で過ごしたくらいでどうしたよ」
仲間が小突いて笑い話にしてやろうとしているのに、それにも乗って来ない。
それどころか青い顔でブルブルと震える始末だ。
何があったのか根気よく聞いてみると、確かにひとりで山の穴の中に入れられているということも堪えたらしいのだが、それだけではなかったらしい。
最初のうちは鼻歌を歌いながら穴の底で寝そべっていたのだけれど、どうにも穴の上から音が聞こえてくるという。
それはカサカサと風が草を撫でる音だったかもしれないが、何かがそこにいるような気にさせて落ち着かなくなったそうだ。
実際には耳に聞こえていないはずなのに、何故か人の声が聞こえる気がしてきたり、人の気配がしたりと、どんどんと薄気味悪くなっていったという。
暗闇が想像力を刺激して、その身の内に不気味なものを生み出していくのだ。
幽霊を信じていなくても、人は闇を恐れるように出来ている。
薄っぺらな人間が虚勢を張ってみても、見せる相手がいなければ続かないものだ。
すぐに弱気が頭をもたげて、しまいには逃げ出したくて仕方がなかったという。
テオがシャルロッテに伝えたように、それは確かに荒くれ者によく効く罰であったようだ。
力で押さえつけるよりも、ひとりで暗闇の中にいなければならない方が拳で解決出来ない分、厄介なものだ。
暴力で自分を飾り付けて見栄を張る男は、自分自身の弱さと対峙し、そのメッキをはがされ震えるしかなかったのだ。
仲間達からはつまらなそうにされたが、男の話はそれだけではなかった。




