562話 山の上です
あの早朝の小屋前の嫌がらせの件で、グーちゃんが何の反応も見せなかったのは単に眠っていた訳ではなく、そんなジーモンが相手だったので害意がないと判断してほおっておいたというのが真相のようだった。
鉱山に住む隣人としてグーちゃんはジーモンに気を許していたなんて、まったく気付かなかった。
もっと早く教えてくれていたらよかったのに。
鉱山が閉鎖されていた間、ここにはジーモンとグーちゃんだけが残されていたのだ。
新鉱脈が見つかり人が戻った今は彼らにとって賑やかな事だろう。
だけれど、起きた悲劇を考えるなら寂寥感に満たされた廃鉱山でひっそりと暮らしていた時の方が幸せだったのかもしれない。
「ぐーちゃ、ううあん?」
アニーもグーちゃんと一緒に体を揺らして遊んでいる。
「一緒に留守番でし。アニーいい子するでしよ」
まるで保護者のように言い聞かせている様子は、本当に兄のように見える。
「あい!」
留守番を理解しているのかいないのか分からないが、アニーは元気に手を挙げた。
そうして2人できゃっきゃと喜んでいる。
アニーとはすっかり兄妹のようだ。
ずっとこのままではいられないかもしれないけれど、この幸せな時間が少しでも長く続くよう私は祈らずにはいられなかった。
スヴェンの操る馬に乗せられて、山道を走る。
地面を叩きながら馬は土煙を上げて、ぱからぱからと軽快な足音で進んでいった。
あまりいい状態の道ではないけれど、広く作られている。
馬車がすれちがえるほどの幅があり、昔は何台もの馬車が行き交っていたのだろうことが伺えた。
それが今では馬が1頭。
栄えていた名残は時に残酷な程、現実を浮き彫りにしていた。
馬の振動は激しく、スヴェンにしがみついていないと落ちてしまいそうだ。
せめて馬車を用意してくれたらとも思ったけれど、自分の馬車に酔いやすい体質を思い出して馬に2人乗りの方がましであることに気付く。
外見が変わったとしても体質までは変わってないだろう。
アニーを置いてきたのは最後まで心配だったけれど、3人で馬に乗る訳にはいかないし、歩いて山の上を目指すのも骨が折れそうだし、結果的にはそうするしかなかったようだ。
私がひとりで馬を操る事も出来なくはないけれど、何分大人の体で乗馬をした事がないし鉱山には馬はこの一頭しかいないときていた。
どちらにせよスヴェンの案内は必要であるし、2人乗りをせざるを得なかったのだと、アニーを置いてきた後ろめたさに言い訳する。
しがみついているのも気まずくておしゃべりをしようにも、舌を噛みそうで余裕もない。
2人乗りでこの速度を出せるのはスヴェンの乗馬の腕前を証明しているも同然で、鉱山の下働きには似つかわしくない上手さであった。
それにしても、もっとゆっくり走ってもらいたいものだ。
スヴェンにしたら老女との相乗りの乗馬なんて、さっさと済ませてしまいたいのかもしれないけどね。
馬に揺さぶられる苦行に耐えていると、ようやく目の前に金属門が現れた。
鉱山と同じ古い石造りの壁に備え付けられたそれは蔦がはっていて、どことなくおどろおどろしさがあった。
スヴェンは馬から降りて慣れた手つきで門の鍵を開けると、私を乗せたままの馬を中へと引き入れて入れた。
どうやら門番は雇われていないようだ。
門番「も」と、言うべきか。
中に入ると、前寂れた古めかしい館がたっていた。
形よく整えられた低木の下に植えられた秋の花が盛りをみせている。
あまり手入れされていないと思わしき館に比べて、庭はそうではないようであった。
「お疲れ様です。体は大丈夫ですか? 山は魔獣も獣も出るので、あれくらいの速さを出した方が安全なんです」
スヴェンもあの速さはどうかと思っていたようだ。
申し訳なさそうに弁明をした。
そこほど人の行き来のない山の中では道も荒れがちになるのは当然といえば当然だ。
「ああ、そういうことだったのね。道の舗装も完璧じゃないところをみると、魔獣避けの草木も十分ではないのかしら」
「一応は整えられていますが、そちらの手入れもあまりしてないようですね……。ここに通う馬車には魔獣避けを飾るのが徹底してるのもあって」
よくある田舎の道と同じようだ。
道に費用をかけてはいられない場所では、往来する人間や馬にお守りとして魔獣の嫌う草木がかかせないのだ。
まあ、人には効かないので、賊などが出たらそこは現実的な武力によらなければならない。
でも朧水晶で儲けているなら、道の整備くらいは出来そうなものなのに。
伯爵は、かなりの吝嗇家なのかもしれない。
「お庭は素晴らしいのに」
丁寧に整えられた庭へ目を向けた。
「ああ、それは伯爵の趣味みたいですよ。あまり領地の視察をする方でもないみたいで、時間があると庭をかまっているとか……」
鉱山の方にも、ほとんど顔を出さないというものね。
夢の中で夫人が言っていた事を思い出す。
庭の花を手折って夫人の髪にさしていた愛情深い夫の話。
まさかその花が主人自ら手入れしていたものだなんて思っていなかった。
趣味が庭の手入れの夫だなんて、悪くない家庭ではないか。
幸せだったじゃないのあなた。
届かなくてもつい、心の中で彼女に語りかける。
もう人ではないような夫人を思い浮かべた。
お金はなくても、ここには静かな幸せがあったはずだ。
アニカなんかに踊らされて全部台無しにしてしまうなんて、随分と勿体ない事をしたものだわ。




