573話 一筆です
「それにしても、食に精通していて王都のゲオルグを見る機会があったとは、恵まれた環境にいたようだ。一体、あなたの前の主人はどなたやら」
興味深げな眼差しでこちらを見据える。
軽率だったわ。
このまま喋っていたらどんどんと詰め寄られそう。
この鋭さは、さすが大店を取りまとめている人間だ。
「シャルルヴィルさんは、ペィオアルトルさんからお預かりしている方です。どうか詮索なさいませんよう」
伯爵が慌てて私を庇おうとしてくれた。
「いやはや、なるほど。彼の関係者でしたか。その身の上は興味を引くが、流石にこの私も賢者様の関係では、おとなしくするしかないね。しかし、この料理の腕ならどうかな? うちで店でも出すなら大歓迎なんだが」
伯爵に気に入られればと思っていたけれど、まさか客からこんな話が出るとは。
おいしい話だけれど、アニカ・シュヴァルツと親しい商会に世話になるなんて、心が休まらないだろう。
「身に余るお話しですが、当分はこちらでお世話になりますわ」
「そうですよ、身元を引き受けた私の立つ瀬がありません。どうかご容赦を」
「伯爵にそう言われたら引き下がるしかないか。いやはや、ペィオアルトルさんも私に預けてくれたらと恨まずにはいられないよ。せめて、またご馳走になりにきてもいいかな?」
切り替えが早い人だ。
「伯爵の許可があれば喜んで」
「君もいい拾い物をしたものだ。朧水晶といいついているね」
ハインミュラーの言葉に、伯爵は微妙な顔をした。
席を立つ隙もなくハインミュラーが帰宅するまで相手をしてクタクタである。
これには伯爵も予定外であったようで、私の顔をちらちらと気にしていた。
結局、客人の馬車の見送りまで随行して、そこでようやくひと息つくことが出来た。
「申し訳なかったね。おかげであちらには満足はしてもらえたようだ。私はあまり会話上手ではないから貴女がいて助かったよ」
商会長の話の中では教会を軽んじる発言が何度かあって、その度に伯爵は口の端を引きつらせていた。
どうやら真面目な信者らしく、館の使用人の耳に入れたくないようであった。
私もその対象だったのだろう。
「お役に立てて良かったですわ」
「業務外の事までさせてしまったし何か要望はあるかい? 報酬を上乗せしてもいいけれど……」
使用人を大事にするのは知っていたけれど、この発言には呆れてしまった。
客の希望に沿っただけなのに、使用人に褒美をとらせようとは人がいいと言うかなんと言うか。
「では、ひとつだけお願いをしてもよろしいでしょうか?」
人の良さに付け込むのは好きではないけれど、ちょうどいい機会だった。
「あまりに突飛な事でない限りは聞こうじゃないか」
「私と私の連れ子の安全を保証していただきたいのです」
「まさか、鉱山で不手際でも? 脅迫や暴力を受けたのか?」
伯爵が声を荒らげた。
ジーモンへの私刑を思い出したのか、痛ましいという感情が顔に現われている。
人の良い伯爵をこの目で見て、あの所業はこの人にとって許されざる事であったのがよく理解出来た。
彼のポリシーに反して、刑が軽すぎたのはどう考えてもグンターか細工職人が、商会長か賢者絡みの人間なのだろう。
「いいえ、ただ鉱夫の皆さんは体格がよろしいでしょう? ああいう方々に私は慣れていませんもので、つい不安になる事があるのです。もしもの為にも伯爵の保証がいただければ、心安らかに過ごせると思うのです」
何事もなかったと聞いて、伯爵は安堵したようだ。
まあ実際にはアニーをからかったりはされたのだけれど、私もやり返したもの。
被害というほどの事はなかったのだから、今後そのようなことがないのなら、そこまで大袈裟にしないでいいだろう。
「それはもっともだ。私から一筆書かせてもらうよ」
そうして慌ただしい晩餐は終わった。
朧水晶で話題になっても、伯爵家は商会に手網を握られているのが本当のところだろう。
領地の特産品だとしても価格も販路もハインミュラーに頼り切りで伯爵はそれに異を唱える事もしないのだ。
商会長のお付きの人間が伯爵を下に見るのも、そういった事が関係していそうである。
社交界ではキラキラと華やかな新しい鉱石と共に持ち上げられるオイゲンゾルガー伯爵領であるが、ふたを開けてみればこの有様だとは、誰が気が付いた事だろう。
世の中の世知辛さを感じずにはいられなかった。
それと実際に会って話をしてみると、どうにもあの伯爵が夫人を殺したとは思えなくなってきた。
もし手を下していたとしたら、あんな風に普通の生活を過ごせる程神経が太いとは思えなかった。
祭司長の事といい、今日は混乱することばかりだ。
宛がわれた部屋は、所謂屋根裏部屋で、そこほど広くないものの充分なものであった。
鉱山の小屋を思えば上等ともいえるだろう。
長い間使われていないのか、少し空気がこもっているような気もするけれどシーツは洗い立てのようであるし、清潔でなんの問題もない。
長い一日がようやく終わる。
大きくため息をついてから私はシーツに潜り込んだ。
ほどなく眠気がやってきて、心地よい疲れとともに私は眠りにおちた。




