578話 走りです
考えて、考えるのよ、どうすればいい?
広場に戻ってテオを呼ぶ?
食堂に行ってロルフに相談する?
事務所でグンターに訴える?
どれが正解なの?
焦るばかりで情けないことに、直ぐに行動に移すことが出来ない。
震える手を押さえて、何度が深呼吸を繰り返す。
落ち着いて、まずは状況を確認しなければ。
小屋の中をよく見てみる。
扉こそ壊れて入口のそばは散らかっているように見えるけれど、そもそも物が少ない借りぐらしの場所だ。
奥に置かれた寝台に荒れた様子はなさそうだ。
隠す場所もない狭い小屋だもの。
物取りなら真っ先に寝台をひっくり返すのではないだろうか?
物目当て出ないなら、目的はアニーということ?
「子供が手に余るようなら、連れてきな」
細工師の言葉が頭の中にこだまする。
子供が消えるとジーモンが忠告してくれていたではないか。
そうだ、彼にアニーの様子を見てくれるよう頼んでおいたのだ。
この小屋に異変があったのは把握しているのではないだろうか。
私は顔を上げると、鍛治小屋へと走った。
何度か小屋の様子を見に来てくれていたはずだ。
今、真っ先に向かうべきはジーモンの元だ。
普段走ったりしていないのと、大人のこの体に慣れたとも言えないので、途中何度も足がもつれそうになる。
なんて走りにくいんだろう。
舗装されているといえど通う人のない道はでこぼこしている。
速さはないにしろ老女なのに、走っていて息が上がらないのが不思議なくらいだ。
外見は老いていても、中身はは子供のままとでもいうのだろうか。
鍛治小屋につくと、私は何度も戸を叩いた。
「ジーモン! 開けて! 私よ!」
中で物音がした。
早く出てきて。
戸を叩く音よりも、自分の鼓動が大きく聞こえる。
「大変なの! 小屋が、小屋の戸が破られてたのよ! アニーがいないのよ!!」
急かすようにそう叫ぶと、ゆっくりと外開きの戸が開けられる。
ああ、何を呑気にしているの?
さっさと開けて!
焦る私をよそにそこから顔を出したのは、ジーモンとは違う小柄な人物だった。
その人は、ゴムのような質感の肌の犬の顔を持っていた。
思いもよらない遭遇に、何度も目を確かめる。
「グーちゃん?!」
私は驚いて大声を出していた。
何故グーちゃんが鍛治小屋にいるの?
ジーモンはどうしたの?
アニーはどこ?
全く訳が分からなかった。
混乱していると、小屋の中から微かな声が聞こえてきた。
「しゃ、うー?」
それは紛れもない少女の声。
「アニー!? 中にいるのね!」
私は気付けばグーちゃんを押しのけて、許可もなしに鍛治小屋へ入っていた。
許しも何も家主が出てきていないのだけど、普段ならばこんな無作法は考えられない。
中へ入ると、そこはすぐ土間の仕事場になっていて炉や金床、鞴が置いてあり鋳造途中の小物や道具等が並べられていた。
台の上には皮鞣しの途中と思われる毛皮が置かれ天井には大きな梁が渡されていて、そこに器具などが下げられて見るからに働き者の仕事場である。
仕事場は無人で、奥にまだ部屋がある。
私はキョトンとしているグーちゃんをよそに、ズカズカと仕事場を通過して、奥の部屋へと移動した。
「アニー!」
そちらは生活空間のようで、地面からの冷気を遮断する為に床は板張りに拵えてあった。
壁には防寒の為にか、毛皮がかけられていて部屋の中には自作と思われる武骨ながらも趣のある家具が配置されている。
そのテーブルには木彫りのコップに飲み物が入れられたものが3つ並んでいて、その前にジーモンがアニーを毛皮にくるんだ状態で膝にのせて座っていた。
「しゃうー! お帰り!」
こちらへ笑顔でそう言うアニーを見て、私はヘナヘナとその場にしゃがみこんでしまった。
「シャウ! 大丈夫でしか?」
グーちゃんが背中を支えて私の顔を覗き込む。
大丈夫?
大丈夫かしら。
それよりジーモンの前に出て、あなたこそ大丈夫なの?
「しゃうー?」
アニーの声に正気に戻る。
「大丈夫なはずがないでしょう。何故ここにあなた達がいるの? 小屋の戸は、なんであんな事になったの? 一体何がどうしたっていうの?」
2人が無事であった安堵と、状況が飲み込めない困惑で、私は泣き笑いの状態で矢継ぎ早に質問した。
そんな私を見て、ジーモンはアニーをひとりで座らせると飲み物を入れてくれた。
立てない私を椅子に乗せると、アニーと同じように毛皮を肩に掛けてくれる。
「……、ありがとう」
柔らかい毛並みが体を包んだ事と、温かい飲み物が私を落ち着かせてくれた。
「男が来たから逃げたんでし」
グーちゃんの話によると、昨晩2人組の男が突然扉を破って押し入ってきたというのだ。
驚いたグーちゃんは、すぐにアニーを連れて鍛治小屋に逃げ込んだという。
ジーモンはそれを快く受け入れてくれて、そのまま匿ってくれたそうだ。
「その2人は追ってこなかったの?」
「来ないでし。グーちゃん知らないでしよ」
グーちゃんは、興味が無さそうにそう言い捨てた。




