570話 見覚えです
ロンメル商会を通して仔山羊基金で出している文具や雑貨、仔山羊のぬいぐるみも地域に関係なく売れていというし、サモワールサロンも好評だ。
もっと売れる商品を思いつけばロンメル商会の勢い付いて西部を席巻するかもしれない。
ハインミュラー商会には申し訳ないけれど、そうしたら賢者への支援も減るだろうし、彼女だって今より好き勝手しなくなる可能性だってある。
嫌がらせをしたり嘘をついたりしなくても、そうやって間接的に相手にダメージを与えることが出来るのだから良い手ではないだろうか。
そうしたらロンメルも今より忙しくなるかもしれないけれど、商会が有名になって儲かるのは彼にとってもいいことよね。
きっと手放しで喜んでくれるに違いないわ。
心の中で想像してみたけれど、何故か思い浮かんだのは苦笑いをするロンメルであった。
そんな風に考え事をしながらのんびりと過ごしていると執事から声が掛った。
「シャルルヴィルさん、旦那様がお呼びですぞ」
私は背筋をピンと伸ばす。
料理人は、私を見てやったなと言う風にハンドサインを私に送ってくれた。
呼ばれたということは、料理が気に入られて晩餐が成功したという事だ。
この後の客とのやり取り次第で、伯爵からの評価が上がるはずだ。
私は身なりを確認すると、晩餐の間へと足を運んだ。
「本日の晩餐を用意いたしましたロッテ・シャルルヴィルでございます」
私は王宮の料理人がどんな感じで挨拶に来たかを思いだしながら、それを真似るように静々と入室する。
目線は下げたままで礼を取っていると、賛辞の声が飛んで来た。
「これはこれは、本日の晩餐の立役者の登場だ」
その声の主は、パンパンッと大きな拍手で歓迎してくれた。
これはどうやら商会長の声のようだ。
酔っているのも手伝ってか、すこぶるご機嫌といった感じが伝わってくる。
「客人が話をしたいそうだ。お相手を願うよ。貴女の料理を随分気に入られたそうだ」
これまた満足気な伯爵の言葉に顔を上げると、私は目を見開いて驚いた。
そこにいる人に見覚えがあるからだ。
50過ぎぐらいの壮年の男性で、仕立てのいい服に高級な装飾品を身に付けている。
目つきは鋭いが、精力的でやり手な雰囲気をまとっていて如何にも商売人という感じだ。
どこかで会っている気がしたけれど、商人の伝手なんてロンメル商会以外はない。
喉まで出かかっているのに、その名前はでなかった。
すっきりしないもどかしいようなおかしな気分になった。
「やあ、素晴らしい料理と言わずにはいられなかったよ。お初にお目にかかる。私はフランツ・ハインミュラー。ハンミュラー商会の商会長をしている」
ゆったりと椅子に腰かけて胸を反らして、まるで王様のような風格だ。
「お褒め頂いて光栄ですわ。お口に合ったようでなによりです。ところで不躾な質問ですが、ハインミュラー様は王都の夜会などにご出席を?」
夜会という言葉に、伯爵が一瞬顔を曇らせた。
都会で堕落してしまった妻を思い出したのだろうか。
「ああ、いくら西部が本拠地とはいえ、王都は無視できないからね。都合がつけば顔を出す様にしているが、それが何か?」
「いえ、どこかで会ったような気がするのですが……。会う機会があったのなら、夜会くらいかと思いまして」
夜会は商談にはもってこいの場所だ。
得意客が身に付けるドレスや装飾品が貴族達に受ければ、そのまま新規の注文がとれるし事業の根回しにも最適だ。
あのロンメルだって時には顔を出しているのだから、この目の前の商会長も当然たがわないだろう。
雑談なり、なんなり会話をしたことがある人物なら記憶に残っているはずだけれど、一向に思い出せないのは、きっと見掛けただけとかかもしれない。
商会長は値踏みするようにジロジロと私を見てから口を開いた。
「それこそいろいろな夜会に出ているよ。そこですれ違っていた可能性は充分ありそうだ。あなたがそういう催しに出席していたとしたらだがね」
彼の口調には警戒が含まれていた。
もしかしたら、老舗の商会に取り入ろうとする浅ましい人間にでも見えたのかしら。
初対面の人にどこかで会った気がするなんて、まるで口説いているみたいなものなのかも。
そこまで考えたところで自分が今、単なる老女であることを思い出した。
廃嫡されるような貴族子女の異国人の世話係が、華やかな王都の夜会に出る事などありえないことではないか。
これは怪しまれてもしょうがない。
「夜会ではなくどこかのサロンか、それとも街中かもしれませんね。私も年のせいか、つい、うろ覚えの話など口にしてしまって恥ずかしい限りですわ」
これは失敗だ。
でも聞かずにはいられなかったのだから仕方ない。
苦しい言い訳に納得してくれたのか、彼は私の謝罪を静止した。
「いやいや、そんなにへりくだる必要はない。私は特にこれといって味のある顔でないし、どなたか似た人と間違えているということもある。何分、王都は人が多いからね」
味のある顔でないと本人は言っているが、独特の鋭い眼光は一度見たら記憶に残りそうなものだ。
だけれど私が注目したのはそこではない。
顔のつくりや体つき、言葉の発音などから何か妙に親しみを覚えるのだ。
目がもう少し優しければ、万人に好かれそうな感じの外見をしている。
「いろいろと話があるようだし、立たせたままでもなんだろう。お茶を運ばせるから、談話室に移動しよう」
伯爵が気をきかせて、私も食後のお茶にお邪魔することになった。




