565話 メニューです
私が頼まれたのは今日の夕食のご馳走作りだけだ。
晩餐を作ってそのまま帰宅すれば、アニーを一晩留守番させる必要がないのだけれど、賓客を呼んでの食事会ではしばしば料理人による料理人の説明を求められる事もあるので、そのせいで宿泊する事になっていた。
私自身、おいしい料理に出会った時には料理人に声をかけて説明を受けた事が何度もあるので分からない事でもない。
珍しい料理を出したり食後に声を掛けたい気にさせる料理人を確保しているのは貴族として誇れる事だ。
この静かな館の主である伯爵にも、そんな矜恃が隠れているのかもしれない。
私としても賓客相手に料理が認められれば立場も良くなるというものだし、この話はいいことであるはずだ。
すでに厨房に届けられている食材をひとつずつチェックして、料理に不備がないかを確認していく。
なんと駄目元で頼んだ新鮮な牛乳まで揃える事が出来たので、料理の幅はうんと広がった。
貴族の家には大概が氷を使った冷蔵庫があるものだが、ここにも旧式と思わしき木で作った冷蔵庫が備えられていた。
木の内側に断熱材とブリキ板を貼り付けたどちらかというと、保冷箱と呼ぶ方がふさわしい代物であるけれど、あるとないとでは食材のもちが明らかに変わるのだから画期的なものであるといってよい。
上下扉が2つ付いていて、上に氷を入れて置くとその冷気で下の部屋が冷やされるといった簡単な作りである。
前世とは違い電気式ではないので、氷か冷気を発する魔道具がなければ意味がない。
伯爵家では、特別な時しか使われていないらしい。
今回は勿論使えるように用意されているし、それは今日の晩餐の相手が伯爵にとって大事な相手である事を示していた。
ここの厨房と鉱山の食堂と違うのは、晩餐の為に前もって食材を手配出来るところだ。
鉱山では旬の仕入れ値の安い野菜など運ばれてくる物資は商会任せで、肉類はジーモンの狩猟の腕に頼る事が大きいようだけれど、ここで扱う食材はほぼ大手の商会へ注文して購入したものだという。
食堂では、その時ある食材に合わせて料理を見繕うけれど、今日は先に料理ありきなのである。
つまり好きな材料を取り寄せられるのだ。
よくある料理では、私が呼ばれた意味が無い。
期待されているのは珍しい料理で相手を驚かせる事だろう。
珍しい料理なんて、改めて考えると中々難しい。
最初はどんな材料でも使える自由に喜んだけれど、目の前の食材で工夫する方が私には向いている事を、この時になって自覚したくらいだ。
いっそ味噌や醤油があれば和食を作れて簡単なのに。
色々と検討した結果、メインの肉料理はピーマンの肉詰めにすることにした。
ピーマンはここ王国では比較的新しい野菜に位置している。
トマトやじゃがいものように農民からの抵抗はなかった野菜で、先に唐辛子の存在があって食生活に浸透していたのが大きかったときく。
葉や苗がこれまで慣れ親しんだ唐辛子によく似ているので、辛くない唐辛子ですよという顔をして入ってきたピーマンを警戒する隙がなかったようだ。
農民にとっては唐辛子を植えたつもりがピーマンが出来て、まあ食べてみるかと食卓に上った野菜だ。
大体がサラダか焼いて料理の付け合せになる程度で料理の主役になることはなさそうなので、肉料理に使うのは悪くない選択だと思う。
詰め物の方も挽肉の固め焼きや肉団子のスープなどは一般的に知られているし、ピーマンに詰めることによって馴染みがありながら目新しさも出るというものだ。
珍しいといってもあまりにも普段とかけ離れてしまえば口に運ぶのも憚られるというものだ。
あまり派手さはないけれど、奇抜さよりも手堅さを重視した結果ともいえる。
氷もあるしせっかく牛乳が手に入ったのだから料理にも使いたいし、デザートにも使おう。
牛乳でフルーツを煮るのも悪くないけれど、氷菓子ならより珍しいと言えるだろう。
私はさっそく季節の李をすりおろすと砂糖と合わせてよく混ぜる。
砂糖も鉱山で使っている棒砂糖よりも上等な不純物の少ない高級品だ。
こんな風に贅沢に料理が出来るなんて、貴族の料理人っていい職業だわ。
砂糖を混ぜたものに牛乳をいれて撹拌してから、一口味見をしてみる。
久しぶりに舌にガツンとくる甘味に、頭がくらりとする。
本当に甘味って贅沢品なのだ。
プラムの爽やかな酸味と牛乳のまろやかさが混ざって、このまま飲み物として喉の奥に流し込んでしまいたいくらいだ。
そこをぐっとがまんして銅製のバッドに流し込んでから、冷蔵庫の上段の氷の塊の上に載せてしまっておく。
これで凍らせたものをスプーンで削って盛り付ければ、プラムのミルクソルベの出来上がりだ。
アイスクリームよりも粗削りで口触りはよくないけれど、この時代なら十分通用するデザートになるだろう。
凍らせるのに時間がかかるので、これは一番先に取り掛かかった。
料理人のお爺さんに付け合わせの野菜をのんびりと仕込んでもらっている横で、ぱたぱたとせわしなく私は動き回った。
馴れない厨房は使いにくいと思いきや、鉱山の食堂とは大違いで料理器具も揃っているし幾つも並んだ釜戸はきちんと蝶番で蓋がついている高級品だ。
この広くて整えられた厨房は昔はさぞかし活躍したのだろう。
在りし日の栄華を一番厨房で感じるなんて、なんだかやるせない気持ちになった。




