575話 ポージーです
部屋の中にはいくつも花瓶が置かれて、晩餐の間と同じ様に花が飾られていた。
夫人には「枯れた花」を持ってくるよう言われたのだけれど、どの花瓶にも新鮮な花しか入っていない。
これは伯爵が活けたものよね。
死んだ夫人に手向けているものなのかしら。
それとも死んだ事を知らずに、いつでも帰ってきていいように飾っているのかしら。
伯爵が人を殺す様に思えないし、そちらの方がしっくりくる。
伯爵は夫人を追い詰めただけで、殺してはいない?
駆け落ちして逃げたと思っているのかしら。
廃坑がどう関係するかもわからないし、グンターが夫人の死を知っているのかもわからない。
鉱山はグンターの担当だし、夫人が鉱山に逃げ込んでから死んだのかしら。
そんな事を思いながら枯れた花を探していると、妙な事が気にかかった。
代々の女主人の部屋というには、味気ないのだ。
花で飾られているというのに、なんだかガランとしていて殺風景とでも言えばいいのだろうか。
本来なら、家具の上や棚に女性らしい小物が置かれていてもおかしくないのに、そういう雑貨がほとんどない。
いくら清貧と言っても、昔は資産家であったのだから昔から伝わる細工の凝った手鏡や櫛、手の込んだレースやタペストリー等、色々と伝わる物があっていいはずだ。
それも領地の運営に当てたのかしら?
いや、朧水晶が見つかってから夫人は散財していたはず。
昔ながらのものがないにしても、夫人が買い込んだ宝石や絵画が飾ってあってもおかしくない。
それなのに、そういう俗にいう金目の物が置いてないのだ。
これでは、まるで空き巣にでも入られたかのようだ。
この伽藍洞な部屋を見回して、腑に落ちた。
ああ、だから「駆け落ち」なのだ。
部屋の主が「駆け落ち」した後なのだと思うと、納得がいく。
換金できそうな小物を持って夫人が逃げたと考えれば、もっともな様相だ。
この部屋の様子を見て家人は「駆け落ち」の証拠としたのだろう。
月明りの下、夫人の部屋を物色しながら鏡台の前を通りかかるとそこにそれはあった。
枯れ果てた小さな花束。
それは細いリボンで括られて、ドライフラワーになっている。
その傍らには、銀製のポージーホルダーブローチが置かれていた。
ポージーホルダーブローチというのは、綿や布に水分を含ませて小さな生花の花束を淑女の胸に飾る為の留め具である。
瑞々しく色鮮やかであったころ、きっとこのブローチで胸元に留められていたのだ。
そうして使われた花束をドライフラワーにしたのだろう。
わざわざ手元に残して置きたくなるような思い出の花束なのだ。
だからこそ人でなくなった今、彼女は欲しがっているのだろう。
そんな特別な思い出だからこそ、この銀製のブローチと共にこの部屋に置いていかれたのではないだろうか。
私はその頼まれた品を前にしばし悩んだ。
「枯れ果てた花」と言われたので了承したけれど、ドライフラワーといえど無断で持ち出したらこれは窃盗といえないだろうか?
でも、持ち主に頼まれたのだから罪なのではないかしら。
そうね、こちらの銀製のブローチを持って来いと言われたら、いくら本人の願いでも即、断っていたかもしれない。
だけれど、この枯れた小さな花束なら伯爵の財産に影響しないし、夫人に渡すのだから大丈夫ということにしよう。
そこまで考えて自分の馬鹿馬鹿しい真面目さに呆れてしまった。
そんなことまで気にしなくてもいいんじゃないかしら?
人に無断でものを持っていくなんてした事がないから神経質になっているようだ。
お化けかなにかわからないものに頼まれて、ここまで来ているというのに変な事で悩んでしまったわ。
水分の抜けて色褪せたそれを私は手に取り廊下へと出た。
潰さないように気を付けなければね。
ふと見ると、書斎と思わしき部屋の扉が空いていた。
単に閉め忘れなのだろうけれど、人気もない事だし覗いてみる。
重厚な家具に、書棚には古い本が並んでいた。
面白みのない仕事に集中するのに向いている内装だ。
そんな味気ない部屋に一際目を引く物が置かれていた。
それは、壁際で存在感を放つ大きな水晶の塊。
僅かに光って煌めいている。
それが、この領地でしか採れない朧水晶である事が私にも分かった。
朧に光を発して瞬く遠くの星のような水晶は何か共鳴するように音が聞こえてくるようだ。
まさに歌う水晶なのだ。
流行しているこの新鉱石の細工物を、私は持っていない。
夜会やお茶会で淑女や令嬢が付けているのを目にした事があるかもしれないけれど、注視する事もないだろうしその様な明るい場では、さほど従来の水晶と区別がつかなそうだ。
きっとこの鉱石の真価は、陽射しや灯りの少ない暗がりにあるのではないかと思わせた。
正確に自分の持っている装飾品を把握してはいないけれど、このような不思議な石を見た事はなかった。
当の私は無頓着で気にもしていなかったけれど、衣装部屋を探せば聖女や侯爵令嬢への贈答品や献上品の中に、朧水晶があったかもしれない。
ロンメル商会では朧水晶を扱っていないし、周りも賢者の功績であるこの石を不仲な私が持つ事に政治的な意味を考えて避けていたのでは無いだろうか。
その不思議な美しい水晶を眺めていると、足音が近づいてくるのがわかった。
ハッとして暗がりに身を隠すと、伯爵が部屋の灯りを落としに来たようだった。
深夜の見回りも兼ねているのだろうか。
山の上で、人の出入りもそこほどない館だというのに、律儀なことである。
本来なら執事の仕事だろうに、高齢なので代わりにやっているというところか。
灯りを消された部屋の中で、朧水晶は怖い程美しく、淡く浮かび上がって見えた。




